新開/あなたの呼び声-4 剣/意志
「ぐあっ!?」
ヤツが突然振り向いたかと思えば、急に蹴り飛ばされた。背中が打ち付けられてそのまま後方へと転がっていく。
「ッ……つぁ……!」
肌の削れるような痛みで上手く声を発せない。
「くっ……そ、……アイツ……!」
視界の奥で、高波の雫を浴びながら一人立つ女剣士の姿を捉えた。その手に握った剣を振り払い水滴を飛ばしている。
その更に奥。ぎちぎち、がんがんと肉の絞られるような音を鳴らして黒いソレは蠢き続けていた。木のような触手が、彼女の遥か頭上へと持ち上げられる。
「いっ……!?」
目が痛む。ヒビが入ったような感覚だ。瞼を閉じなければ狂ってしまう。
それでもなんとか、天を攫った神とやらの正体を見定めるために俺は観察し続けなければならなかった。
黒い触手から幾つもの枝が生え始める。その枝からまたさらに別の枝が生え……そして。
「……危ない!」
その全てが、ヤツに向かって襲い掛かっていった。
ざっと見積もって、最低でも百はあるだろう。
迫る槍の全てに殺意……いや、それに近い凶気か神性が込められている。もしくは瞬間ごとにその質が切り替えられている。いずれにせよ、その攻撃の意味など私にとっては知る必要のない事柄だ。
問題無い。
「……マジかよ」
なんてデタラメなやつだ。
アイツは自分に迫ってくる針のような触手を、一本一本丁寧に切り落としたり、受け流したりしていた。飄々とした顔のまま、作業のように刀を振り回していた。
一本目。三時。二本目。十字。三本目。一時。四本目。中央。五本目。六時。
———————————————————————————————————————。
百六十二本目、七時。百六十三本目。六時。百六十四本目、十二時。
遅いものを見ると世界が早くなる感覚を覚える。それは、相手の愚鈍さに苛立って自分から歩を速めてしまうからだろう。
反対に、素早いものを見ると世界が遅くなっていく。素早い鳥を目で追うために全ての意識がこの目に集約されていくからだ。そうしてじっと見失わないように目を動かしていると、世界の中心はいつしか自分になって如何様にもできるようになる。
自分の中にしか流れない、自分しかいない世界の時間。それも自分のものでしかないのだから、どう動かそうとも時計は狂わない。指示をしている自分は、どう捻じ曲げられていても正常であると認識できるからだ。
何かと対峙している時はいつもこの感覚に陥る。それが心地いいとか、煩わしいと思うことはない。
———自分という武器を振っている。そして相手は切れていく。
その淡々とした事実だけが、この心象に流れ出て行く。
何も感情を奮い立たせる必要はない。こと戦いの場においては。ただ在るものは有り、消えるものは、そういう定めだっただけのことなのだ。それこそが、●という人切り棒に仕組まれた不変の機能。真実。何物にも動じることなくただ目的を果たすのが、無機物たる存在に与えられた唯一の価値だった。
そうして攻撃は止む。投擲する槍を切らした神は直接腕を振り下ろしてきた。真っ黒な影がこの身を覆っていく。躱すこともできず私はそのまま押しつぶされる。
「嘘だろ」
アイツが立っていたところに巨大な触手が倒れていった。その瞬間大地が揺れた。あちこちからひび割れるような音が聞こえる。そして目の前には黒い土煙が舞っていた。
ぽつぽつと石の欠片が降ってくる。その一粒が眼に入り必死に擦る。
今、どうなってる? アイツは無事なのか?
左目だけで状況を確認する。そこには横たわったままの大樹のようなものがあるだけで、彼女の姿はどこにも認めることができなかった。
本当に潰されたのか?
