佐々木迷宮

佐々木迷宮-1 探索/邂逅

※この回は10,000文字を超えています。ご了承ください。




 年季のある古い電車に揺らされ、手帳を眺めている。そこには取材先への道順が簡単にまとめられていた。


 現代人はスマホのメモ機能を使ってこういうのを記録しておくんだろうけど、俺は古き良きメモ書きタイプだ。


 高校二年生の秋。教師はいつも手書きでノートをとれと言っているが、同級生はみんな黒板の走り書きをこっそり写真に撮っている。確かにノートにとったところで見返そうなんて思わないし、それなら絶対に使うスマホに記録した方がよっぽど効率的だろう。


 ただ、俺はそう思わない。変なこだわりだけれど、『文字を打つ』のと『文字を書く』のとでは後者の方が圧倒的に覚えやすいんじゃないかと思う。


 ……実際の成績は抜きにして。


 ふと、周りを見る。がらんとした雰囲気。色褪せた内装。窓から見えるのは過ぎ去る木々の景色だけ。気持ちも上がらないのはきっと曇りのせい。せっかく自分の腕を試せるバイトが始まるというのに。


 ページを少し戻してバイトの内容を再確認しておく。


 俺をバイトとして雇ってくれたのは親戚の瀬古せこ 逸嘉いつかさんだ。

 俺はその人について詳しく知らなかったが、どうやら高校の新聞部としての活動を耳にしたらしく、ぜひ仕事を手伝ってほしいと両親伝にオファーされたのだ。どうにも、俺の文章の在り方に感動したんだとか。


 瀬古さんとはまだ電話越しで話したくらいだ。かなりクセの強い人だったと記憶している。


「君が楢葉ならは高校新聞部のエース、近衛このえ まき君だね! 活躍はかねがね聞いているよ! 是非ともお話がしてみたかった。僕は君の書く文のファンでね……」


と、とても長い時間俺の記事をお褒めくださった。あまりにも興奮しながら話されるものだから返ってこっちの方が緊張してしまった。


「ええと、それでそれで……ああ! 伝え足りないが仕事の時間が! 続きは直接会った時にしよう! それで率直に言うが、是非君の腕を買わせてほしい。僕の、「お話屋」の仕事を手伝ってはくれないか?」


 ここまで自分の実力を褒めてもらって断らない理由はなかった。結果として俺は仕事の内容を聞く前に了承してしまったのだった。


「なんて返事が早い……! では、とりあえずの僕の指定するある物件に行ってみてほしい。その中に入って見たものを、そのまま君自身の文で表現してきてもらいたい」


 そこが今俺が向かっている場所だ。番地など具体的な場所の情報は伏せるが、人の少ない住宅街に建っている空き家ということだった。

 数十年前に佐々木という苗字の家族が住んでいたらしいが急に行方を眩まし、以来そのままの状態で残っているらしい。

 ……曰くつき物件なのは明らかだ。その場の勢いで行くと言ってしまった俺も悪い。しかし仕事は仕事。瀬古さんは俺の腕を買ってくれたのだ。逃げるわけにはいかない。

 それに瀬古さん曰く、仕事仲間が先に行って待ってくれるとのことだった。


「一人、僕の頼もしい友人が待っているから是非仲よくしてやってほしい。屈強で逞しいやつだ。頼りになるぞ?」


 何をするのかは未だによくわかっていないが、とりあえずはその人を頼ろうと思う。それにしても屈強で逞しい奴……ヤンキーみたいな人だったらどうしようか。



 下車して数分、知らない町を散策する。その町は都心から離れたところにはある、地元の商店街という感じだった。歩いている人は少数でそこまで栄えている町には思えない。


 手書きの地図を頼りに目的地へ向かう。

 途中でコンビニを見つけて何か飲み物を買っておこうと立ち寄った。中には気怠げな店員と、アイスコーナーを物色している少女がいるだけだった。適当なスポーツ飲料水を選んでレジに行くと店員は適当に商品をバーコードリーダーにかざして、ダルそうな声で値段を読み上げた。とりあえず俺も適当に小銭を投げておいた。店から出るころにはアイスの少女はいなくな……ってはおらず、二つのアイスを手に取って比べていた。どちらにしようか決めかねているみたいだった。


