第2話 オルゴール
太陽が照りつける、ある日の午後。
私は一人、見知らぬ街を歩いていた。
(さっきまで雨降ってたのに…)
実は、つい先程。
突然の雨に降られてしまって。もちろん、傘なんてもっていなかったので。
ずぶ濡れにならないように鞄と腕で頭と顔を覆いながら、走って屋根のあるところへ向おうとしていた。
その際に、前を見て走っていなかったのが悪かったのか。いつの間にか周囲には見たことのない景色が広がっていたのだ。
ついでに雨もやんでいた。
「……」
どこまでも続いていそうな石畳の道。
その両脇には赤茶色や黒のシックな色合いの店が所狭しと並んでいた。
(こんな所あったんだ……)
キョロキョロと、周囲を見回していると、一つの店が目に入った。
他の店と比べ、外壁の赤茶色が、金色の装飾で飾られていた。
ショーウィンドウの中には、金や、ガラスなどがキラキラと輝いていた。
(スゴイ……)
ついつい目が引かれ、立ち止まってしまって。
ぼぅと、眺めていた。
「おや、こんにちは、」
「っ!?」
突然声をかけられ、全身に緊張が走った。
軽い対人恐怖症があったりして、余計にドキドキしてしまう。
つい反射的に視線を下げてしまい、視界には自分の靴が入る。
「あの……」
「は、はい!?」
声が上ずってしまった。
声のした方に視線を上げると、細身の男性が立っていた。
レストランなどのウェイトレスが着ているようなきっちりとした服を身にまとい、少し赤みがかった茶色の髪がさらさらと揺れていた。
全体的にタイトにまとめているのか、ただでさえ長そうな足が、さらに長く見える。
(あしながおじさんみたい。あ、お兄さんか)
なんてことをおもってしまうくらいに、長かった。
「良かったら、見ていかれますか?」
「えっ?」
「あの、ここ僕のお店なんです。良かったらどうです?」
なるほど確かに。
普段着に来ているような恰好ではなし、どこかのお店のスタッフという方がしっくりと来る。
しかしまさか、“僕のお店”ときた。
「あ、え、えっと……」
別段、急ぎの用もないしそうしたいところもあるが、さっさと帰りたいという気持ちもある。
「お時間ございましたらどうぞ。お茶もご用意致します。」
…案外押しが強いなこのお兄さん。
「あ、ありがとうございます。じゃぁ、おじゃまします……」
お誘いを受けて断るのもそれはそれで気にしてしまうような性格なので、お言葉に甘えることにした。
私の精神衛生上的にも、甘える方が正解だろう。
「どうぞ。」
:
カラン―
扉を開けると、そこにはたくさんの箱が並んでいた。
ガラスで出来たもの、金色に光っているもの、何種類かの宝石が散りばめられたもの。
「うわぁ……」
思わず声が漏れる。
それほどまでにこの景色は、圧巻だったのだ。
壁という壁にぎっしりと積まれたそれらは、この店自体が宝箱であるように思わせるほど豪華絢爛なものだった。
「そこのテーブルにお座り下さい。」
「あ、ありがとうございます。」
その中に小さなテーブルと二つの椅子が置かれていた。
指定された通り、素直にその椅子に座る。
それも、金や小さな宝石で飾り立てられていた。
しかし、そのテーブルたちがただの飾りに見えるほど、壁の箱たちはキラキラとしていた。
「紅茶で宜しかったですか?」
いつの間にか店の奥からティーカップを持ったお兄さんが帰ってきた。
それをテーブルに置き、そのまま、私の目の前に座る。
「…あの、」
「何でしょう?」
彼自身も、紅茶を嗜みながら(いいのか?)答える。
「ここは、何を売ってるんですか?」
「オルゴールですよ。」
「おるごーる?」
「ここにあるものは、全部オルゴールです。」
「ここのもの全部!?」
ガシャンッ―
驚きの答えに、つい勢いよく立ち上がってしまい、彼が入れてくれた紅茶をこぼしてしまった。
「あ!ご、ごめんなさい!」
目の前に座っていた彼にかかってしまい、服がずぶ濡れになってしまった。
しかし、彼は狼狽えることもなく。
「大丈夫ですよ。すぐ乾きますから。」
「え……?」
とたん、彼に零れた紅茶が、小さな粒になって、空中へと浮かぶ。
いや、むしろ濡れてすらいなかったのかもしれない。
それは、壁にあるオルゴールの光を受けて、ガラスの欠片のように光っていた。
「え!?」
突然の出来事に驚いてしまう。
「お客様、こちらに迷い込んでしまったんですね。」
何を言っているのだろう。
“こちら”とは、どこの事だ?
「何かお困りのこととかあるんですか?」
目を疑う様な現象と突然の質問に戸惑う。
全く意味が分からない。
「たまに、あちらの世界で何か辛いこと、苦しいことに悩まされた人迷い込むのです。僕は、そんな人の悩みを聞いて、少しでも癒しになるように、オルゴールを差し上げているんですよ。」
まぁ、そんなのはたいしてお役に立ってはいないんですが―
そんなことを言う彼は、優しく、けれどどこか誇らしげな顔をしていた。
「だから、こんなにたくさんオルゴールがあるんですね。」
「えぇ。その方にあったオルゴールを差し上げられるように。」
なんとなく、私は緊張がほぐれるのを感じた。
ゆるりと、心が緩んだような。そんな感覚。
この人になら、話してもいいのではないかと。
思ってしまった。
「私の話、聞いて下さいますか…?」
「はい。それが、僕のお仕事ですから。」
優しく笑う彼の顔は、どこか懐かしささえあった。
:
それから私は、自分が驚く程に長時間話していた。
仕事のこと、人間関係のこと、最近あった小さなことまで、たくさん話した。
彼は、私の話が途切れない様に、紅茶を入れてくれたり、相槌を打ってくれたり、最後まで、話を聞いてくれた。
「ありがとうございます。何だか、すっきりしました。」
「いいえ。僕にはお話を聞くことしか出来ないので。」
そう言いながら、立ち上がった彼は、たくさんのオルゴールの中から、少し小さめの、それでいてどこか気品の漂う、可愛らしいオルゴールを差し出してきた。
「どうぞ。これからまた、お仕事や人生に疲れることもあるでしょう。そんな時に、お聞きください。少しでも、あなたの癒しになるように。」
差し出されたそれを、しっかりと受け取って、
「お世話になりました。また、明日から頑張れそうです。」
「頑張ってください。あなたの人生が少しでも、幸せでありますように。」
カラン―
オルゴールを大事に抱え、店を出る。
ザワザワザワザワ―
出た先は細い路地。
人々の蠢く音が響く。
はっと後ろを振り向くと、そこには薄暗い道が続くだけ。
(夢……?)
しかし、手の中には小さなオルゴールが一つ。
それをカバンの中に大切にしまう。
「よし―」
一歩、ゆっくりと歩き出す。
お題:脚がながい人・オルゴール・ずぶ濡れになる
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