日出卜英斗は思い出したい

 俺は必死だった。

 そして、千載一遇せんざいいちぐうのチャンスが今だった。

 俺と流輝るき先輩の身体能力には、天地の差がある。どちらかというと俺は、家でゲームするのが好きなインドア派なんだ。体力も筋力も人並か、下手すりゃそれ以下だ。

 けど、負けたくない。

 その気持ちだけは絶対、誰に何と言われようと一番だった。


「グッ、ううう……英斗ひでと君っ! さては君、この瞬間を」

「ああ、待ってたぜ! 肉薄の零距離ゼロきょり、これなら」


 流輝先輩が俺のはちまきを握る。

 それは同時に、俺が流輝先輩のはちまきを手に取るのと同時だった。

 そして、その一秒にも満たぬ刹那せつなが互いの明暗を分ける。

 先輩の一秒は、俺の一秒じゃない。

 俺が手にしたこの一瞬は、永遠にも等しい俺だけの時間だった。


「ああっと! 手が滑ったー、いやー、ごめんなさーい!」

「ゲフッ! ぐぬぬ、汚いぞ英斗君! 君はそんな子だったのか!」


 俺の頭から流輝先輩がはちまきを取ろうとする。

 それより前に俺は、勢いをつけて振りかぶるや……。手が滑ったというより、頭が滑った? まあでも、俺だって先輩のはちまきを握ってたから、簡単だった。

 流輝先輩の頭を引き寄せると同時に、自分の頭を加速させる。

 眼の前が暗転して、星空が見えた。

 そして、全てが真っ白になって……それでも俺は、手にしたはちまきを放さなかった。


「よくやった、でかしたぞ英斗! いや、今この瞬間もでかしてる!」


 まことのよく通る声が聴こえて、意識がうっすらと戻る。

 俺の頭のはちまきは……ない。

 俺もまた、はちまきを取られたのか?

 なら、引き分けになってしまう。

 流輝にはちまきを渡してはいけないんだ。


「うおおっ、なんだ……なんなんだっ! そのはちまきを、僕にっ、よこせええっ!」

「ははっ、必死だね流輝! いつになく熱いじゃ、ないか……ハァ、ハァ。さて、英斗クン」


 耳を疑うような台詞せりふだった。

 あの流輝先輩の、必死の叫びを俺は聴いた。

 同時に、沙恋さら先輩の人を喰ったようなチャシャ猫っぽい声もだ。


「引き分けで満足するかい? 流輝は今、そうだね……多分初めてじゃないかな? 誰かに勝ちたいと思ってるし、勝つために自分の全身全霊を使ってる。じゃあ、キミは?」


 言われるまでもない、問われるまでもなく行動で示して見せる。

 そして、そんな俺を支えてくれる竹馬の友がいた。

 幼馴染おさななじみの腐れ縁、今まさに俺を乗せて馳せる騎馬の如き少女がえる。


「英斗、お前のはちまきはまだ、空中だ! いくぞ、はちまきには届かない、から……ることは一つだあああああっ!」


 いやだから物騒だって。

 でも、やることは一つだった。

 スタミナ切れの沙恋先輩は勿論もちろん、アニメ同好会の先輩方も息切れしている。もとより体育会系じゃないんだろうし、流輝先輩の脚はとっくに止まっていた。

 それでも、自分が転落しても構わないとばかりに先輩は身を乗り出す。

 けど、その先に俺は体をじ込んだ。

 丁度、先輩と俺のはちまきの間に全身を挟み込む。

 そして、ブロックした背中は背後で青いはちまきが地面に落ちる音を聴いた。


「っしゃあ! 俺の手に流輝先輩のはちまき! そして、俺のはちまきは後ろに落ちた!」

「――ッ、そんな。ま、まさか……こんなお遊戯ゆうぎみたいなことで」

「遊びでもたわむれでもねえ! 真剣勝負だ! 俺と流輝先輩との、ガチバトル! 違うかぁ!」

「……真剣、勝負……そ、そうだ、僕は何故なぜ……どうして、こんなにも熱く」


 そんなの決まってる、

 俺がそう思うように、流輝先輩もそう思った。ただそれだけの話だ。

 有り余る才能の過積載である先輩にとって、それは新鮮な驚きかもしれない。信じられないと狼狽えるほどにありえない感情なのかもしれない。

 でも、ゲーマーたる俺はいつだって気持ちは、気持ちだけは勝ちたいと思ってた。


「約束、覚えてますよね。俺が騎馬戦では勝ちました……ずっと負け続けたけど、最後に勝ちました! だから、流輝先輩っ! 俺が言った通り、っ、おわーっ!?」


 決め台詞を今まさに叫ぼうとした、その時だった。

 背負っていたまことが、両腕で軽々と同い年の俺をリフトアップする。えっと、ごめん、なに? ゴリラかなんかなの?