  街路を歩きながら瀬古さんの連絡先に電話を掛ける。


「おかけになった電話は電波の届かない……」


  聞きなれたアナウンス。瀬古さんは最初に電話したっきり全然応答してくれない。両親にも相談したが、どうにも瀬古さんの素性はあまりよく知られていないらしかった。仮にも親戚なのに変な話だ。

 瀬古さんの言う「お話屋」が何なのかを聞かなければバイトの内容もわからない。思い返せば思い返すほど、あの声が胡散臭いもののように思えてくるのだった。


「……あ」


 こうして、ながら電話のせいで道を見失ってしまった。手帳を取り出して再び道順を確認する。書いておいた地形図を見る限り道を外したわけではないらしい。腕時計を見て確認する。予定の時間までまだ余裕はあった。

 まあゆっくり行くことにしよう。



  ……と、そうして余裕ぶった結果十分ほど遅刻してしまったのだった。知らない町に来て浮かれていたのか、時間を忘れてしまっていた。

 もう例の人は来ているだろうかと、早歩きで例の場所に向かっていく。


「……うわ」


 目標だった家屋を見て、頭の中の言い訳が一瞬で吹き飛んだ。

 入りたくない。

 見るからにボロボロな廃小屋というわけでも、奇抜な美術館というわけでもない。至って普通な、綺麗な二階建ての一軒家だ。

 しかしあまりにも、綺麗すぎる。


 無償に寒気がする。無意識下で家そのものに恐怖心を抱いている。

 その家は数十年前から放置されている———違う。それは時間が止まっていると錯覚するほどに傷がなかった。見えない氷の中で崩壊を免れているように思えるのだった。

 両隣にある建物も至って普通な建築物だったが少し距離を離して建てられているように見える。この家は、周囲から離されている。何かの間違いがないかもう一度確認してみたが、間違いなくこの家だった。


 周囲を見渡しても「屈強で逞しい人」は見つからない。というか、人一人見当たらない。


 そこで十数分、電柱に寄りかかって静かに待ってみたが全く人の通りが無かった。飲料水を飲みつつ手帳を取り出し、家の外観を記すことにした。


『〇〇市〇〇町〇番。数十年前に夜逃げして以来空き家となっている佐々木家宅の様子。まず、人を寄せ付けない不気味な雰囲気がある。露骨なほどに邪悪な空気感というよりは、目に見えない潜在的な不気味さがなんとなく感じられる。

 外見は普通の二階建ての一軒家。白い壁に三角型の茶色い屋根。ツヤのない黒いドア。閉められたカーテンが見える窓。洋風の雰囲気。全体としてそうだが数十年も空き家のはずなのに古びた様子がない。特にカーテンは白いままで穴も空いていないように見える。誰かが掃除しにきていると考えれば妥当だが、まだ家の中で人が生活しているように思える。

 どうしても空き家とは思えない。今でも誰かが大事に家を守っているような。いつ誰が入っても問題がないように管理されているように思える』


「一度入れば出られないように……」


 観察して得た主観をまとめておく。なるべく具体的に。後から見返したときに鮮明にその記憶を再生できるように。

 俺にとってメモとは映像の記録媒体と同じだ。書くという行為を通して、より鮮明に、細やかな部分でさえ脳内に映像として残す。カメラも使ったことがあるが、あれは基本的に画角全体を記録するもので一つ一つのパーツを詳細に保存するわけじゃない。もちろん使い方によっては脳内映像と同等のクオリティで記録することができるだろうけど、生憎そこまで通ではなかった。だから手帳に書くのが一番手軽で正確に記録できる方法だった。


「周囲の建物は、若干、離れた位置に、建てられているため、より一層孤独感を、強くしている……」


 口に出しながら書くのは癖だ。


「家の前に、女の子が一人、歩いて止まった。カラフルな帽子に赤いジャージ……縞格子のスカートで軽そうなリュックサック、……身長の半分以上はありそうな、細長いものを入れた紫の袋も背負って……ん?」


 女の子?


