新開/あなたの呼び声-6 逃走/策略
一度でも選択を間違えたら死ぬ。じゃあ間違えなければ助かるのかと言われれば、絶対にそんなことはなかった。
何度も後ろを見て振り落とされる巨大な一撃を躱していく。その度に轟音と地震と粉塵が舞い上がり転びそうになる。
「……当てる気……ッ、あんのか!」
自分を奮い立たせるつもりでわざと煽るようなことを叫ぶ。神がそれを理解しているかどうかはわからないが、それでもずっと俺に注意を引いてくれればいい。
せめて、アイツが復活するまで……!
洞窟の中で隠れながらも、出口付近で彼女の戦いを見続けていた。俺の提案通りに、名も教えてくれなかった剣士は絶対的な必殺の一撃を見せてくれた。
凄まじかった。
空と海が、切り離されたように見えた。
水平線をなぞるような一閃が、背景を二等分した。
海中から出ていた海神の触手の全てを薙ぎ去り、結果として神は頭を露出させた。
……次の一撃で彼女はトドメを刺すつもりだったんだろう。瞬きしている間に上空へと跳び上がった剣士は、そのまま頭に向かって落下していった。そしてその剣を突き立てようとした。
そうして、逆に叩き落された。
「あ———」
視界から彼女の姿が消えた。代わりに岩が粉砕される音が耳に入った。そしてしばらく、彼女が動くような音はしなかった。
海の上には、真っ黒い身体を現した何か。巨人のようだ。いや、軟体生物のようだ。もしくは、そのどちらでもある。黒すぎて結局具体的な姿は確認することができない。
「……ぐっ、ああっ!」
脳髄に直接針を刺されたような痛み。今にも割れる。何かが自分を突き破って出てきそうだった。
頬を叩いて何とか意識を保つ。
「くっそ……!」
よせばいいのに、俺は自分から外に出て行ったのだった。
次に大地が揺るがされた途端、いよいよ立っていられなくなって転がった。
「いった……!」
大体十分以上は走り続けている気がする。実はもう一時間は経っているのかもしれない。
こうして地面に転がされてしまった以上、もう立つ気力も湧いてこない。
上を見る。空には、巨神がいる。真っ黒なシルエットが聳え立ち、俺をじっと見つめていた。
頭がぐわんぐわんする。
一体何度あの化け物を見てしまったのだろう。もはや痛みを通り越して、虚無になりつつある。頭痛を抑えるには何も考えていない方がずっとマシだった。
揺れる、揺れる。地面が震え、沢山の触手が浮き上がる。
———死ぬな、これ。
諦めの言葉はすっと胸の内に納まっていった。
「バカが!」
そして、身体を強引に引っ張られた。
そのまま担ぎ運ばれる。数秒走るような音が聞こえた後に投げ落とされた。
目を開けると洞窟の中。そして鬼のような顔をした天の姿があった。
「本当に、キサマは……!」
当然天ではなく剣の方だった。彼女は倒れたままの俺に覆いかぶさる。
「どうしてそんなバカげたことをする!? 私の身体は休めば治るとわかってるだろ!」
怒号を浴びせてくる彼女の顔を見て、つい安心してしまった。
「……よかった」
「は、? 何がだ」
意外な反応だった。ずっと怒った顔をしてるんだろうなと思っていたら、こんな呆気にとられる表情もできるんだって感心した。
「お前も、元気みたいで……」
ぽつりぽつりと心から思ったことが漏れ出て行く。
「……信じられない」
そして彼女はその言葉通りの表情を見せてきた。
「お前も天を大切にしているという気持ちは、嫌というほどわかった。だがそれでも。そんな風になるまでどうして助けようとした? まだ、会ってから月日も経っていないというのに———」
「……俺もずっと、わかんなかったんだよな」
「え」と一音発した彼女の表情が、果たして天のものなのかヤツのものなのか判別つかなかった。それとも、両方の顔が入り混じっているのだろうか。
「なんで天のことになるとこんなムキになるんだろうってさっきまで考えてた。お前の言った通り、興味があるだけかもしれない。でも、それ以上の気持ちが、多分あるんだろうな、俺には……結局その正体がわかんないのが、問題なんだけど。でもさ、一つだけ、はっきりしてることがあってさ」
こうして心の内を明かしていく内に根源的な答えに気が付いた。
「身体が、勝手に動くんだよ。天を助けなきゃって、本当に心からそう思うんだよ。なんでか知らないけど、とにかく、そうなんだよ」
上半身を起き上がらせた彼女はそのまま座る。
「……正義の味方のフリか? 正義など、私たちが最も忌み嫌うものだ」
