新開/あなたの呼び声-3 曖昧/肯定
天の背を追いかけて再び外に出る。相変わらず海は荒れていて、更には風も強くなっていた。額にぴたぴたと小粒の雨が当たり始める。
崖の上に彼女は一人。さっきみたいに海を眺めている。
「天!」
呼びかけると彼女は振り返った。ヤツが入っている状態なら絶対無視していただろう。
「近衛さん……」
天の元に走り寄ると静かに俺の名を呼んだのが聞こえた。
「……ごめんなさい。やっぱりわたしにはわからない」
俺の姿を見たくないと言うように再び前を向いた。
「わからないって……俺の行動が?」
天は僅かに頭を動かす。肯定なのか否定なのか判別つかない。
「……自分が、わからない」
「自分がって……」
すると天は座り込んだ。そして持っていた刀を強く抱きしめる。
「近衛さんがわたしに向けてる気持ちははっきりしてた……でも、わたし自信の気持ちがわからない。あなたのことを本当はどう思ってるのかってずっと悩んでる」
「わからないって……さっきと言ってること違うぞ。嫌いって、はっきり言ったじゃないか」
「でも、近衛さんが大事って気持ちもある」
首を振りながら、そう答えた。
「わたしのために怒ってくれたとき……嬉しかった。この間の事件だって、あなたは会ったばかりの瑠璃ちゃんのために怒っていた。誰かのために怒れるってコトがなんなのかは結局わからないままだけど、でも、それが良いことなのは、すごくわかる」
その声色には優しさが含まれていた。後ろで彼女の言葉を聞き続けていたが、きっと天は微笑んでいる。顔が見えなくてもそれはわかった。
「……だから。同時に近衛さんの気持ちが嫌いだと感じた自分がわからないの」
しかし声は下がる。
「あなたのこと……わたしは好意を持ってるのか、それとも嫌ってるのか……どっちなんだろうって、今悩んでる」
その話の続きをするのに洞窟に戻りたいと一瞬思ったが、やめた。後ろ合わせになるように自分も座る。
「ああ、そんなことで悩むなんて。当たり前のことだよ」
「……どういう、こと?」
天の迷いに自分なりの答えを伝えようとする。しかし胸が締め付けられる。また彼女に嫌われるんじゃないか……その不安を直視したくなくて、こうやって背を向けている。
「人に対してさ。好きだとか、嫌いだとかいう感情を同時に持つなんて当たり前のことなんだよ。俺たちの世界では……いや、そもそも。人間がそういう風にできてるんだよ」
「……人って、そうなの?」
「そういうもんだよ。感情豊かだとか、他の動物にはない考える力があるとか言うけど。それはきっと、人の気持ちがすごく複雑だから言える事なんだと思う」
後ろで天が自分の話に耳を傾けているのが感覚でわかる。
「天は、嫉妬って言葉知ってる?」
「……もしかして馬鹿にしてる?」
「いやしてないよ……まあ、その言葉の意味を考えてほしい。人を妬む気持ちがどこから来るのか」
「自分に無いものを相手が持っているのが許せない……そういう意味でしょ」
「そう。その通りだ。でももっとよく考えてくれ。自分に無いものそれ自体は許せないわけじゃないだろ」
「……そう、だね」
「自分でもこれが正しいのかどうかはわからないけどさ。嫉妬って、つまりは好きと嫌いが混ざってるから生まれる感情なんだと思う……天は、俺が誰かを思う気持ちが嫌いだと言ったけど、同時に嬉しいものだとも感じた。本当は天もそうなりたいって思ってるんじゃないか」
「……そうなのかな……それはよくわからない……」
「合ってなくてもいいよ。推測で言っただけだし。別に間違ってたっていい」
まるで先生みたいなこと言ってるなと省みる。人に教えを垂れるほど大人じゃないだろ、俺。まだまだ感情に引っ張られる子どものクセに。
でも、これだけはどうしても言いたくて、口を開いた。
「だから天は、人間だよ」
「……え?」
「俺は天が特別な人だなんて思ってない」
後ろでさら、という衣擦れの音がした。
「むしろそれを聞いて、天も俺と同じ人間なんだなって安心した」
「どうして?」
「天の悩みが、人として当たり前のものだったから」
言い切る。
きっと天は怪訝な目で俺を見ているだろう。そんなはずない、と否定したい気持ちでいっぱいなんじゃないか。
「だから、そんな深く考えなくていいよ。曖昧でいいんだ、人の気持ちなんて。はっきりさせようとすればするほど、沼にハマっていくから。好きでも嫌いでも……折り合いをつけていられれば、何の問題もない」
「答えが、無くてもいい……」
「有っても無くてもいい。どっちかを取ってもいいし、取らないままでもいいし、どっちも取ってもいい」