 はっとして前を見ると確かに一人の少女が家の前に立っていた。彼女は確か、コンビニでずっとアイスとにらめっこしていた子だ。観察に集中しすぎて少女が来たことに気づけなかった。音も無く、すっと現れた感じだ。

 ペンを止めてしばらく少女を観察してみる。少女はその場でぴったりと留まって家をじっと見つめていた。もしや、この家に何か縁のある人だったりするのだろうか。


「……あ、ちょ!?」


 声が漏れ出る。

 少女が突然エンジンを吹かしたバイクのように走り出し、そのまま中に入っていってしまったのだ。少女の初動の速さに呆気にとられる。

 彼女が家の扉を開けた、ようには思えなかった。俺が彼女を見つけたときにはもう、ドアが音もなく開いていたのだ。

 その少女を追いかけるように、俺自身もその家に向かっていった。


「失礼しまーす……」


 囁きと大差ない挨拶をして玄関に足を踏み入れる。足音を立てないようにそろりと中へ。周囲に警戒しながら前進していく。

 中は薄暗く、入り口からの光を頼りにしないと内装は見えにくかった。それでもかなり丁寧に掃除されていることは視認できた。思った通り、誰かがこの家を綺麗にしている。だというのに人の気配が丸っきり欠けている。さっき入っていった少女もまだいるとは思えなかった。靴置き場には何も置かれていないため恐らく土足で入っていったのだろうかと考えたが、それなら足跡が残っているはずだった。しかし目の前には綺麗なフローリングが伸びているだけだった。まるであの少女が幻だったのではないかと思えるほどに。


 靴を脱いで上がる。敷かれたマットを踏むと柔らかな感触があった。明らかに最近のものだ。そのまま手帳とペンを手に持ちながら一階を散策する。とりあえず一部屋ずつ回っていくことにした。


 テレビとソファが置かれた部屋に入る。家族団らんを過ごすための部屋に思える。

 白いソファに触れるとこれも古くないものの柔らかさがあった。前には角の丸い木材のテーブル。軽く小突くとコンと硬い音が帰ってきた。そしてテレビの方も最新の液晶画面のもので、指でこするとキュイ、と音が鳴った。埃はついていなかったが代わりに指紋がついてしまったので咄嗟にハンカチで拭きとった。

 閉じられたカーテンからはほんの僅かに外の明かりが漏れている。少し捲るととんでもない景色が……あるわけでもなく、ただ道路が見えるだけだった。


 キッチンらしき部屋に入る。

 キッチンといえばよく汚れてしまうイメージがある。流石にここは多少汚くなっているだろうと思っていたが、さっきの部屋同様、綺麗に掃除されていた。

 部屋の中央には背の高い茶色のテーブル。恐らくここで食事をとるのだろう。棚に納められているのは真白の皿。ガラス窓は透き通りすぎていて、向こう側にある食器の美白さをそのまま芸術品のように映していた。

 忍びないがシンクを覗いてしまった。しかしこれもまた驚くべきことに水垢一つ見えない。まるで新品のものをそのまま残しているようだ。隣のコンロも焦げ跡のない漆器のような黒さを保っている。

 特にこれ以上調べることもないので部屋を出ようとすると冷蔵庫から、さー、といった音が聞こえた。この家にはまだ電気が流れている。わざわざ開けようとは思わなかった。


 他にも部屋を回ってみたが変わらず手入れがされていて、廃屋らしい不気味さは微塵も感じ取れなかった。

 純潔をこれでもかと突き詰められたこの家は、人をいつでも招待してもいいといわんばかりの美しさがあった。そこにギャップのような印象を持ったのだった。

 置かれているもの全てが隅々まで整えられている。まだ使われてすらいないように。

 しかし同時に理解した。この家には明らかに人の手が加えられている。綺麗で片づけるにはあまりにも手入れされすぎている。新品以上に、純潔を貫かれている。人の痕跡が見当たらないと感じてしまうほどに人の手が伸びている。

 誰かが定期的にここに訪れては掃除をしているのは確実だろう。この所感をそのまま紙に記していく。俺の考えすぎってことも否めなくはないけれど。


「……そうだ」


 さっき入っていった子はどうしたんだ? ここまで気配を感じなかった。入ったことさえも勘違いかと思ったが、さっき見た走る後ろ姿は絶対に現実のものだろう。


「二階は……」


 階段の奥を見る。とにかく暗い。電気は通っているので明かりはつけられるかもしれないが、見渡す限りそれらしいスイッチは見つからなかった。

 とにかく少女の行方が心配なので、スマホのライトをつけて進むことにした。こういうことでしかスマホを使わないのは、それはそれでどうなんだろうとふと思った。


 ぎしぎしと階段は軋んでいる。進めば進むほど黒の深度が濃くなっていく。見えない手すりを掴んでゆっくりと上がっていく。明らかに一階とは雰囲気が違う。ここから先は足を踏み入れてはいけない領域だと脳が危険信号を鳴らしていた。


