Ep37. Guardian

 赤子の取り違え?

 と、声をふるわせたのは欧浩然。

 シャムール十三代地区長シリウスから聞いた話は、およそ信じがたいものであった。現在レオナは十世。つまり取り違えが発覚した三世のころより七人ものレオナたちが、無力を隠し、年始啓示や臨時啓示を民へおろしていたということ。およそ三百年ものあいだ、王家、中央閣府以下すべての人間が騙されていたという衝撃事実に、ハオだけでなく蒼月や比榮も驚きをかくせていない。

 しかし、とハオはシリウスに詰め寄った。

「年始啓示では歴代レオナが、かならずお役目を果たしたのはちがいない。ほんとうに無力というなら、いったいどうやって?」

「急くな。話にはまだ、続きがある」

 沈痛な面持ちでシリウスがつぶやく。

 話は、それから四年後に飛んだ。


 ────。

 年始啓示という晴れ舞台。

 クロエはヴィンセントの指示のもと、忠実にレオナの役を貫徹した。

 啓示を得るには、レオナがひとりで、サンレオーネ神殿へ赴くことが規則である。その規則を逆手にとったヴィンセント。あらかじめフィンを神殿内へと待機させ、ひとり来訪したクロエに対して、サンレオーネからくだされた黙示を伝えるという形をとった。規則のとおり、儀式のあいだは他者いっさいが立ち入らなかった。もちろんヴィンセントでさえも。

 ゆえにこの作戦は、いとも簡単に成功する。

 啓示の儀式を終え、クロエは閣府長と司教とともに閣府へ。そのころにヴィンセントがこっそりと石舞台の裏でフィンと落ち合う流れ。

「うまくできたかな?」

 と、合流したフィンは不安げだった。

 ヴィンセントは手放しで彼を褒めた。

 いつも小言ばかり言われるフィンにとって、その称賛はあんまりにうれしくて──彼はこのとき決意する。クロエの影武者になる、と。


 事件が起きたのは、それから四年後。

 クロエとフィンがともに十歳の節目を迎えた年である。前年に第一夫人の実子が誕生したウォルケンシュタイン家のなかでは、フィンの居場所が殊更なくなっていた。

 第一継承権は異母弟へと移り、成長すれど家訓にそぐわぬ行動ばかりのフィンは、もはやウォルケンシュタインのお荷物でしかなかったのである。ゆいいつ、心安らげる瞬間はといえば、やはりクロエとヴィンセントと三人でこっそり会う瞬間だった。

 その頃になると、クロエも本格的にレオナ三世としての勉強がはじまったので、会う回数は極端に減っていた。けれど、フィンの現状をおもえばこの時間を失くすわけにもいかない──として、多忙な合間、無理をしてでも三人の時間をつくるようにしていたのだが。

 その日、セント地区に熱波が襲来。

 茹だるような暑さだった。

 近ごろのヴィンセントは、連日つづく暑さのせいか、はたまた加齢によるものか、ひどく体調を崩していると聞く。もはや世代交代も視野に入るのではないか──という声も聞こえるほどに。

 ゆえにこの日は、数年ぶりとなるふたりだけの遊び時間であった。

 この頃になると、フィンもだんだん自身の力を把握しはじめていた。クロエとふたり、ヴィンセントの見舞いに行こうと、最近会得したばかりの『テレポート』でクロムウェル家への移動を試みる。

 が。

 まだ力のコントロールは不安定らしい。

 到着したのはサンレオーネの石舞台上だった。思いがけぬ場所にたどり着き、ふたりは一瞬困惑した。しかし以前ならこの石舞台、だれにも見られぬ場所のはずだった。しかしこの時は運がわるかった。近ごろ発足したばかりの近衛師団兵が、石塀の外で閣府長直々に、パトロールルートを決めているところだったのである。


「クロエ様!」


 と、だれかが言った。

 その呼び声によって、アダン・スカルトバッハ閣府長以下師団兵たちが、石塀のなかを覗きに来た。フィンはあわててクロエの手を引き、円柱下の階段を駆けおりる。

 かつて、ふたりの母たちが命を落とした地下墓地へ。

 背後から「まて!」というアダンの声。

 威厳さを見せるため着込まれた近衛師団兵のアーマーの音。

 ふたりは駆けた。

 互いに数少ない、神聖な時間を、場所を、だれにも邪魔されたくなかった。

 しかし、ここ数ヶ月の無理が祟ったか、クロエが道中倒れた。フィンがあわてて庇い起こす。けれど彼は、熱中症によるものか脱水症状を起こして、ゼェゼェと呼気荒く苦しんでいる。