信じられない。衝動的に立ち上がるが見えるものは変わらない。
「こんな呆気ないことないだろ!」
再び地震が起こる。今度は音も大きい。後方の洞窟が崩れていくような轟音が、
「おい、余所見するな」
彼女の声で沈黙した。
振り返ると、数本の枝を串刺しにしている剣士の背中があった。
「後ろも見えないのか?」
剣を引き抜くと枝が落ちていった。
「この中に隠れればいいだろう」
洞窟の方を顎で示される。するとまたもや地ならしが始まり、上手くバランスを保てなくなった。一方、ヤツは微動だにせずスカしたように神の方を見つめていた。
また一本、巨大な触手が迫りくる。それを一撃で叩き伏せると彼女は、地面に落ちていく触手に飛び乗り、そして次々と襲い来る触手に次々と跳躍していった。かの八艘跳びとはこのことを言うのだろうか。身軽に、ボールのように跳ね上がっては空中でその躯体を回転させる。
高く、より高く。暗い空に白鳥が一羽。空を切りながら舞い続け、伸び上がってくる脅威の悉くを斬り散らす。
その姿にただ見惚れる。隠れろ、という言葉はもう頭の中に残っていなかった。
しかし。
海からは次々と新たな触手が出現している。際限なく溢れるソレは、いくら斬ったところで意味がないように感じる。
正直、このままコイツに任せたままじゃ解決しない予感があった。
空中戦を終えて剣士は目の前に下りてくる。その瞬間を狙って近づいた。
「おいなぜ引っ張る!」
「いいから!」
彼女の裾を掴んで強引に洞窟の中へと逃げ込んでいった。
「なんだ!」
奥まで走ると手を振り払われた。眉間を狭めた顔が見える。
「お前さ……アレをどうやって、倒すつもりだよ……」
肩で呼吸しながら問いかけると、さも当然のように返された。
「斬るだけだ」
「いやそうは言うけどさ! そのためにどこを狙うとかあるだろ!」
あぁ? というような顔で返される。どうにも斬り続けていれば死ぬだろうくらいの感覚でいるらしかった。
「相手は神様だぞ!? ただ斬ってれば倒せるってもんじゃないだろ」
「いや、倒せる」
背中を向けて外へと歩き始める彼女をなんとか留まらせる。
「その根拠は!?」
「あの腕は斬れた。つまりちゃんと触れられる身体だということだ。それなら核が出てくるまで斬り続ければいい」
「核って、心臓とか頭とかか?」
「当然だろう」
「じゃあ尚更待てよ」
なぜ、というような顔をされる。だが仮にも戦士なら、こんなことすら気に留めないのは致命的すぎる。
「お前、アイツの頭とか見たのか?」
しばらくの沈黙が訪れる。確かに神を引きずり出したのはいいものの、俺たちは未だにその全貌に出会えていない。神のタコだかイカだか大木だかよくわからない腕しか見ていないのだ。
「……見ていない。だが斬り続けていればいずれ出てくるだろう」
「どれだけ時間がかかるんだよ。先に頭を見つけた方が絶対早い」
「そうは言うがな」
それでも行くのをやめようとしない彼女の手を掴む。
「お前、その目でどれだけあいつを見続けた?」
「……?」
「アレとずっと戦って、天に影響は無いのか」
その質問に、コイツは目を逸らした。
「わかってるだろ。アレを見続けるのはまずい。正気じゃいられなくなるはずだ。お前は人間じゃないから効かないだろうし、天の怪我もすぐ戻るかもだけど。でも見続けるのだけはまずい」
掴んでいた彼女の手が小刻みに震えていたのを、さっきからずっと感じていた。神を直視した影響は少なからず出ているはずだ。
「これは、天の身体なんだぞ」
手を振り払われる。
「なら、私にどうしろと? 頭を探せと? 結局神を見なければならないのは変わらんぞ」
考える。どうやってコイツに神を見せないまま頭を探すか。そして導き出す。
「方法は二つある……お前が神が頭を出さないといけないくらいの一撃を喰らわせる。もしくは、俺が代わりに頭を見つけてそこでお前がトドメを刺すか」
はあ? という反応が聞こえる。
「見るのが危険だと言っておいて自分から探すのか?」
「俺は天のことが大事だ。ちゃんと怪我しないで戻ってほしい。そのためなら、俺はいくらでも怪我してやる」
無意識に、そんな言葉が出たのだった。そしてそれは舌打ちで返される。
「……救えないな貴様は。意味のない犠牲を自分から望むなど。少しは頭を使え」
胸倉を掴まれる。怒りの表情がすぐ眼前に迫る。
「天はな、貴様も大事だと言ったんだぞ。くだらん自傷をして天がどう思うか、考えもつかないのか」
「———」
はっとさせられた。俺はまた、自分を傷つけるようなことを考えて……。
「ごめん……」
「ちっ……気に食わん。貴様の提案なら前者の方がマシだ。それならできる。すぐに終わらせてやるから待ってろ」
俺を降ろすとヤツは外へ歩き出す。
「私は、天を置いて消えることなど絶対にしない」
そう、言葉を残して。
アイツに俺の性質を糾弾された。正しかった。アイツの、自分を傷つけるのはやめろという意味の言葉は何も間違っていない。
あの苛立つような目と声の中には失望があった。
俺も天は大事だ。そして天を大切にしたいアイツの気持ちも、納得したわけではないけど確かに本物だ。でも俺とヤツの違うところは天のために自分はどうするべきかという意思だ。
ヤツは自分も共に生きる事こそを覚悟している。でも反対に、俺は。
どうして俺は天のことになると自分自身を無視してしまう?
天と一緒にいることを心に決めているアイツが、よっぽど俺よりマシじゃないか。
「待って」
戦いに向かう剣に呼びかける。
「まだ何かあるのか」
振り返らずに立ち止まり、そう問われる。
「いや……ずっとお前の名前聞けてないと思って」
「今その話をする必要があるのか」
確かに必要は無い。ただ。
「天とずっと一緒に生きてきたお前のこと、ちゃんと知らないと、ダメだと思って」
数秒、何も話さない時間が訪れた。その間に外では大きなものが軋んでいるような音がずっとなり続けていた。
「天は、私の名が公になることを望んでいない」
剣は一言そう言い残し、外へ出た。
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