開発者なのに知らないことが多すぎる
田中鈴木
第1話
見覚えのない暗い板天井が広がっている。頭の芯がじんわり重い。焦点がいまいち定まらず、微妙に視界がぼやける。
…どこだここ。
体をよじるとがさりとした感触がする。シーツの下に何だかちくちくするものが詰め込まれているようだ。灯りがなく、どこかから入ってくる僅かな光に浮かぶ室内を見渡す。
部屋というか物置のような感じの、味も素っ気もない板張りの壁。室内には今寝ているベッド…のような何かと、木箱が一つ。高い位置に窓というか明かり取りがあって、月明かりが差し込んでいる。入口には目隠しなのか布がかけられており、向こう側は真っ暗。
…本当にどこだここ。
記憶を辿っても今いる場所がわからない。今朝は…大学に行ってたはず。午前中は必修単位の講義で、実験科目だから全員集まってた。
その後、午後はリコちの家に行くって約束してた。リコちの家に行って…行ったか?昼は何食べたっけ?
昼食を思い出そうとしても、なんかめっちゃ固そうなパンと水みたいなスープが浮かんでくる。いやそんなもん食べたことないでしょ。リコちの家に行くんだったら駅前のスーパーで2個320円の冷凍パスタとかだと思う。
自分の記憶と今いる場所がつながらない。むしろ変な記憶が次々と現れる。少し寂しそうに微笑む、知らないおじいさんとおばあさん。
『あなたなら大丈夫。私たちの自慢の孫娘よ。愛してるわ、マリー』
マリー。
おばあさんの口から零れるその名前に、一気に感情が湧き上がってくる。愛おしさ。懐かしさ。感謝。不安。寂しさ。そして記憶。物心つく前から今まで、この家で育ってきた記憶。マリー・クラインとしての記憶。
視界がぐらぐら揺れる。雲が晴れたのか一瞬室内が明るくなり、入口の布の横、木箱の上に掛けられた服が目に飛び込んでくる。茶色が基調の可愛らしいブレザーとスカート。白いブラウスに燕脂のリボン。
一度も着たことがないのに、見覚えのある服。制服だ。ダットン魔法学園。私が、マリーがこれから通う学校の、制服。
「嘘でしょ…」
意識がゆっくりと遠のく中で、はっきりと確信する。
これあれだ。
異世界転生ってやつ。
しかも。
私たちが作ってたゲームの世界じゃん。
そして私は、意識を手放した。
◆ ◆ ◆
リコちと私、真梨は高校からの友達だった。高校でお互いにアニメや漫画の趣味が近くて、ダラダラ放課後ふざけあってるのが日常になっていた。
大学は別々だったけど、リコちが一人暮らしを始めたワンルームマンションが私の大学と近かったこともあって、私がリコちの部屋に入り浸る日々が続いた。お前ん家かよと苦笑しながら、リコちも私のお泊まりセットを置いておいてくれた。
大学3年になって前期の試験がだいたい片付いた頃だったか。
リコちが大学の課題だと言ってゲームを作り始めた。
「いやツクールのゲーム開発でいいのかよ」
「Fランなめんな必修の数学基礎が分数の計算から始まんだぞ」
リコちの行っている学科──現代メディア学部アーバンカルチャー学科──の夏期集中講義扱いで、ゲーム1本仕上げると4単位もらえるそうだ。内容はなんでもあり。一本道の5分で終わるノベルゲーでも「可」はもらえるそうで、夏休みの片手間にちょうどいいらしい。
「なんなら売れそうなの作ろうよ。手伝うからさ」
私がそう言うと、リコちは最初は面倒臭がっていたがだんだん乗り気になっていった。元々ゲームとか好きだったし、リコちは絵が上手でSNSにアップしたりしていた。ゲームの立ち絵くらいなら余裕で描ける。
ゲームジャンルは恋愛SLGにした。ストーリーはシンデレラオマージュ。ファンタジー中世で貧しい娘が王子に見染められてめでたしめでたし。魔法使いに助けてもらうんじゃなくて、自分で魔法を使ってライバル蹴散らしていくほうが面白いんじゃないか。いや蹴散らしちゃダメでしょ。そんなふうにあれこれ言い合いながら、私たちは夏休み中ゲーム作りをしていた。
ドレスをあれこれ考えるの面倒くさい。てゆうかイベントスチルでモブの服をいちいち変えるのくそ面倒くさい。リコちがそう言ったので、舞台は制服のある学校になった。あんまりストーリー分岐があると完成しなさそうだったので、まずはメインの攻略対象との一本道恋愛ストーリーを作って肉付けしていくことにした。
「ヒロインの名前変えない?私の名前って嫌がらせにも程があるわ」
「いいじゃん。真梨ってお姫様っぽいしさ」
「お、おう」
何故かヒロインは私の名前をもじってマリーになった。なんかものすごく自分大好きみたいでアレだったが、そこはリコちが譲らなかった。解せぬ。
ライバルキャラを作って、イベントを考えて。選択肢でフラグを立てて、一定以上でハッピーエンドになるように設定する。結局提出までには攻略対象一人分のハッピーエンドとノーマルエンドまでしか作れなかったが、一応完成した時には二人で打ち上げをした。リコちの部屋で。
「ねえこれさ、これからもちゃんと作っていこうよ。もっと攻略対象とストーリー
追加して行けば売れるって」
「いーねー。ストーリーと設定は任せた」
スーパーの惣菜と缶カクテルでいい感じに出来上がっていた私たちは、そんな約束を交わしたのだった。
◆ ◆ ◆
…なんてノリで作った世界に、今私はいます。なんでなのかは全くわからないけど。
