10.びっくりするわよ

 そうして執務室で仕事をすること一時間。

 こんこんとノックの音が聞こえて、キアリカは入室を促す。そこにはディノークスの屋敷で働くメイドが立っていた。


「どうしたの?」

「シェスカル様がキアリカ隊長をお呼びです。お部屋まで来るようにとのことです」

「わかった、すぐ行くわ」


 キアリカは手に持っていたペンを置くと、すぐさま立ち上がった。

 そして早歩きでシェスカルの部屋へと向かう。彼の部屋の前に立ってノックをしようとすると、その気配を察したであろうシェスカルに「入れ」と入室を促される。


「失礼します」


 そう言って入った、シェスカルの部屋の中に──なぜか、赤い髪の男が立っていた。


「エルド……さん?」

「……キア」

「どうしてここに?」


 わけが分からずキアリカは首を捻らせた。

 彼は今日から四日間、家族サービスができるというのに、なぜこんなところにいるというのか。


「こんな手紙ひとつでいきなり消える奴があるか、キアリカ」


 怒ったように手紙をピラピラとしているのは、椅子に座ったままのシェスカルだ。なぜ自分が怒られなければいけないのかと、キアリカは顔を顰める。


「しかも内容がひでぇ。帝都騎士団の団長補佐掴まえて、『暇つぶし』呼ばわりかよ。こんなの言われたら、誰だって傷付くぞ。ちょっとは考えろって」

「事実なんですから、仕方がないじゃないですか」


 もちろん、本当は事実なんかではない。一緒にいてとても楽しかったのだから、決して暇つぶしではなかった。しかしこう言うより他はない。エルドレッドに好意があると知られては、困るのだから。