「こわ……こわい……」


 人は怖い状況に陥ると勝手に独り言をしてしまうんだな、という気づきを得た。もう手帳に状況を書いている場合ではない。


「……帰ってよくないか? でもあの子は……」


 入っていった少女の安否が気掛かりなのは変わらなかった。家に入っていった少女の様子は普通とは思えなかった。まるで突然何かに取り憑かれたように走り出していた。約束の人は来ないし、すぐに家から出たいしで足がすくんでいたが、最低でもあの子だけでもここから引っ張り出さないといけないと勝手に思い込んでいた。

 とにかく、進んでいく。


 二階は一切の光がない暗闇の世界だった。足元をライトで照らさないと足場もわからない。窓が遮光されて外の光が入ってこないのか、それとも窓すら無いのか。歩くたびにぎしぎしと嫌な音が立ち、足の裏に木造の板がへこむような感触が伝わってきた。一階の新品のような雰囲気とは打って変わって、まさしく捨てられた廃屋の中にいるように思えた。


「誰か、いませんかー?」


 声を上げるもなんの反応も返ってこない。それどころか反響すらしていない。

 足元だけを見ながら進んでいく。真っすぐな道が続いていて、曲がり角とか何らかの部屋の扉といったものも見えてこない。ざらざらした木の板が床に並べられているだけだ。ただ……、


「……長くね」


 体感でしかないが一分くらいは歩いたはずだ。なのに、まだ壁に行きつかない。

 かなり奥行のある建物なのだろうか。いや、外観はそんな風に見えなかったし、一階だってここまで面積があるようには思えなかった。


 不安になって立ち止まる。知らないうちに汗をかいていたらしくひたいに嫌な冷え水がつたっていた。

 前後から果てのない虚無が自分を追い詰めているようだった。ゴールのない永遠の一本道でありながら、徐々に押し迫ってくる壁のようでもある。

 長いのに、短い。

 矛盾をはらむ空間に僅かな吐き気を催す。ここから先に行くのは、きつい。


「戻ろう、戻ろう、戻ろう」


 何度も「戻ろう」という言葉を口の中で転がした。ゆっくりと後ずさりしながら、頭の中では、振り返ったら走って逃げようと考えていた。


「三秒、三秒数えたら……」


 三秒カウントしたら実行に移す。そうしよう。


「三……二ぃ……一ぃ……」

 吐息交りの声を震わせる。そして脳裏に0という数字が浮かんだ途端に振り返った。


「ゼロッ、いたっっ!?」


 理解が追いつかない。脳がバグる。だって走ったと思ったらいきなり顔面を殴りつけられたような衝撃に襲われたのだから。


「はあ、なんで?」


 目の前にはとても平面なツヤのない黒があった。それを壁と認識するのに二秒かかった。

 触ることができる。壁だろうこれ。壁以外の何物でもないだろこれ。


「……なんでだよ」


 ドンドンと強く叩いてみるが微動だにしない。

 来た道が消された。最初からそこには道がなかったかのように、音も無く。


 もう一度振り返ると変わらず黒い一本道が続いていた。


「……」


 この先に進むしかなくなってしまった。


 しばらく歩いていると道がいくつかに別れた。右に、左に、そして前の三つに。そして前に進むとまた左右に道が現れる。真っすぐ進むのも気が狂いそうだったので何度か曲がってみたがまた似たようなところに行きつくだけだった。

 歩き始めて数十分、いや、もう一時間は超えているだろうか。何かを考える気力も起きない。歩く力しか残っていない。

 右、左、左、右、右、右、まっすぐに……。

 ふと意識が戻ってくると疲れを認識して膝から崩れ落ちてしまう。


「——————」


 声も出ない。空気が漏れるのみ。飲料を取り出して飲む。

 振り返るとやはり壁があった。何度歩いても壁はぴったりと付いてくるし、走っても距離は変わらない。


「……帰らせてくれ……」


 そう呟いた途端。


 目の前に扉が現れた。


 驚いて後ろに倒れる。それは二階の雰囲気に合わない、一階にあったような洋風の扉だった。木製で光沢があった。


「……」


 後ろにあったはずの壁は消えていた。代わりに道が伸びていた。


「…………」


 選択肢は、一つだろう。


 久々の明かりを受けて目を瞑る。カランカラン、シャランシャランと可愛らしい鈴の音が耳を撫でてくる。足裏にカーペットのふわりとした柔らかい感触。瞼の裏を透かした輝きに慣れてきたところでようやく眼を開いた。