その返答がおかしくて笑ってしまう。
「なぜ、笑う?」
「いや、お前嫌いなモノ多すぎだろって思って……そっか、正義の味方か。全然意識してなかったけど。でも確かに、お前が無事でよかったって思ってる」
「別に貴様がいなくても、私が天を守る」
「天だけじゃない」
ぴくりと眉間が動くのが見えた。
「お前もだよ、剣野郎」
「……私、も、だと」
その声は震えていた。
「お前にも色々と世話になってるし。今でも気に食わないけど、でも大事だよ。お前も」
「なぜ」
「知らん。強いて言うなら天のたった一人の家族だからかもな」
そして起き上がる。幾分か身体もマシになった。
「おい剣野郎。まだ行けるか?」
「……」
ヤツは視線を下げたままだ。
「ちょっと?」
「……ああ、いや……戦えるが」
「頭、痛くないか」
「少しキツイくらいだ」
「そっか。じゃあ今思いついた作戦言う」
外の方を見ながら言った。
「俺が神様を引き付けるからお前がぐさってやってくれ」
「は……?」
素っ頓狂な返答をされた気がするが続ける。
「さっきみたいにまた俺が走りまくっておくから、そのうちにさ」
「待て、お前はまた……! 第一、いくら身代わりになったところで勘づかれるぞ」
「『麒麟の痕』、使えるか?」
「……そうか、そういうことか」
前回の佐々木迷宮事件で天が使ったという技。俺は直接見たわけではなく後から聞いたことだが、いわゆる結界を作る技らしい。外からは見えないし、内側からも出られない世界を一時的に作り出す。
「だがあれは暗示のようなものだ。実際に結界を作るわけではない。それに対象に刀を見せることで成立する外法だ」
「でも、外から見えなくなるのは本当なんだろ」
「……そうだが」
「それを自分に向けて使うのは?」
『麒麟の腹』を自身に向けて発動させて結界に閉じこもる。そうすれば神からも見えなくなる。後は発動した場所になんとか神を連れ込んで、結界の解除と同時に頭を斬る。それが作戦だ。
「できない話ではない。やったことはないが」
「じゃ、それで行くか」
意気込んで立ち上がると腕を掴まれた。
「他に策はないのか? しばらくアレを見続けてるんだろう? もう、お前も限界を迎えているはずだ」
正直嬉しい心配だったが、それも無用なものだ。
「痛みなんて、我慢すればいいからさ」
彼女はしばらく押し黙った後、低い声で返した。
「……確実に息の根を止められる技を使う。五分だ。それまで耐えてくれ」
「任せろ」
腕を放され、両手で足を叩く。何度も小さく跳躍し、外に飛び出た。
そしてすぐに神に発見された。
近衛槙が出て行き一秒も経たないうちに神がヤツを捉えた。神が動き出して視界から外れると同時に私も外へ出る。
そして上空へと跳ぶ。
「流るるは、麒麟の腹」
自身に向けて放った技は確かに成立し、瞬時に銀色の世界がこの身を包んだ。
かなり、無理をしている。基本、外法は私自身を効力とすることで成立する。よって使用後は自然と天の意識が戻ってくるのだが、今は強引に自分の意識を肉体に繋ぎ止めている。
何度も意識が剥がれそうになりつつも最後の一撃の準備にかかる。
「———ぐっ」
……ダメだった。足が言うことを聞かない。ついその場に倒れる。
「立て。私が、やらなければ、誰も生きて帰れない」
そうやって何度も立とうとする。
「私が、天を、あの少年を、」
今までにないことだった。この私が、天以外の人間を救おうとするなど。
こうしてかつてない無理をしているのも、ヤツの影響なのだろうか……。
———もう大丈夫だから。わたしが代わりにやる。だからあなたは眠っていて。
「……天?」
よく、頑張ったね。ありがとう。後はわたしに任せてほしい。
「ダメ、だ。私が、やらなくては」
お願い、わたしにやらせて。
「……なぜだ、主よ」
だって。
近衛さんも、あなたもこうして頑張ってるのに、わたしはずっと眠ったままなんて嫌なの。
わたしにも、あなたたちを助けさせて。
「……そうか。それが、あなたの意思なら」
うん。
「後は、頼んだ、主よ。私はかなり、疲れてしまった———」
うん。お休み。
起きたらきっと、また明日の朝日を眺められるから。
だから今は、わたしも一緒に戦わせて。
———走ってくれてありがとう、近衛さん。
———後は任せて。流。
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