08.きっと喜ぶわよ
「昨日の魚はどうだった?」
「ええ、とても美味しかったわよ」
朝、いつものように出会うとそんな会話を交わした。
いきなり『どういうこと!?』と詰め寄るほど、子どもではないのだ。とりあえずは通常運転を心掛けるに越したことはない。手を出されないように気を付けてはおくべきだが。
「エルドさんもあのお魚を食べたの?」
「ああ、皆で食べた。子どもらもがっついてたぞ」
「……そう。良かったわね」
「また今度釣りに行くか?」
「行かないわよ。手が臭くなるもの」
つっけんどんにそう言うと、エルドレッドは「そうか」と少し寂しげに笑っている。
本当のことを言うと、また一緒に釣りに行きたかったが……素直に行きたいと言ったところで、残り四日でさよならなのだ。行ける機会などないではないか。
「じゃあ、今日はちょっと俺の買い物に付き合ってくれるか?」
「いいわよ。いつも私に付き合わせてばかりだったものね」
思えばエルドレッドもこんなに長い休暇は今後ないというのに、ずっと付き合わせてしまっていた。『詫び』は十分にしてもらったし、そろそろ負担を強いるのは遠慮した方がいいかもしれない。
そう思いながら、二人は以前来た通りを歩いて行く。
「どこに行くの?」
「そっちの店なんだが……すまんが、ちょっとここで待っててくれないか?」
「え? 構わないけど」
「すぐ戻る」
そう言ってエルドレッドはそそくさと路地に入って行ってしまった。一人で買いに行くなら、一緒に来る必要はなかったのではないだろうか。
そう思ったが、文句を口にはしないでおいた。
そして待つこと数分。見るからにガラの悪い奴らが、キアリカを見つけてこちらにやって来る。
「おやおや、こいつぁ『強勇の美麗姫』さんじゃあないですか?」
「その怪我は団長補佐にコテンパンにやられた傷でしたっけねぇっ」
ギャハハハ、と唾が飛びそうな勢いで笑っている。キアリカが顔を顰めると、男達はさらに楽しそうに笑い叫んだ。
こういう手合いは無視するに限る。けれど鬱陶しくて早く消えてほしいので、キアリカはドンッという音が聞こえそうなほどの怒気を発しながら睨んだ。
直後、男らはビクッと体を震わせ、「いい気になってんじゃねーぞ」とかなんとかくだらない捨て台詞を吐きながら去っていった。馬鹿な連中はどこにでもいるものである。
そうしているとようやくエルドレッドが戻ってきた。怒気の余韻でも残っていたのか、エルドレッドは奇妙に顔を歪ませながら近づいてくる。
「おい、今なにかあったか?」
「別になにもないわ。それよりなにを買ってきたの?」
「ああ、これを買ってきた」
そう言ってエルドレッドに紙袋を手渡された。中を覗いてみると、どうやらアクセサリーのようだ。髪飾りとネックレス、それにイヤリングの三点セットである。妻への贈り物だろうか。
「へえ、センス良いじゃない。きっと喜ぶわよ」
「え?」
そう言って紙袋を押し返した瞬間、どこからか女の悲鳴が響きわたった。
キアリカとエルドレッドはハッと顔を上げると、放たれた矢のように同時に駆け出す。悲鳴が聞こえると勝手に反応してしまうのは、騎士の
駆け出して数分も経たぬ間に、その現場は見つかった。
ガラの悪い男二人と、その男に手を掴まれている女性、それに男の子。その四人がなにやら揉めている。
「そっちからぶつかって来たんだろーっお母さんを離せーっ」
「ああ? ガキの躾がなってないんじゃねーのか? こいつも連れてくかぁ?」
「すみません、謝りますっ! 謝りますから、子どもに手は出さないで……っ」
先程キアリカ相手に因縁をつけてきた連中が、今度は腹いせに別の親子をターゲットにしているようだった。キアリカは迷わず声を上げる。