(オレじゃあ助けてやれない……)

 フィンは泣きそうな顔で、彼を抱きしめた。

 クロエは朦朧とした意識のなか、フィンの腕に手を添える。

(ヴィンス。たすけてヴィンス)

 手がふるえる。

 ヴィンセントが来ないことは分かっている。フィンは深呼吸をひとつして、意識を集中した。

「クロエ。おまえをここから別邸の庭まで飛ばしてやる。自分の家の庭を、ようっく思い出すんだ。いいね?」

「ん……うん……」


「ラ ハ ポタラ テレ ガーデ!」


 小声でさけぶ。

 すると、腕のなかのクロエがたちまち光り輝いて、まもなくそのすがたは跡形もなく消えた。

(できた! …………)

 大量の汗をぬぐう。

 きっとクロエは大丈夫。あとは──。

 フィンの耳が遠くの足音を聞く。確実にこちらへ向かっている。

 もう疲れた。

 脳裏にそんなことばがよぎる。弱冠十歳にして、彼はこれまでの人生であまりに人の悪意を受け取りすぎた。もっと、もっと単純に、愛されたかった。

 せめていま、ヴィンセントに会えたら。

 きっとまた三人でたのしい時間を。

 フィンはぽろりと涙をこぼして、自身の胸に両手を当てる。

 消えてしまいたい。

 ここではない、何処かへ。

 駆け来る足音が間近になる。


「ラ ハ ポタラ……ミ マム」

「フィンッ──」


 背後からアダンの声。

 しかし、フィンはそちらを振り返る間もなく、光りに包まれて消えた。

 光の粒の名残とともに立ち尽くすは、フィンを追ってやってきたアダン・スカルトバッハ。目の前で忽然と消えたウォルケンシュタイン家の長子は、この日以降すがたを消した。


 ────。

 ──ン。

 フィン。

 呼びかける声が聞こえた気がして、目を開ける。

 光に包まれるまで薄暗い深道のなかにいたフィンはいま、うすく陽光が射し込むあの場所にいた。かつてレオナが過ごしたという神域──サンレオーネ神殿。

 ふかふかとした寝心地に気が付いた。

 目を開ける。

 いつぞやの獣が、フィンに寄り添ってねむっていた。

「…………」

 どのくらい眠っていたのか。

 フィンは起き上がる気力もなくて、ごろりと寝返りを打つ。

(もういっそ、ここで死んでしまおうか)

 と。

 まどろみのなかで思ったとき、額にぬくもりを感じた。このぬくもりは知っている。フィンは目を開けた。

 目前に、やわらかい笑みを浮かべたヴィンセントがいる。

 しかしそのからだはうっすらと透けている。

「……ヴィンス?」

『フィン。怖かったろうに、よくがんばった。偉かったな』

 彼はフィンの頬に手を添えた。

 けれど肉体的な感触はなくて、浮ついたぬくもりがぼんやりと肌を温めるのみ。それがどういう意味を持つのか、齢十の少年にも分かった。

 フィンの瞳から涙がこぼれる。

「どうして。そんな、ねえ──ヴィンス。ヴィンセント!」

『泣くことはない。泣くことはないのだ、フィン。これは悲しいことじゃないのだよ』

 けど、とヴィンセントは困ったようにわらった。

『想定より早かったな。もう少し、お前たちがひとりで立つくらいまでは、そばで生きて、居たかったのだけれど』

「いやだ……いやだ、ヴィンス」

『しかしこのすがたになればこそ、こうしてお前のもとへ駆けつけることができた』

「う、う……」

『心配ない。お前が一人前になるまでいま少し、このすがたでなら共に在れる。フィン、おまえはひとりじゃない』

 ひとりじゃないのだ、と。

 クロムウェル邸の私室にて容態が急変し、四十三歳という若さでこの世を去ったシャムール五代目地区長、ヴィンセント・F・クロムウェル。彼はフィンがこの神殿内にて齢十八を迎えるまでのあいだ、彼のたったひとりの話し相手として、このサンレオーネの地に在りつづける。

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