「お前なぁ……こいつがどんなくだらねーデートをしたのかは知らねぇけどさ、言いようってもんがあると思うぜ?」

「別に、くだらないなんて言ってないじゃないですか! っていうか、デートなんかじゃありませんからっ」

「……って、キアリカは言ってるけど? エルド」


 シェスカルが立ったままのエルドレッドを見上げる。

 赤髪の男は口をへの字に曲げたまま、鼻で息を吐き出した。


「……楽しんでくれていると思っていたのは、俺だけか?」

「それは……っ、エルドさんだって同じでしょう」

「どういう意味だ」

「楽しんでいるフリをしていただけじゃない。わざわざ休暇を取って償いなんてしなくても良かったのに。奥さんだって良く思わなかったでしょう」

「奥さん??」


 エルドレッドに首を傾げられて、キアリカもまた首を傾げた。なぜそこで疑問符が付くのか理解できない。


「おい、キアリカ。お前なんか勘違いしてねーか? こいつは独身だぞ」

「え? でも、子どもがいるって……」

「それは俺の妹の子ども達のことだ。離婚して、実家に帰ってきているからな」

「じゃ、じゃあ家族っていうのは……」

「俺の両親と妹、それに甥と姪のことだが?」


 キアリカの頬が、紅葉を迎えた葉のように燃え始めた。

 勝手に妻子がいると勘違いして、勝手に諦めて帰ってきて。

 その行動が、考えてみれば幼稚で恥ずかしい。


「キア。どうしていきなり帰ったんだ? まだ四日ある。その間だけでも、俺はキアといたかった」


 その間だけ。

 そうだった。どうせ四日経てばエルドレッドは職務に戻り、さらには団長に昇進することになるだろう。

 キアリカだって一ヶ月も経てば怪我も治って、本格的に隊長職に復帰せねばならない。

 互いに忙しい身では、そこで接点が無くなる。


「……たった四日じゃない。四日早く帰って来たってだけで、なにも変わらないでしょう」

「まだ連れて行けてないところがある。戻ってきてくれ」

「でも……」

「行ってこい、キアリカ」


 尻込むキアリカに、シェスカルが後押しをした。彼は呆れたようにキアリカとエルドレッドを交互に見ている。


「互いに未練なんか残してんじゃねーよ。どうすんのかは自分達でちゃんと考えて決めろ。そのためにも、お前は行くべきだ」

「……わかりました」


 シェスカルに諭されて、キアリカはまた帝都に行くことに決めた。

 今後のことや、自分の気持ちをきちんと整理するために。

 エルドレッドも同じだろうか。だとしたなら、少し嬉しい。


 ランディスの街を出て帝都に向かうのかと思っていたが、途中でその道を外れた。

 どこに連れて行かれるのかと思ったら、透き通るような水が太陽の光でキラキラと光る、美しい湖畔だった。

 そこには何組かのカップルが、ボートを漕いでいる姿が見受けられる。


「乗ろう。最終日には、ここに連れて来たいと思ってたんだ」

「まだ最終日じゃないのに?」

「キアがいつ帰ると言い出すか、わからないからな」


 そう言ってエルドレッドはお金を払い、ボートを借りている。促されてタンッと乗り込むと、ゆらゆらと大きく揺れた。

 キアリカがゆっくり座ると、エルドレッドはそれを確認して漕ぎ始める。

 陸とは違う、ふわふわとした居心地が、非日常へと向かっている気がした。


「ここにはよく来るの?」

「来ることはあるが、ボートに乗るのは初めてだな」

「そう」


 湖畔はたまに跳ねる魚の音とギイと軋むボートの音が聞こえるくらいで、やたら静かだ。


「キア」


 名前を呼ばれて、視線を風景からエルドレッドに戻した。

 彼は湖畔の中央辺りでボートを停め、こちらを見つめている。


「最終日に言おうと思ってたんだが、今のうちに言っとく」

「……なに?」

「この一ヶ月、ありがとうな。楽しかった」


 なんのことはない、ただの別れの言葉だった。

 当たり障りのない社交辞令的な謝意に、キアリカは苦笑いを漏らす。


「わざわざそれを言うためだけに、私をランディスから連れ出したの?」

「まぁな」

「……ありがとう」


 キアリカは苦笑いを微笑に変えると、呟くようにそう言った。


「私の方こそ、ちゃんとお礼を言うべきだったわ。怪我の負い目があって私を楽しませてくれたんでしょうけど、この一ヶ月はとっても充実してた。残り数日で終わっちゃうのが、少し寂しいわね」

