Ep21. Run through the dark
一方、時は前夜にもどる。
事件発生から約九時間後の午前二時、王家別邸に阿鼻叫喚が響き渡った。
近衛師団長レオナルト・ウォルケンシュタインが、サーベルで人体を一突きしたためである。倒れたのは、今回の占拠事件の容疑者であるアルカナ教団員のひとり。肉体から垂直に立つサーベルを引き抜く。邸に充満した煙の臭いが鼻腔をつく。
同時に、邸奥から来る足音を聞いた。
身構えたが、足音に混じるプレートアーマーの音でレオナルトはようやくサーベルを腰元にもどした。
やってきたのはひとりの師団兵。
「首尾は」
「仰せのとおり火を放ったことで教団員のあぶり出しは成功しましたが、肝心の教祖シオンは、すでにレオナ様を連れてサンレオーネ方面へ逃げたかと」
「…………」
レオナルトは足元の死体を足蹴に大きな窓枠へと近づいた。
邸の外には別邸にて人質にされていた者たちが、続々と解放されてゆくのが見えた。おそろしい体験を前に身がすくみ声も出せないらしい。みな身を寄せ合ってこの寒空の下ぶるぶるとふるえている。
ぐっと身を乗り出して上を見れば、三階部の窓から煙がもうもうと立ち込めるのが見えた。
「教団員は」
「二階の一室にまとめております。人質をすべて解放したのちまとめて連行する予定です」
「何人だ?」
「邸内にいたのはぜんぶで二十三名。……そのうちこの者を含め、抵抗により始末したのが六名です」
「雑魚がずいぶんと群れたな」
「こののち、地区兵団員を数名こちらに寄越すと一報が入りました。向こうはむこうで教団員から話を聞きたいと」
「無駄なことを」
レオナルトは目を細めて、窓の外から視線を外した。
「教団員は始末しろ」
「は、……全員ですか?」
「アルカナの心中自殺とでも見せかけろ。地区兵団ごときに、やすやすと首を突っ込まれるのは感心せん」
「…………ただちに」
「部屋は燃やしすぎるなよ。邸全体が燃えてもしようがない」
師団兵は気を付けの姿勢をとり、身をひるがえしてもと来た道をもどっていく。
レオナルトはぐっと顎をあげる。ふたたび窓越しに外を見た。
「王家。黙示。……サンレオーネか」
行かねばなるまい。
彼は口内でつぶやく。瞳に宿る緑のほのおを隠すように、レオナルトは目を閉じた。
※
ひとつの影が闇夜に忍び、別邸から脱出した。
月のない夜中はとたん彼の世界となる。黒い頭巾と顔布に、黒の装束を身にまとい、風をきって闇を駆ける。まもなく東の方角からもうひとつの影が合流した。そのふところには数冊の本が忍ばせてある。やがて影は中央閣府内のアナトリア執務室へと駆けもどった。
室内にはひとり、蒼月剣十郎が控えている。
「もどりました」
由太夫と比榮である。
蒼月の足もとにかしずき、主のことばを待つ。
「ご苦労。結果は如何」
「まず、別邸内偵につきましてはこの比榮から」
と、頬を紅潮させた比榮が手を挙げる。
「近衛師団はすでに占拠集団を鎮圧。邸はあぶり出し作戦にともなう消火活動がはじまっています。また、師団長の命によりアルカナ教団員二十三名が殺害されました。教祖シオンのみ、邸から忽然とすがたを消したもよう」
「口封じのつもりか。幼稚な男だ──ご苦労、比榮。由太夫、そちらの首尾は?」
なんとか、と由太夫がぐっと前に出る。
「ウォルケンシュタイン邸への潜入はつつがなく。ご指定の資料については、四冊」
由太夫がふところにしまい込んだ書物を取り出す。羊皮紙は黄みを帯び、その年輪をおもわせる。
「三百年前ごろに書かれた自家伝記です。──が、ところどころ切り取られたページもありますから、検閲が入った可能性も」
という由太夫の報告をうけた蒼月はぐるると喉を唸らせた。
時刻はまもなく深夜三時をまわる。
フェリオを交えて緊急招集会議がひらかれたのが夜の八時であった。そののち、サンレオーネへ向かうことが決まったフェリオと兵団員のふたりは、明日の出立にそなえて夜の十時ごろにフランキスカの宿屋に一泊。ほか地区兵団たちは各地区長の指示によりそれぞれの任についた。
蒼月剣十郎から極秘任務を与えられたのが、午後十一時をまわったころ。由太夫と比榮は、およそ四時間もの任務を休みなく終えてきたところなのである。
──任務はふたつ、まず由太夫。
──お前はウォルケンシュタイン邸に潜入し、三百年前について記した書物等がないか探せ。
──比榮。お前は、現場を指揮するウォルケンシュタインの動向をさぐれ。
──ヤツはまもなく王家別邸占拠事件の鎮圧に走るだろう。
──双方くれぐれも、何者にも見つからぬよう。
これが、地区長から告げられた極秘任務の内容だった。
任務にわけを聞くのは正しいことではない。由太夫と比榮は、この難題をいともたやすくこなしてみせたわけだが、いまだこの任務についての意図を図りかねている。
ふたりともよくやった、と蒼月はふたたび労いを見せてから苦々しく、
「反乱が起きたいま、もはや隠す意味もなし」
と、ふところからちいさな巻物を取り出した。
由太夫、比榮のふたりはじっと蒼月を見つめたまま、彼のことばを待つ。
こちらもずいぶんと古い。くるくると開かれゆく黄みがかった紙に書かれた、小さな文字が見えた。
「我が蒼月家に伝わる、秘匿黙示だ」
と。
いった蒼月のことばに、ふたりはごくりと息を呑む。
秘匿黙示──いわゆるシークレットリベレーションとは、黙示をうけたレオナがスカルトバッハやグレンラスカを除いて啓示を拒む内容のことである。が、都市伝説的な類で、各地区長の家にも代々伝わる秘匿黙示があるとされてきた。
まさか下卑たうわさがまことのことだったとは。
蒼月は眉をひそめて、つぶやいた。
「これはレオナ二世が死んだとき、我が蒼月の者へサンレオーネより与えられた黙示だと聞いている」
「さ、サンレオーネから」
「レオナ様からでなく?」
由太夫と比榮が顔を見合わせる。
黙示にはこうある、と蒼月は言った。
「【大陸からマレビト来たる。それによりもう一方の箱に入る赤子の子孫が反乱を起こす】、と」
大陸からのマレビト。
もう一方の箱。
──赤子?
由太夫と比榮はぽかんと口をあけた。
「た、大陸からのマレビトとはフェリオどののことですね。地区長は彼の来訪を知っていたのですか」
「……はっきりと知っていたわけじゃねえ。この黙示を残したのは、当時のアナトリア地区長だった我が五代目当主だ。しかし彼女は時期まで書き残してはいなかった。まさか俺の代に来るとはな」
「それで、後半の黙示の意味は? 僕にはさっぱり意味がわからないのですが」
と、比榮が身を乗り出した。
そうだろう、と蒼月は重々しくうなずく。
「この件については、三百年前に起きたある事件を知らねえことにはつながりようもないことだ」
「ああ。それで三百年前についての記述がありそうな書物を、ということだったのですね。しかし自分が中身を見たかぎりは、事件らしきことの記述はなかったようにおもいます。やはり検閲によってその部分を捨てられてしまったのでしょうか」
「いったい三百年前に、なにがあったんです?」
由太夫と比榮。
彼らの無垢な瞳に見つめられ、蒼月は苦渋の顔で語りはじめた。
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