「やめなさいっ!! その女性を離すのよっ!」
「ああ? なんだってぇ? 聞こえねぇな!」
またも下品に笑う男の顔を、キアリカは一瞬でも見ていたくはなかった。
「離さないと、酷いわよ?」
「ああ? やんのかコラ、その怪我でよ」
男の一人が拳を胸に構えた。キアリカはフンと鼻で息を吹き出す。
「おい、キア。俺がやる」
「大丈夫です」
言うなりキアリカは男の一人へと突っ込んだ。
繰り出された相手の拳を避けると同時に、その腕を右手だけで掴んで背負い投げる。
ドタンと音を立てて倒すと、すぐさまもう一人の男に後ろ回し蹴りを決めた。
男の後頭部に、キアリカの長い足が綺麗に決まって飛ぶように地にのめり込む。男はピクリとも動かず、気を失っていた。
キアリカはペタンと座り込んでいる女性に手を差し伸べる。
「大丈夫ですか? 怪我は?」
「だ、大丈夫ですっ。ありがとうございます! 『強勇の美麗姫』様!」
「うわー、おねえちゃん、かっくいー!! お母さんを助けてくれて、ありがとう!!」
「ふふ。どう致しまして」
彼女を起こしていると、後ろからエルドレッドがやってくる気配がして彼を見上げた。
「ハハハハッ! さすがだな! 怪我してんのに、大したもんだ」
「当然よ。こんな奴らにやられるような鍛え方はしてないわ」
「まぁでも、次は俺に任せといてくれ。せめて左腕が治るまでは、大人しくしてほしい」
「平気よ、この程度」
「そう言うな。もしもキアになにかあったら、俺は悔いるからな」
そう言ってエルドレッドはキアリカの頭をグリグリと撫でつけてきた。
そんな心配は不必要だというのに、エルドレッドは心配性なのだろうか……と、そう思った瞬間に気付く。
ああ……私の怪我はエルドさんが原因だから、その状態でさらに怪我されると困るってわけね。
新しい怪我の原因まで自分のせいにされちゃ、かなわないってことか。
それが理解できたキアリカは、素直に頷いた。
「わかったわ。エルドさんがいる時はエルドさんに任せるから安心して」
「ああ、助かる」
しかし、この状態で満足に戦えないのは確かだが、怪我を負った時にエルドレッドのせいにすると思われているのがショックだった。キアリカはこの怪我のことでエルドレッドを責めた覚えはなかったのだが。
もしかするとずっと『詫び』をしていて、いい加減うんざりしていたのかもしれない。
お互いに楽しめていると思っていたのは自分だけで、エルドレッドは義務感だけだったのか。キアリカは自嘲気味に薄く笑った。
そうよね……愛する家族がいるっていうのに、休暇を丸々私への贖罪に使っていたんだから。
きっと楽しくもなんともなかったわよね。
彼の家族にも申し訳ないわ。
私がずっと、エルドさんを独占しちゃってて……
キアリカの心にだんだんと罪悪感が芽生えてくる。
己が暇だったからと、彼に『詫び』などさせるのではなかった。付き合わされた方は、どれだけ苦痛だったか。それを考えると、胸が痛い。
「悪い、キア。休暇中だが、こいつらの処理だけしてくる」
「ええ、わかってるわ。じゃあ、今日はこれから互いに自由に行動しましょう」
「そうだな……じゃあ、また明日な。キア」
エルドレッドに『キア』と呼ばれるのは心地良かった。
恐らく、これが最後となるだろう。
「じゃあね、エルドさん」
別れの挨拶を、キアリカは笑顔でしてみせた。
しかし彼に背を向けた直後、顔は悲しく歪んでいた。
キアリカはエルドレッドと別れた後、すぐに宿に戻り荷物をまとめると……宿の主人に、明日来るであろうエルドレッドに手紙を言付けて、帝都を出たのだった。
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