「……うお」


 この家に入ってからずっと素っ頓狂な反応をしてしまう。


「目に優しい……」


 目元を擦りつけて僅かな涙を拭い、部屋を見渡してみる。


 子供部屋だった。

 天井の明かりが部屋を暖色に染めている。壁紙は薄い肌色。床にはピンク色のカーペット。角には色とりどりのカラーボックス。柔らかそうな素材でできた籠の中にはいくつかの女の子の人形が入っていた。ベッドの近くには回り続けている遊園地のようなおもちゃがあり、そこから懐かしい音が鳴っている。


 気が緩んで緊張も解れ、眠気が訪れる。自然とベッドの方に身体が動いていた。


「ふう……」


 ベッドに座ると程よい弾力が返ってきた。寝転がってしまいたいが流石にそこまでは……。


「遊んでくれるの」

「ん……え?」


 横を見ると桃色のパジャマを来た幼女が座っていた。


「え、え、えーと」


 呆気に取られてしばらく押し黙る。幼女のくるりとした黒い目が自分を真っすぐに見上げていた。


「遊んで」


 小さな手が自分の服を引っ張っている。


「……君は、誰?」

「遊んで」


 ぐいぐいと小さな手が衣服が引っ張っている。


「ねえ、遊んで。遊んで」

「わかった、わかったよ」

「やった! やった!」


 見知らぬ子供はぱっと笑顔を見せてベッドから飛び降りた。そしておもちゃ箱に手を入れてガサゴソとかき混ぜている。そして一体の人形を引っ張り出した。

 ロングヘア―の女性の着せ替え人形。


「……?」


 あんなにごちゃごちゃと中身を探っていたのに人形の髪の毛が綺麗に整えられていたのが気になった。


「遊ぼ! 遊ぼ!」

「何をして遊ぶの?」

「お話するの!」

「……お話し?」

「うん!」


 おままごとかなと思いながら動向を見守る。あどけないその子は、床に置かれていたミニチュアで作られた部屋に人形を置いた。


「……あれ」


 こんなものあったっけ。


「あたしがお母さんで、あなたがお父さん!」 


 スーツを来た大人の男性の人形を差し出されて素直に受け取る。


「やろ! やろ!」

「あ、うん」


 自分も人形を置いてこの子の遊びに付き合うことにした。


「あなた、おかえりなさい。ごはんはもうできてるわよ!」

「今日のメニューはなんだい」

「オムライス!」


 お互い人形を向い合せの椅子に座らせる。前にある机にオムライスのミニチュアが置かれる。


「どう?」

「美味しいよ」

「嬉しい!」

「いつもありがとう」

「ダメ!」


 急にダメ出しをされた。


「お父さんは、ありがとうなんて言わないの!」

「……ええ?」


 いや、言ってもいいだろう。


「前よりマシって言うの」

「……前より、マシ」

「次はもっと上手くなるわ!それよりあなた、今日はいくら稼いできたの?」


 生々しくなってきたな?


「そんなことより、もっと楽しい話をしようよ」

「ねえ、いくらなの?ねえ、ねえ」

「ちょっと待って」


 遮るように声をかける。


「……おままごと、こんな感じで楽しい、かな?」


 大分言葉を選んだ。この子は不思議そうに首を傾げながら、

「うん」

と言った。


「そっか……」

「続き!」


 遊戯の続行を急かされる。仕方ないので従うことにした。


「いくら稼いできたの?」

「今日は一万円くらい。大金だよ」

「あらそうなの。もっと期待してたのに」

「ご、ごめんね」

「まあいいわよ!」


 すると人形遊びは次のシーンに移っていった。


「お風呂湧いてるわ」

「じゃあ先に入らせてもらうよ」


 お父さんを浴場らしきところへ移動させる。白い筒の中に人形を入れておく。次はどうするんだろうとその子を見やると、じっと自分を見つめていた。何かのリアクションを待っているのだろうか。


