第21話 使用人の助け舟




「ようこそ、聖女様! わざわざこんな遠方の地にお越し頂きありがとうございます」


 バレオン=フォン=ドミトレスク子爵との対面。

 表面上は、比較的穏やかな空気感で始まることになった。


「いえ、こちらこそ。急に押し掛けてしまいました」


「お気になさらず! 聖女様には、普段からお世話になっているのですから、これくらい当然のことです!」


 大袈裟なおもてなしが行われる。

 バレオンは、フカフカのソファに腰掛け、こちらを上から下へと視線を滑らせていた。

 視線が嫌らしい。

 どうして屑共は、こうも一貫して、下賎な性格をしているのだろうか。瞳に映る自分の姿が、この男にどう見えているのかが手にとるように分かる。


 ……だから、不愉快で仕方がない。





 ──あの時と同じ。私が、聖女の地位を奪われるきっかけとなった。あの貴族と同じ目をしている。


 ……ああ、殺したい。


 ぐちゃぐちゃに頭蓋骨を轢き潰したい。

 肉体の原型が無くなるまで、刃物で滅多刺しにしてやりたい。

 泣き叫ぶ口に、火のついた木片を押し込んでやりたい。

 手足の爪を一枚ずつ、針で刺し、バリバリに剥がしたい。


 心の中に潜む狂気は、制裁とはかけ離れている。

 相応しい罰を与えなければならないのに、私情に流されて、私のやりたいことをやってしまいそうになる。

 これでは、私の理念に反してしまう。


 彼への制裁は、少し前から計画して、決めている。


「ありがとうございます。光栄です」


 だから、感情を押し殺し、仮面を被ったように聖女っぽいキラキラした笑みを浮かべる。

 

「ああ、本当に……聖女様は、大変美しい」


「そんなことありません」


「いいや! 貴女のような美しい女性を、私は見たことがない!」


 バレオンはソファから立ち上がると、こちらにゆっくりと近付いてくる。

 澱んだ空気を感じる。

 汚れた心の人間というものは、放つオーラも汚らしい。

 これは、聖女だから感じるということではない。

 私個人が、直感的に感じてしまう半ばオカルト的な肌感覚だ。けれども、この直感が誤っていたことは、ほとんどない。というか、経験上、全て的中していた。


「聖女様……貴女の個人名をお伺いしてもよろしいですか?」


 バレオンは、私の前に膝を付き、手の甲にキスをしてくる。

 もうこの時点で吐きそうな気分だ。

 しかしながら、それでも私は、好意的な態度を取り続けた。


「バレオン様、こういうことは……いけませんわ」


 バレオンが調子に乗るように、しおらしい反応をする。

 これも全て、相手を油断させるために必要な工程。

 時には我慢することも必要である。


 バレオンが、私の手の甲からゆっくりと私の唇に顔を近付けてくる。


「君は……容姿も、心も美しい。嫁に娶りたいくらいだ」


「ダメです。そんな……!」


 か弱く抵抗……している演技をするのは、面倒なことこの上ない。

 太ももに仕込んだ刃物で首を掻き切れば、命を奪うことも容易い。それでも、私がこうやってギリギリまで演技に徹していたのは、


「りょ、領主様……っ!」


 部屋の扉が開かれる。

 外から声を上げたのは、先程案内してくれた使用人だった。


 ──やっぱり、聞き耳を立てていたのね。


 殺しの瞬間を聞かれるのは困る。

 だから、制裁を下す瞬間は、しっかりと見極めなければならない。聞かれてもいい人間であれば、容赦なく制裁を執行していたが、この使用人の男に話を聞かれることが絶対に大丈夫と確信が持てない。


 だからこそ、部屋に入った後も聖女を演じた。


 バレオンは、明らかにイラついた表情になっていた。

 使用人に邪魔をされたのが、気に食わない様子。


「……なんだ。仕事は終わったのか?」


「領主様、無礼を承知で申し上げますが、聖女様にそのような行いは、教会の反感を買いかねません」


「ほう……俺に物言いとは、随分と偉くなったものだなぁ?」


 使用人は、私の身を案じてくれていた。

 けれども、その選択は愚かであると言う他ない。

 今、この瞬間だけは、私が助かる……しかし、彼自身の屋敷での今後は続かなくなる。


 もし、私がただの聖女であったならば、彼はきっと、私が去った後に酷い仕打ちを受ける。

 最悪の場合……死ぬこともあるだろう。

 分からない。

 彼にとって、私を助けるメリットなんてない。

 心配していたとしても、行動に移せる人は、そう多くない。


「使用人……さん?」


 漏れ出た言葉を聞き、使用人は疲れた顔のままに、無理やり笑う。


「聖女様、今日はもうお引き取り頂いた方がよろしいかと思います」


 何気ない言葉。

 けれども、これは自己犠牲。

 使用人は、己の身を代償に私を守ろうとしていた。


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