「少し、かよ」


 胸がピリッと熱を持って痛む。

 エルドレッドの真っ直ぐ真剣な顔に、ドクンと鼓動が刻まれる。


「まぁ、こうしてゆっくり話せるのは最後になるかもしれないから白状してしまうが……正直下心はあった」

「え?」

「キアは、美人だしな」


 フッと微笑まれて、キアリカの頬が熱を持つ。

『美人だ』……正直、そんな言葉は聞き飽きている。しかしいつもなら『ありがとう』とさらっと返せるはずが、なぜだか言葉が出てこない。


「キア。俺のところに来る気はないか?」


 その台詞はどこかで聞いた言葉だった。そう、初めて会った日にも、同じことを言われた覚えがある。

 ディノークス隊から引き抜いてまで一緒に居たいと思ってくれているなら嬉しい。しかし、何度言われても答えは決まっていた。


「行かないわよ。言ったでしょう。私が帝都騎士団に入ることは、シェスカル様を裏切るのと同じで……」

「そうじゃない」


 キアリカの説明を切り捨てるように言葉で遮断される。

 エルドレッドのその双眸に、熱が宿る。


「急な話だが、俺のところに嫁に来る気はないかと聞いているんだ」

「よ……め……?」


 これは世に言うプロポーズというものなのだろうか。

 付き合ってもいないのに、急過ぎる。いきなり言われて『はい、お願いします』と簡単に言えるような話じゃない。


「……びっくりしたか?」

「びっくりするわよ。本気なの?」

「まったく驚いてるようには見えないがな」

「どうしていきなり?」

「いきなり、か……」


 エルドレッドは体をほぐすかのように、ふう〜っと長く息を吐き出している。

 団長補佐ともあろう者が、緊張していたというのだろうか。


「俺は団長職を、のらりくらり躱してるって話はしたろ?」

「ええ、団長職は激務だからって……」

「そう。団長になると、女とデートなんかしてる暇は無くなる。つまりこのまま団長になってしまえば、現団長のように一生独身確定ってわけだ。だから、俺は……」

「.……俺は?」


 そう促すと、あの日の言葉の続きを彼はようやく口にした。


「この一ヶ月で、キアとの結婚の約束を取り付けたかった」


 ドクン、と心臓が耳のそばで飛び跳ねているようだ。

 バランスを取るのは得意なはずなのに、ゆらゆら動くボートから落っこちそうなるほど落ち着かない。


「ど、どうして私なの? 他にいくらでもいるでしょう」

「美人で、強くて、気風も良い。俺の理想の女だからだ。世界中どこを探しても、キアのような女には二度と巡り会えない」


 キアリカの心に一陣の風が駆け抜けて行く。そんな風に言われて、喜ばない女はいないのではないか。

 しかし驚きと喜びで溢れそうになった瞬間、現実という影がキアリカを現実に引き戻す。


「ありがとう。そんな風に言ってもらえて嬉しいわ」

「じゃあ……」

「でもごめんなさい。私はまだ結婚はできないの。エルドさんが団長職を放棄出来ないのと同じように、私も隊長職を降りることはできない」


 結婚するということは、帝都に住わなければいけなくなるだろう。

 シェスカルは敢えてなにも言わずに話し合って来いと言っていた。キアリカが抜けると困るということも言わずに。

 つまりそれは、信頼の証だ。シェスカルが信任してくれているから釘を刺されなかったのだ。その主の気持ちを裏切るわけにはいかない。

 たくさんの部下と、自分自身のためにも。


「……そうか」

「嬉しかったわ……本当に。私も強い男の人が好きなのよ。エルドさん以上の人は、きっともう現れないわね」


 そう思うと悲しかった。

 彼以上の人が現れなければ、きっと忘れられない。つまりそれは、一生この気持ちを引き摺って生きていかなくてはいけないということだ。

 胸が締め付けられるように苦しいが、これも仕方のないことだと自分に言い聞かせる。


「いつ、だ?」

「え?」


 不意のエルドレッドの呟きに、伏せていた目を上げる。彼の双眸は、まだ燃えたままになっていた。


「そんなに長く隊長職に就いてるわけじゃないだろう。いつ退くつもりでいるんだ?」

「え……えーと、少なくとも三年……長くても五年だと思うわ」

「それくらい、俺は待てる」


 予想外の言葉を受けて、目を見張った。

 まさか、そんな風に言われるとは露ほどにも思っていなかった。


「な、なに言ってるの? 三年後、私は三十歳なのよ? 五年後だとしたら、三十二歳……」

「だからなんだ?」

「だって……三十過ぎた女なんて、嫌でしょう? 今でさえギリギリなのに」

「キアがいくつになっても俺より年下なのは変わらないだろ。何歳になろうと、俺から見ればキアは若いんだから、問題ない」


 論破されて唖然としているキアリカに、エルドレッドはどこからか紙袋を取り出した。


「これは……」

「受け取ってくれ。これはキアに似合うと思って買ったんだ」


 いつか見た紙袋の中身は、前回と変わらぬ髪飾りとネックレス、それにイヤリングの三点セットだ。これを買ったのは自分のためだったのかという事実に、なにかがこみ上げてきそうになる。

 キアリカはその紙袋を、抱き締めるようにしてギュッと握り締めた。


「どうだ? 気に入ったか?」

「言ったでしょう。これを貰った人は、きっと喜ぶって」


 目を細めてエルドレッドを見上げると、彼もまた嬉しそうに笑っている。

 その笑顔を見るのが、キアリカは大好きになってしまっていた。


「それを着けて待っててくれ。三年後、もう一度プロポーズに行く」

「ええ……それまでに次の隊長候補になる者をしごいておくわ」

「それはちょっと気の毒だな」

「あら。私達が結婚できなくてもいいの?」

「それは困る。思いっきりしごいてやれ」

「ふふっ」


 そう言って笑い合うと。

 どちらからともなく唇を重ね合った。

 穏やかな湖面が、二人を祝福するようにキラキラと輝いていた。


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