「……気持ちいいなあ」

「そうでしょ!」

 するとお母さんが浴場に入ってきた。

「私も入るわ!」

「……あー、と」


 どう反応すればいいんだ?と迷っているうちに二体の人形が同じ桶の中に入った。


「、こらこら。びっくりするじゃないか」

「いつものことじゃない!」


 ……この子の中では微笑ましい夫婦生活なんだろうか。


「さ、やりましょ」

「何をだい?」

「いつもやってるでしょ」


 お母さん人形の背中側をお父さん人形に向ける。そして、


「痛い! 痛い!」


 と突然喚いてぶつけだした。何度も何度も打ち付けるように。


「どうしたの? ぶってよ」

「……」


 流石についていけない。


「お望みなら何度でも(やめない? この遊び)」


 ……あれ。


「ああ、いいわよあなた! ああ痛いわ!」

「ほおら、まだ鳴けるだろ(身体が動かせない。どうなって)」


 手が勝手に人形を動かしている。口からは意図しない言葉が吐き出されている。やめようと言おうとしたのに自分の声帯に邪魔をされた。


「気持ちいいわ!気持ちいいわ!」

「ふっふっふっ」


 子ども相手に、なんて気持ち悪い。止まれ、俺。


「ああ、ああ」

 止まれって。


「……ふう」

「よかったわ。あなた。とっても気持ちよかった」


 自分に対して吐き気を催した。



 今はこの子は一人で人形遊びしている。二体の人形を寝かせて、何やら歌を聞かせている。


「……」


 俺はとりあえず、正気に戻っている。どうしてあのようなシチュエーションに乗ったのか、それはわからずじまいだ。


「なあ」

「?」

 その子に話しかけてみる。

「君のお父さんとお母さんは?」


 こんなことをしているから何か変な事情があると思って聞いた。


「……」


 流石に、禁句だっただろうか。少女は黙ってこちらを見ている。


「お仕事」 


 まだ帰ってこない、ということだろう。


「さっきのは、お父さんとお母さんのまね?」

「うん」


 素直に答えた。つまり、日常的に子供のいる前でそんなことを……


「お父さんね、いい人」

「そう、なんだ」

「うん。いつも怒るけどやさしいの。よくあたしとお母さんをぶつけどすぐなでなでしてくれるの」


 典型的なDVだった。


「お母さんもね、お料理上手でね、出来立てのお料理すぐ食べさせてくれるの。すっごく熱くてヒリヒリして美味しいの」


 つまり、熱いままで冷ましていない料理を強引に食べさせていると捉えることができる。


「でも痛いだろ。辛くないの?」


 そう聞くと少女は笑顔を見せた。


「痛くてうれしいの!」


 その返答に絶句する。

 少女は人形二つを見せびらかしていた。まるで自慢しているかのようだった。

 この子的は虐待を愛情表現だと思っているのだろうか。


「……そっか」


 他に返す言葉がない。それは本当はダメなことなんだよって諭すべきなんだろうけど、この子はもうそういうものだと認知している。ただの高校生の俺がそれを覆すなんて無理な話だ。それに今の俺の目的は……


「……あ」


 そうだ。忘れていた。この家に入っていったあの少女を探すために来たんだろ。どうしてそんなことを忘れていたんだ。この部屋にいる場合じゃない。


「どっか行っちゃうの」


 立ち上がる途中で話しかけられた。じっと自分を見ている。


「うん。人を探してて。そうだ、君は見たかな。帽子を被ってる女の人なんだけ———」


 すると突然少女が足元にしがみついてきた。か細い腕で自分の足を抱いている。


「ダメ。もっと遊ぼ」

「ごめん。俺は行かないと」

「ダメ」


 中々腕を解いてくれない。仕方ないから少し強引に腕を引き離そうとする。


「……硬っ」


 掴んだはずの腕は石のように硬かった。足を掴む少女の握力はそれほど強くはないのに。


「ちょっと、放して」

「ダメ。ダメ」


 足に顔をうずめながら少女は繰り返す。


「ダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメ」


 突然壊れたラジオのように「ダメ」を連呼しだした。


「遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ」


 言葉は段々と早くなっていく。これは流石に、おかしい。


「———遊ぼ」


 少女が顔を上げた。

 頬の肌の肉がただれ、真っ黒な眼孔が見えた。




 叫んで後ろに倒れ込むとドアを壊してしまった。すると真っ黒な廊下に出る。さっきまで見えていたファンシーな子供部屋は、見るも無残な廃墟の一室に変わっていた。すぐ目の前には衣服も肌もぼろぼろな、ゾンビのような子供の姿が。