天の乾いた声がする。
「難しい。人って難しいんだ」
「うん」
そっか、と納得したような声。
「近衛さんは、どうしてそんなことがわかるの? それとも、この世界で生きてる人はみんなわかってることなの?」
「さあ。でも少なくとも」
立ち上がりながら答える。
「俺は人間観察が好きだから」
と、わざといやらしく答えてみた。
無表情だった天は、なにそれ、と笑った。天の、人間らしい一面を知ることができてすごく嬉しかった。
「———じゃあ、ここを出なくちゃね」
暴れたままの波を見て天は言った。
「さっきのアイツは、ずっとここにいていいって言ってたけど?」
「……きっと悪意はない。この子はずっと、わたしのために生きてくれたから。でも今日くらいは、わたしの我がまま聞いてもらおうかな」
「我がまま?」
口元を緩ませる天。
「わたしも、傲慢な自分になる」
段々と酷くなる天候。空は黒雲で満ちていたが、反対に彼女の声と目は透き通っていた。
「……ああ。一緒に帰ろう」
二人で水平線を見つめる。この境界の奥のまた奥に、元の世界があるはずだ。
「……って、どうやって?」
と、馬鹿みたいな聞き返しをしてしまった。帰るための策を全然考えてなかった。
「ここにわたしたちを連れてきたのは、神様だって聞いた」
鞘に収まったままの刀を目の前に突き出す。鞘に手をかけ、そのまま刀身を引き抜いた。
「神様を倒せば、多分帰れる」
そう言い残して天は目を閉じた。
「そんな無茶苦茶な……」
何か作戦を立てようと言おうとしたものの、その前に天は眠ってしまった。
雰囲気ががらりと変わる。
人間らしさがあった彼女は、鉄のように硬い冷徹な剣士へ変わっていった。
ヤツはゆっくりと目を開いてギロリと俺を見た。
「……」
有無も言わさないという意思が視線だけでわかった。
「貴様のこと、私は認めないからな」
そう言い捨て、彼女は崖から飛び降りた。
「はっ!? ちょっと!」
慌てて見下ろすと崖から海面までかなりの高低差があった。十メートル近くはある。さっきまで海面と崖の高さはそこまで差は無かったはずなのに、まさか錯覚だった?
海に向かって落ちていく剣女。彼女は海面に直撃する前に全力で刀を振り下ろした。一瞬切り裂かれた波は飛沫を上げ、そのまま剣士は黒い水の世界に飲み込まれていく……
ことはなかった。
彼女が切り開いたところからたちまち底の見えない真っ黒な大穴が出現した。そこから法螺貝のような音が鳴り響き、同時に暴風が彼女の身体を突き上げていった。
そのまま上空へと弾き出される剣女。空中で安定しない視線をなんとか地面の方に合わせ、そのまま近衛槙のすぐ横に目掛けて落下していった。
地面に剣を突き刺しながら彼女は着地した。
「うわっ!?」
ざっと見、上空を五メートルくらい飛ばされていたはずだ。そのままこの岩の大地に着くなんて想像しただけで怖気がする。第一に彼女は裸足だった。足元からじわじわと赤いものが流れている。
「おい……! ちょっとは天の身体も大事にしろよ!」
「すぐ直る。下がってろ」
その言い方にまたカチンと来てまた怒りが湧いてきたが、再び鳴った法螺貝の音で一気に現実に引き戻された。
凄まじい音圧で耳を塞ぐ。地面が揺れているのはこの音のせいなのか。とても立っていられずに座り込んだが、目の前のヤツはずっと真っすぐに立っていた。
「見ろ」
音が鳴りやむとヤツがそう言った。見上げる。
「……なんだこれ……」
まっくろな、きょたい。
鋼のようで、また肉のようでもある触手が高く伸びあがってた。それも一本だけでなく、何本も。
暗いせいでその姿を上手く見ることが出来ない……いや、そもそも。
理解できない。
言葉でどう表現すればいい? この形を。
この、名状しがたきものをどう理解すればいい?
「……ぐっ!?」
直後、脳に電撃のような痛みが走る。ダメだ。アレを見てはいけない。見続けてしまったら、絶対にどうにかなってしまう。
「ほう。今まで様々な化け物と殺しあってきたが」
しかしヤツは平然とその存在を見上げ続けていた。アイツだけはなんともなく正気を保っている。
「これほど大きなタコは初めてだ。いや、ゲソ類か? それも違うか」
淡々と、余裕そうに呟いている。何だか煽られたような気がして心底悔しく思ったが、しかしそれ以上に。
「何であれ。神だろうと仏だろうと、斬り殺せないわけがない」
天の方は無事なのかという心配の方が強かった。
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