ロバの引く荷車の上でガタゴト揺られながら、私はいまいち現実感のないまま秋空を見上げていた。
今朝おじいちゃんおばあちゃんと別れる時には、マリーとして育ててもらった記憶が溢れてきて涙が止まらなかった。あなたなら大丈夫よ、と優しく背中を撫でられて余計に泣いてしまって、二人を困らせてしまった。
今の私の人格は、基本的には真梨だ。そこにマリーの記憶と感情が乗っかっている。一つの体に二つの人格、とかで混乱しなくてよかった。
魔法学園はマリーの家から2週間ほどかかる。まずは荷車に揺られつつ1日かけて近くの町へ。そこから馬車に乗り換えて大きな街まで3日。さらに馬車を乗り継いで10日。学園に着いたら寮に入ることになる。入学式は20日後。入学式当日をゲームスタートにしていたので、今はゲーム開始前の時間ということになる。とりあえず、一人で考えを整理する時間はある。
リコちと作っていたゲーム、『シンデレラは挫けない(仮)』。魔法の存在するご都合中世的ファンタジー世界で、平民の娘マリーが魔法学園で成長しつつ、高貴な身分の攻略対象たちと恋に落ちていくのが基本ストーリーだ。
癖のない淡い金髪に青空色の瞳。両親は物心ついた時にはおらず、祖父母に育てられた。明るく優しく天真爛漫。平民にしては高い魔力を持つため、15歳から魔法学園に入学し教育を受けることとなった。
魔法学園でのイベントの中で、実はマリーは祖父母とは血が繋がっておらず、「精霊の導き子」と呼ばれる特殊な存在であると明かされる。開発者の私は最初から知ってるけど。
精霊の導き子は、精霊が人間の姿をとってこの世界に現れたものとも、胎児に精霊が入り込み産まれたものとも言われている。マリーは祖父母(としてマリーを育てた夫婦)が森で拾った赤子だった。子宝に恵まれず老境に入っていた二人は、この子を夢見た我が子、孫として大切に育てた。マリーも両親は幼い頃に死んだのだ、という説明を素直に信じ、二人を慕い育った。
この世界の魔法の源はエネルギーそのもので、その制御には精霊と呼ばれる高位存在の手助けが必要となる。精霊の協力を得ることで奇跡に等しい現象を起こすことができるので、宗教も王権も精霊を信奉し、精霊をその権威の裏付けとしている。精霊との関係は、支配階級にとって無視できない重要な問題なのだ。
精霊の導き子は、精霊との強い絆を生まれながらに持ち、その姿を見ることさえできるという。マリーは今まで生活のちょっとしたことに魔法を使うことはあっても、強大な力を望むことはなかった。それ故彼女の特殊さは周囲にも発覚することはなかったが、魔法学園入学によって彼女の人生は大きく動き出すことになる。いやまあ全部私が考えた設定だけど。
ゲームの設定通りなら、精霊の導き子であるマリーは望めば文字通り世界を消滅させるくらいの魔法を行使できる。いや設定盛り過ぎじゃない?とリコちに言われつつも、いやいやこれくらいじゃないと王子様と結婚とか無理でしょと私がノリノリで考えた結果がこれである。
魔法は誰でも使えるものではなく、その素質を持つ者は全員が国か教会の管理下に置かれる。これから向かう魔法学園は王立で、15歳から18歳までの3年制で1学年20人程度。国中探してもそれくらいの人数しかいない、ということだ。人口の設定はしてなかったけど、たぶん1万人に1人くらいの希少な能力である。
使える魔法は人によってばらつきがあり、コップ1杯のお湯を沸かせるくらいのものから天変地異レベルまで。ただ、お湯を沸かせるくらいと言っても使い方によっては対抗手段のない恐怖の暴力となる。
脳や心臓でお湯を沸かされて生きている生物などいない。外からお湯をかけられるのと違って、体の内側でいきなりそれだけの高温が発生するのだ。魔法が使えない人からすれば、どんなに弱い魔法でも致命傷である。原始社会で魔法を使える者が神の化身と恐れられ、崇拝の対象となったことは想像に難くない。
だからこそ権力が管理するし利用する。魔法学園に入学したら、卒業後も基本的には国の中枢で生きていくことになる。支配階層である貴族は積極的に魔法使いを取り込み、その血筋を吸収することで権威を守ってきた。『シンデレラは挫けない(仮)』の恋愛の背景には、わりと現実的な打算も存在するのだ。
まあとにかく、マリーとして生きてきた記憶と真梨が考えた設定に大きな差異があるわけではない。片田舎で育ったマリーの知識のほうが少ないくらいだ。
私とリコちで完成させたのは王子様ルートまでだけど、元々は複数の対象を攻略できるマルチエンディング型のゲームを想定していたし、まだまだ開発は続けていくつもりだった。学園には私の知らない攻略対象がいることも想定して生活したほうがいいだろう。
それと、今のところ判明している攻略対象である王子様にも接近するつもりはない。理由は二つ。
まず、王子様に見染められたところでそれが将来にどう影響するのかわからないこと。ゲームは入学後1年間でハッピーエンドを目指すが、今の私はその後も生き続けるのだ。王子様との関係が長期的にどう変わるのかわからないし、それがマリーの人生にとってプラスなのか判断がつかない。
そしてもう一つの理由は…
王子様とのハッピーエンドルートは、確実に人が死ぬのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます