第26話 ストッキング

クウマが突然訪ねてきた。

クウマの隣にいる男性は、サルバ・トランティーノ伯爵。一度だけお会いしたことがあった。

私の父とは懇意にしているが、この組み合わせは意外だ。


伯爵はにこやかな表情を崩さない。

「お久しぶりです。今日はセレン様にお会いしたくて参りました」

レーラはお茶とミルフィーユを出してくれた。

「ミルフィーユ!僕はこれが大好きでね。ありがとう」


(伯爵は気さくな方なのよね)


「父はいなくていいのですか?私に用件とはどのような事でしょうか?」

「ええ、実はお見せしたいものがありまして…クウマ」

と伯爵が言うと、ケースから何やら薄く、長い布のような物が何枚か出てきた。


「これは?」

「ストッキングというものです。つま先から履き上げて腹部までを覆うストレッチが効いた履き物です」


私はクウマをチラッと見た。

クウマは頷く。何か思惑がありそうだ。


「これを、どうして私に?」

「実は、私の領地では養蚕が盛んでして。雇用の拡大を期待してレディの下履きを開発したのですが…男の私が履いても良くわからんのです。ぜひ一度セレン様にご試着頂けないかと」

「そう…なのですね?」

(それで、なぜ私なのよ…)

クウマが何かを言うとは思えない。

彼女のことは許せていないけれど、クウマの商売柄秘密は守るはずだ。


「履き心地などを教えていただければと。何か改良の余地があれば教えていただきたく…!」

「…わかりました。父と仲良くして頂いている伯爵のお力になれるのなら喜んで協力しますわ」


私はクウマを連れて、レーラと共に部屋を出た。

カーテンを閉ざし、鏡の前に立つ。

カーテンの向こうからクウマの声がした。


「伯爵にはセレン様のことは何も伝えていません。ただ、私がセレン様に試着をと勧めました。聞けば、伯爵はウエストバーデン子爵と懇意にされているとのことで、伯爵もぜひお願いしたいと」

「そう。思惑は分からないけれど、貴方がいるのだから何かあるのでしょう」

私はレーラに手伝って貰いながら、ストッキングというものを履き上げた。


「わ!すごく履き心地が良いわ」

「お嬢様…」

レーラの声が震える。

鏡を見ると、足の文字が綺麗に隠れているのがわかる。

「これは…」


クウマのシルエットは言う。

「肌色で出来ておりますので、素足の様に見えるのですよ。例えば、足に傷を持つ人、火傷の跡が消えない方にも需要があると思うのです」

「クウマさん、なぜ私に?」

「罪滅ぼしなどではありません。そんなことをして許されるとは思いません。ただ、偶・然・そ・の・よ・う・な・も・の・が・出・来・た・の・で・ぜひお納めいただきたいのです」

「偶然…?」

果たしてそうだろうか。


「アリエナさんから聞きました。婚約パーティがあると。宜しければお試しください。お嫌でなければぜひ普段履きとしてもご利用頂けるように数枚お納めします」


私はかつての自分が戻ってきた様な気持ちを覚えた。

鏡を眺め、ストッキングを履いた足を眺めた。


「伯爵に伝えてください。悩みを抱える多くの女性の力になるでしょう、と」

クウマのシルエットはお辞儀をした。




これから、工場を稼働させる準備があるというので、伯爵は長居しなかった。

「ご婚約されるそうですね。おめでとうございます。お父君もさぞお喜びでしょう」

「ありがとうございます…しかし、本当に父に会わなくて良いのですか?トランティーノ伯爵が来たと言えば、仕事もそこそこに飛んでくると思いますが…」

言うと、伯爵は手をひらひらさせた。


「お父君と会うとどうしても飲みたくなってしまいますから…僕もこれから仕事がありますので」

伯爵は笑う。

真面目な顔に戻ると、丁寧にお辞儀した。

「この度はご協力頂きありがとうございます。貴族のご令嬢の意見を聞くことができて、大変参考になりました。ストッキングの肌色が何色かあっても良いという意見、目から鱗でした」

「お役に立てて何よりです」


伯爵とクウマは屋敷を後にした。

去り際、クウマが

「我々の関係について何も聞かれないのですね」

「お名前を伏せられる方にあれこれ追求したところで答えませんでしょう?」

と言うと、クウマは僅かに微笑んだ。





✳︎ ✳︎ ✳︎





「ロレッティはいつの間にセレン様と知り合ったんだい?」

馬車の中、伯爵はクウマの顔を除いた。

「最近知り合いました」

「ふーん」

伯爵は、なぜとは聞かなかった。

それはクウマに寄せる優しさでもあった。


「でも嬉しかったなあ。ロレッティが僕に頼み事をしてくれるなんて」

「ご協力感謝します」

「ロレッティ、今回とても頑張ったのだよ。特に素足に見せる為に工場に何度も指示してさ!」

「ん、はい。お疲れ様です」


伯爵は、キラキラした目で何度も頷く。

「やっぱりやり直さないか、僕たち」

「それはダメです」

「なんで…今でもこんなに仲良しじゃないか…」

「ダメです。私は…幸せになってはいけないことを…したのですから」

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