Ep26. Renegade

 午前六時半時。

 ランゲルガリア邸からクレイが出てきた。薄黄色の外套で防寒し、邸前に待機させていた馬車へと向かう。ふたり乗り用の小ぶりなクーペ。扉に手をかけたクレイの手が止まった。

 首元にひやりと、無機質な冷気を感じた。金属である。

 クレイは呆れたように首を振った。

「どういうつもりかしら。……ラウル」

「それはこっちの台詞だよ、クレイ」

 と。

 クレイの首元にうしろから大鎌の刃を押し当てるは、デュシス地区兵団副官のラウルだった。白昼堂々の犯行に馬引きが「ひぃ」とたじろぐ。が、クレイは手で制す。顔には余裕の笑みすら浮かんだ。

 戯れはおやめなさい、とクレイがつぶやく。

「お話があるなら馬車にどうぞ」

「密室でぼくをころす?」

「人の首元に刃を突き付けているのはだれ? すくなくともわたくしにそんなつもり毛頭ないわ」

「……サンレオーネへ行くんでしょ。なんのために?」

「ふしぎなことを聞くのね。この混乱のなか、地区長が舞台の中心地へ行くことになにか疑問が?」

「それだけじゃないよね、クレイ。きみがさっき司教様になにしたかぼく知ってるよ」

「……あら。なにをしたのかしら」

「とぼけないでよ。こんなガキに言わせたいの? いい趣味だね」

「そう? とりあえず」

 一瞬。

 クレイのすがたが消えた。ラウルが目を見開く。

 彼女は刃から逃れるように身を屈め、素早く足を払ってラウルの態勢を崩す。直後、ふところから抜き出した短刀をラウルの首元へ押し当てた。まばたきの間の出来事だった。馬引きはとうとう逃げ出し、大鎌を構えるラウルは喉をひきつらせた。

 一瞬にして形成逆転である。

「人の喉元に刃を突きつけるのは、お行儀がよくないわね。貴方のところの地区長さんはいったいどんな教育を施しているのかしら──」

 と。

 短剣を握る手に力がこもる。

 その瞬間、パンッと軽い音がしたのと同時にクレイの手中から短剣が弾かれた。短剣は地面にころがった。柄を握っていた手がじんじんとしびれる。

 クレイが忌々しげにランゲルガリア邸の屋根を見上げた。

「……貴方もね、リベリオ」

「文句ならルカさんに言ってよ」

 屋根から地面へ飛び降りた影。

 地区兵団の士長、リベリオが狙撃銃を担いで馬車の方へとやってくる。彼はぐいとラウルを引き寄せてから、クレイにむかって顎をしゃくった。馬車に乗れ、と言っている。

 クレイは肩をすくめた。

「貴方たちの暴挙のおかげで、馬引きが逃げたわ」

「問題ないっしょ。むしろひとり分の席が空いた」

 といってリベリオは、ラウルを馬引きの席に座らせた。それからクレイとともに馬車へ乗り込む。

「サンレオーネまでよろしく頼むぜ、馬引きサン」

「ちぇっ。勝手に別行動しといて、さいごにおいしーとこだけ持ってくんだから」

「…………」

 クレイがクーペから外を覗く。

 ランゲルガリア邸に勤める使用人たちが、ハラハラした顔で馬車を見ていた。クレイはひらりと手を振ってみせる。大事にするな、と意味を込めて。聡明な彼らには通じたらしい。いまだ心配の顔は崩さなかったが、それでも一同がゆっくりと見送りの会釈をした。

「出来た使用人じゃん」

「ええ。貴方たちとは大違い、ねえ?」

「んふ、そうかもね」

 リベリオは眠そうに垂れた瞳を細め、ちいさくわらった。


 ランゲルガリア邸客間にて、意識不明のクロウリー・グレンラスカが発見されるのはまもなくのことだった。バタバタと慌ただしくなる邸内とは対照的に、サンレオーネへと走り出した馬車のなかは呑気なものである。