「遊ぼ、遊ぼ」


 声色は変わらず少女のままだった。まるで手招きをしているみたいだ。死神が自分を連れていこうとするように。


「はっ、はっ」


 突然の視界の変化に理解が追いつかない。段々と恐怖が頭を覆っていって、ついに背中を向けて走り出した。

 黒い一本道。だが蛇のように曲がりくねっている。とぐろを巻いて、また元の位置に誘致ゆうちする。また扉が見えて、また逆方向に逃げていく。


 しばらく走り続けて疲労困憊ひろうこんぱいになった。走ったのかもわからず、走っていたのかさえわからなくなった。


「あ、……ぐ」


 転ぶ。そして肺から空気がどばりと噴き出る。


「っくはぁっ……な……なんでだよ……」


 果てのない恐怖。終わりのない苦しみ。


「……帰らせてくれよ……」


 そのとき。


「———あ」


 その声に呼応するかのように、救いの手を差し伸べるかのように。

 扉が現れた。


 開けると子供部屋の中央で幼い女の子が一人遊んでいた。その子が自分に気づいて、にんまりと笑った。

なんとなくほっとけなかったので、一緒に遊んであげることにした。


「———うあああああああ!?」


 後ろに倒れ込むとドアにぶつかってコワしてしまった。マックロな廊下にまた出る。さっきまで見えていたファンシーな子供部屋は見るも無残なハイキョの一室に変わっていた。すぐ目の前には衣服も肌もぼろぼろな、ゾンビのようなコドモの姿が。


「アソぼ、遊ぼ」 


 声色は変わらずショウジョのままだった。まるでテ招きをしているみたいだ。死神が自分をツレテいこうとするように。


「はっ、はっ」


 突然の視界の変化に理解が追いつかなイ。段々と恐怖が頭を覆っていって、ついに背中を向けて走り出した。

 黒い一本道。だが蛇のように曲がりくねっている。とぐろを巻いて、また元の位置に誘致する。また扉が見えて、また逆方向に逃げていく。


 しばらく走り続けて、疲労コンパイだった。どれだけ走ったのかもわからず、どうして走っていたのかさえわからなくなッタ。


「あ、……ぐ」


 転ぶ。そして肺から空気がどばりと噴き出る。


「っくはぁっ……な……なんでだよ……」


 果てのない恐怖。終わりのないクルしみ。


「……帰らせてくれよ……」


 そのとき。


「———あ」


 そのコエに呼応するかのように、救いの手を差し伸べるかのように。

扉が現れた。


 アけると子供部屋の中央で幼い女のコが一人アソんでいた。その子が自分に気づいて、にんまりと笑った。

 なんとなくほっとけなかったので、一緒に遊アソんであげることにした。


「———うあああああああ!?」


 ウシろにタオれ込むとドアにぶつかってコワしてしまった。マックロなロウカにまた出る。さっきまでミえていたファンシーなコドモ部屋はミるもムザンなハイキョのイッシツに変わっていた。すぐメの前にはイフクもハダもぼろぼろな、ゾンビのようなコドモのスガタが。


