Ep39. Loyal retainer

 各地区の者たちが石舞台に集まる一時間前。

 一足先にサンレオーネへやって来たシリウスは、ノアとともに、勝手知ったる石舞台の裏側から入った森の石階段を降りた。ここを降りると『サンレオーネの深層』と言われる例の神殿へあっさりたどり着く。

 しかしシオンの力によるものか──この石階段が、これまで何者かに見つかったことはほとんどない。クロムウェル家後代として任についたシリウスでさえ、たまに見失うことがあるほどである。シオン曰く、見つからないときは入ってはならぬときだそうだ。

 幸いに、今日は石階段の入口がぽっかりと口を開けていた。ノアに階段前の見張りを申し付け、シリウスはひとり地下へと降りてゆく。


「シリウス」

 と。

 寝そべった状態のシオンが出迎えた。

 そばでは、獣──ヴィンスを枕にねむるアスラのすがたがある。シリウスがシオンと会うのはこれで十五回目。彼は見るたびこうしてごろりと身を横たえている。

 おまえ、とシオンはちいさく吹き出した。

「不満たらたらって顔だな」

「…………」

「いいのか? レオナ十世の誘拐犯を前にそんな調子じゃ、国家反逆の罪をかぶせられるぞ」

「なにをいまさら──我がクロムウェル家五代目が遺した鉄の掟は絶対。いまさらそれに逆らうくらいなら、胸を張って国家を裏切るまで」

「フフフ。難儀な先祖をもって気の毒だとおもってる、が。そこまで言うなら、地獄の底まで供してもらおうか」

「もとよりそのつもりだ」

「でも」

 と、シオンはちらりと上を見上げた。

「あの少女も巻き込むとは、いけない大人だな」

 あの──という視線の先はなにもないが、まちがいなく石階段前で見張りにつくノアのことを言っている。彼女についてはシリウスにも思うところはあった。もともとこの裏切り行為にノアを巻き込むつもりはなかったからである。

 シリウスはあきらめたように首を振った。

「子どもといえど女は女だ。勘がするどい」

「曲者のロードをじぶんから引き離せば、ノアはどうにでもなるとおもったのか? そういうところが甘いのだよ、シリウスくん」

 とゆっくり身を起こしたシオンが、じっくりとシリウスの瞳を覗く。

 この目はすべてを視る。

 十数回も顔を合わせればいやでも知ってしまう。この男はいま、じぶんの記憶を覗いている。からだは不思議と硬直し、されるがまま時が経つのを待つばかり。やがてシオンが二度まばたきをした。

 へえ、と笑いをこらえる。

「かわいいものじゃないか。話を聞いて、そのうえで自らクロムウェルに供する決意をするとは」

「あれは、俺に従う以外の道を知らねえだけだ。やっぱりロードと離したのは間違いだったかもしれない」

「そうでもない。彼は彼で──たのもしいフェリオの案内人だぜ。すこしちょっかいでも出してやろうかな」

「ほどほどにしてくれ。ロードはともかく、汐夏もいる。アンタの暇つぶしのためだけに、彼女に脳天壊される駒どもが気の毒だ」

「ああ。彼女はおもしろいな、すでに力が発現している──」

「…………」

 と、シオンは瞳を閉じてわらった。

 きっと遠く離れた彼らのようすでも見ているのだろう。まったく、この男を見るたびにシリウスは夢か現実かの区別がつかなくなる。まさしく夢のような男なのだ、この男は。

 うつくしい神殿にひとときの静寂。

 まもなく、獣と寄り添うようにねむるアスラがうめいた。長いまどろみの中からようやく目覚めたようである。齢十三らしいあどけない表情で瞳を開け、身を起こした。

 シオンに微笑みかける。

 それから、シリウスの存在に気がついた。とたん彼女はバツがわるそうに胸の前で手を結んだ。

「おはようございます、アスラ様。ご機嫌うるわしゅう」

「シリウス──」

 どうやら自身らが起こした『狂言誘拐』によって、国家中枢人物たちが混乱をきわめていることについて思うところがあるらしい。さもありなん。此度の騒動をうけてもはや中央閣府は機能停止に陥っている。一国の女王としてあるまじき行動にはほかなるまい。

 しかし真実を知るシリウスに、それを咎める資格もない。

「もはや後戻りはできますまい。しかしこのクロムウェル、地獄の果てまでお供いたします。心配めさるな」

「ありがとう……ありがとうシリウス」

「だがひとつ疑問がある。

「なんだ」

「いったいここから、どう幕を引くつもりだ。なぜそこまで、フェリオ・アンバースにこだわる?」

「…………」

 シオンはフッと口角をあげた。

 ──が、つぎの瞬間には真顔にもどった彼がパッと立ち上がる。

「お呼びじゃねえのが来た」

「?」

「シリウス、上へ戻れ。この場所には何人たりとも立ち入らせるな」

「だれが来た?」

「ウォルケンシュタインの堅物だ」

「!」

 シリウスが上を見上げる。

 よくない。近衛師団長レオナルト・ウォルケンシュタインは、頭が切れて腕も立つ。石階段の存在はシオンの力によって、シオンが許した者しか見えないようになっているというが、いまはノアが石階段の前で見張りに立っている。

 彼にことばで責め立てられたらノアもいつまで閉口していられるか。

 くるりと踵を返し、石階段へと向かう。

 シリウス、と。

 背後でシオンに呼ばれた。

 シリウスの足が止まる。

「ヤツの動向には気をつけろ。いやな画が視えた」

「…………アンタが言うと洒落にならんな、フィン」


 シリウスは石階段を駆け上がる。

 長い長い道のりを経て外に出た瞬間、たったいま出てきた石階段への入口が跡形もなく消えた。先ほどまでぱっくりと口を開いていた場所は、茂る草々が生うるばかり。ワンテンポ遅れてノアが振り返った。

「!」

「待たせたな。異常はあるか」

「いえ。ただ、石舞台の方から声が」

「近衛師団が来たらしい──追い返すぞ」

「…………」

 シリウスはすぐさま石舞台へと向かう。

 すると、森の出口のところであろうことかレオナルトと出くわした。頑強なアーマーを身に着けて、腰元に太く長い大剣を帯びる。彼はシャムール地区兵団のふたりを見た瞬間、片眉をあげた。

「……シャムール。なにをしている」

「貴様ら近衛師団を止めにきた」

「ほう?」

 レオナルトがわずかにわらった。

 シリウスの右手指がぴくりと動く。その背後では、ノアが緊迫した表情で腰元の剣に手をかける。まさしく一触即発の空気である。

「いまの発言は聞き捨てならんな。レオナ様救出を掲げるわれら近衛師団の前に立ちはだかると申されるか。その意次第では国家反逆として糾弾も辞さぬぞ」

「おかしいな、レオナ様救出には誘拐犯であるアルカナ教祖の指定どおり、こちら側からフェリオ以下ふたりの地区兵が選出されたはず。近衛師団の介入は事態を悪化させる危険性がある」

「ならば貴様らはどうだ。フェリオもいないシャムールのふたりが、わざわざこんな森のなかで密会か。なにを隠した?」

「……どうとでも取ればよい。もはや、此度の事が終わればクロムウェルの役目も終わる──」

 と、シリウスはショルダーホルスターから取り出した短銃を構えた。

 すぐさまレオナルトも大剣を抜く。およそ常人ならば両手でも扱うのは難しいだろうりっぱな剣を、彼は軽々と片手で振り上げる。切っ先が振り下ろされた瞬間にシリウスはノアをうしろへ突き飛ばし、自分は横に避けた。

「レオナルトッ。貴様、なにを企んでる」

「どういう意味だ。言ったはず、われら近衛師団はレオナ様救出のため」

「やめておけ。ここサンレオーネにおいて、

 と。

 シリウスはこめかみを抑えて、つづけた。


「──まさか、とって成り代わる気か。てめえ」


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