 クレイは煙管をうまそうに呑み、リベリオはガチャガチャと手元で銃の手入れを始めている。部品を解体しながら「それで」とぼやく。

「──司教のことはどうするつもりなわけ」

「どうって?」

「あれ毒だろ。すぐには死なねーけど、放っておいたらヤバいんじゃない」

「あいにくうちの優秀な者たちは、お客さまを何時間も放置するような気配りのなさは持ち合わせていないのよ。いまごろ、異変には気付いているでしょうね。万が一だれにも気付かれずに死んだところで……それが彼の望みならいいんじゃないかしら」

「望みなの?」

「さあ……自分にはレオナの加護がある、ってずいぶんな自信だったから、試しただけよ」

「加護があるなら死にゃしねえって?」

 と、ここで初めてリベリオは手元の銃から顔をあげた。その表情はうっすら笑みが浮かんでいる。

 ぶっ飛んでんな、と肩を揺らした。

 対するクレイも、悪びれもせずに煙管を吸う。

「盲信するすがたがあまりに浅ましくてね。加護があろうとなかろうと──毒の量によっては生きるし、死ぬのに」

「御三家のひとりともあろうお方が、すげえこと言うじゃん。案外ルカさんと気ィ合うかもよ」

「気が合うなら、わたくしにこんな刺客送り込まないんじゃないかしら」

 クスクス、とクレイは肩を揺らした。

 こんな刺客、とは無論リベリオとラウルのことである。馬引き役のラウルはクーペに背を向けているため、その表情は見えない。が、いつもより馬の扱いが雑になっているあたり、この現状にいささかの不満はあるらしい。リベリオはツンとそっぽを向く。いつの間にか銃の手入れは終わっていた。

「デュシス地区長になにを言われたの?」

「べつに。セント地区長ランゲルガリアが気に入らないから、動向を探れってだけ」

「あら、そんな感情的に動く方ともおもえないけれど。ノトシスじゃあるまいし」

「ハハッ。そんなこと聞かなくたって、アンタがいちばん分かってんじゃないの。胸に手を当てて聞いてみな」

 リベリオの顔から笑みが消える。


「いったいなに企んでんの?」


 馬のスピードがわずかにあがった。

 クーペはガタガタと揺れる。クレイは煙管の灰を、携帯灰皿に落として火を消した。

 彼女の顔もまた、能面のような無表情にもどっている。

「興味よ。ただの」

「キョーミ」

「貴方たちだって聞いたことはあるでしょう。サンレオーネの力について」

「…………」

「セント地区は近衛師団とのかかわりも密だから、ふしぎな話もよく聞くの。神殿を囲む石塀の近くを警備する師団兵は、かならずといっていいほどふつうじゃない感覚を味わうそうよ。みな一様に、サンレオーネ──とくに石塀の奥からは力を感じると言うわ」

「それが?」

「わからない? 力よ」

 クレイはうっとりした顔で虚空を見つめた。

「わたくしはおもうの。みな気が狂ったように力を持つレオナを選ばれし者とさけぶけれども、ほんとうにそうなのかしらと。けっきょく力を持つのは現代レオナではなく、サンレオーネなのではないかって」

「…………つまりアンタ、」

「レオナだけがあの場への立入をゆるされる。ならば、ほかの人間が立ち入ったなら、どうなるのかしら。それが気になって仕方がないのよ」

 といって、クレイは閉口した。

 リベリオは目を伏せる。彼女の意見にとやかく言う気はない。むしろ彼女がそのような思考をもっていることは、すでに聞くところにあったからである。


 ──ランゲルガリアの動向を見張ってくれ。


 先刻、上司ルカから受けた指示。

 彼はかねてより、クレイがレオナ教に対して疑問を持つことを察していた。此度のアルカナ反乱を受けて、彼女がなにか動きを見せる可能性があると踏んだらしい。

 彼は言った。

 ──ランゲルガリアには気をお付け。

 ──近衛師団長……あの堅物すらぞっこんにさせる魅力があるらしい。

 ──おまえも、彼女のことばに篭絡されないよう。

 あいまいな微笑みとともに。


(オバんはごめんだとおもってたけど)

 リベリオは手元の銃を無意味にいじった。


(たしかに彼女の話はなかなか興味深いぜ、ルカさん)


 馬車はまもなくサンレオーネ入口へと到着する。

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