「アソぼ、アソぼ」


 コワイロはカわらずショウジョのママだった。まるでテマネきをしているみたいだ。シニガミがジブンをツレテイコウとするように。


「ハッ、ハッ」


 トツゼンのシカイのヘンカにリカイがオいつかない。ダンダンとキョウフがアタマをオオっていって、ついにセナカをムけてハシりダした。

 クロいイッポン道。だがヘビのようにマがりくねっている。とぐろをマいて、またモトのイチにユウチする。またトビラがミえて、またギャクホウコウにニげていく。


 しばらくハシりツヅけて、ヒロウコンパイだった。どれだけハシったのかもわからず、どうしてハシっていたのかさえわからなくなった。


「ア、……ぐ」


 コロぶ。そしてハイからクウキがどばりとフき出る。


「っくはぁっ……な……ナンデだよ……」


 ハてのないキョウフ。オわりのないクルしみ。


「……カエらせてくれよ……」


 そのとき。


「———あ」


 そのコエにコオウするかのように、スクいのテをサし伸べるかのように。

トビラがアラワれた。


 アけるとコドモベヤのチュウオウでオサナい女の子がヒトリアソんでいた。そのコがジブンにキづいて、にんまりとワラった。

 なんとなくほっとけなかったので、イッショにアソんであげることにした。


「———ウアアアアアアア!?」


 ウシロニタオレコムトドアニブツカッテコワシテシマッタ。マックロナロウカニマタデル。サッキマデミエテイタファンシーナコドモヘヤハミルモムザンナハイキョノイッシ”ニカワッテイタ。スグメノマエニハイフクモハダモボロボロナ、ゾンビノヨウナコドモノスガタガ。


「アソボ、アソボ」 


 コワイロハカワラズショウジョノママダッタ。マルデテマネキヲシテイルミタイダ。シニガミガジブンヲツレテイコウトスルヨウニ。


「ハッ、ハッ」 


 トツゼンノシカイノヘンカニリカイガオイツカナイ。ダンダントキョウフガアタマヲオオッテイッテ、ツイニセナカヲムケテハシリダシタ。

 クロイイッポンミチ。ダガヘビノヨウニマガリクネッテイル。トグロヲマイテ、マタモトノイチニユウチスル。マタトビラガミエテ、マタギャクホウコウニニゲテイク。


 シバラクハシリツヅケテ、ヒロウコンパイダッタ。ドレダケハシッタノカモワカラズ、ドウシテハシッテイタノカサエワカラナクナッタ。


「ア、……グ」


 コロブ。ソシテハイカラクウキガドバリトフキデル。


「ックハァッ…ナ…ナンデダヨ……」


 ハテノナイキョウフ。オワリノナイクルシミ。


「……カエラセテクレヨ……」


 ソノトキ。


「———ア」


 ソノコエニコオウスルカノヨウニ、スクイノテヲサシノベルカノヨウニ。

トビラガアラワレタ。


 アケルトコドモベヤノチュウオウデオサナイオンナノコガヒトリアソンデイタ。ソノコガジブンニキヅイテ、ニンマリトワラッタ。

ナントナクホットケナカッタノデ、イッショニアソンデアゲルコトニシタ。


……………………………………………………………………………………………………


 走って逃げて足を回して、果てに現れるドアはオアシスみたいだ。ここに来れば休めるよ、と。あたしと遊ぼうよ、と。開かれた部屋の中からざわざわと手の花々がいざなっている。


 拒否する理由はない。だって、そこは楽しそうなんだもの。


『来て、来て』


 疲れた身体に子供の呼ぶ声はよく通る。つい笑顔になって、そこに手を伸ばしたくなる。


『遊ぼ。遊ぼ』


 ああ、そうだね。少しだけ、少しだけ遊ぼうか。何して遊ぶ?君の好きなことをしていいよ。


『たくさん遊ぶの!色んなことするの!』


 そっか。なんでも付き合うよ。俺も、なんだか懐かしい気持ちになってきた。


「すぐそっちに行くから、待ってて」


 あまりに急かすものだからなだめてみたけれど、どうやら彼女は我がままを言いたいお年頃らしい。ずっと来て来てと言っている。

 もう少し急いで行こう。じゃないと怒らせてしまう。


 あと数歩。


 九歩。八歩。七歩。

『まだ?まだ?』


 六歩。五歩。

『早く!早く!』


 四歩。三歩。

『もう少し!もう少し……』


 二歩。


 一ポ、



———————————————————————————————————ザン。



 糸が、切れた。


 俺を引っ張り続けていた誘惑がっ切れた。


 正気に戻る。自分と扉の間に、上から何かが落下していた。


「———あ」


 理解に数秒。

 それは人だった。


“カラフルな帽子に赤いジャージ……縞格子のスカートで軽そうなリュックサック”


 突然この家に飛び込んでいった、あの少女だった。

 少女は片膝を立てて着地している。上着がふわりとなびいていた。

 その手には長くてキラリと煌めくものが。 

 光のない世界の中で唯一、あやしく硬い白光を掲げるそれは日本刀だった。


「……いた」


 ようやく少女を見つけた安堵あんどでそうぼそりと呟くと、少女の眼球はこちらに向いた。


 そしてそのままひるがえるように回り、手に持った業物わざもので俺の身体を横にいだ。










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