 ひょいと俺を軽々と、そして高々と天に掲げたまことは、ポジションを変えた。

 何故か俺を肩車の体制に落ち着けると、腕組み大声で言い放った。


「流輝先輩とやら、そして沙恋先輩! お前たちに優れた運動神経と身体能力があるのはわかった! ……それで? それで、だ……!」


 見守る全校生徒が目を点にしていた。

 周りではちまきを奪い合う、他の競技者も立ち止まってしまった。

 俺はなんか、長身のまことに肩車されたまま、変な笑いしか浮かばない。なんだこれ、ハハハハハ、そんな馬鹿なハハハハハ……とりあえずやけくそで腕組みのポージングだけそろえてみせる。

 俺をかついだまま、まことは仁王立ちでバッサリと正論で切り捨てた。


「才能など、誰にでも一つや二つ、あぁる! お前たちは無数の才能を持っているが、それを鍛えたことがなかった! それが、狭宮流輝はざみやるき、そして狭宮沙恋はざみやされん! お前たちの敗因だっ!」


 え、ちょっと、そういう総括でいいの?

 そんなこといったら俺なんか、普段から何の努力もしてないんだけど。

 でも、天を貫く巨木のごとくそそり立つまことの肩車で、俺は乾いた笑いを浮かべて腕組みふんぞりかえるしかできない。なんか、みんなの視線が痛いような、こそばゆいような。

 けど、流輝先輩はずしゃりと地面に降りると、ふらりよろけて膝を突いた。


「努力、鍛錬……か。確かに、試したことのない要素だ」


 とある製薬会社の大人たちが、狂った盲信に取り憑かれて行った実験の産物。それが、流輝先輩であり、沙恋先輩だ。そして、完全体とも言える万能の人として生まれた兄に対して、妹だか弟だかは致命的な欠陥をはらんでしまった。

 でも、二人共多分、そうだね……自分の持てる力を伸ばそうとしてこなかったはず

 流輝先輩は、極力自分の力を使わないようにしたし、求めて望まれても無視してきた。

 逆に、沙恋先輩は不完全な自分を、欲する全ての人に分け与えてきたんだ。

 二人共、自分を高めて磨くという経験はなかったように思う。

 だから、俺はまことの肩から降りると流輝先輩に歩み寄った。


「流輝先輩。あなたに沢山負けました。負け続けました。でも、最後に勝ちましたよ」

「そうか……いや、でもっ! まだ僕にもチャンスはある」

「うわっ、見苦しっ! ちょっとちょっと、キャラが違いません?」

「違うとも! 変わったんだ! 僕は……負けたことがないからこそ、勝ちたい!」


 流輝先輩は、一人で走り出した。

 地面に落ちた、俺のはちまきを目指している。

 そして、追う俺もまた一人。

 そう、美少女のスキンをまとったメスゴリラことまことはもういない。沙恋先輩だって、へばってそこにへたり込んでいる。

 俺しかいない、俺一人だ。

 でも、それは流輝先輩も同じ条件だった。


「何故だ、どうしてなんだ! 勝ちたい! 勝ちたいと思うのは……負けそうだからか?」

「しらんがな! けど、先輩っ! 今回ばかりはきっちり負けてもらいますよ!」

「い、いやだ……今までこんな感情はなかった。負けたこともなかったのに」

「勝負してこなかったからもあるでしょ! 勝負しなけりゃ、負けねえもんな!」


 俺は体を浴びせるようにして、流輝先輩にタックルした。

 もとよりお互い、騎馬を降りて1on1タイマンだった。騎馬戦のルールがどうとかいう次元を超越していた。そして、理解し合えていた。

 相手のはちまきを取れば、勝ち。

 相手のはちまきを手にしてなければ負けだと。

 それだけのシンプルな数式を共有してて、何故か俺は流輝先輩のことを少しだけ想った。

 ああ、この人はようやく本気になれたんだ。

 本気になってもいいと、俺に思ってくれた。

 そして、負けるんだ。

 俺が負かすんだ。


「ぐっ、はちまきは!? どこだ、青いはちまき――ッ!」


 俺の体力はそこで尽きた。

 一回だけ流輝先輩を足止めした、それだけで行動不能になった。

 けど、そんな俺の腕をすり抜け立ち上がった先輩は……固まった。

 そして、一人の少女が俺のはちまきを拾う。

 それは、誰にとっても意外な人間だった。


「ヒデちゃん、お疲れ様。ゴメンね……わたしのせいもある、よね? だから、これはわたしがもらうね?」


 ハナ姉だ。

 騎馬戦のフィールドに今、見えない翼の天使がいる。それは、チアガールの格好をしたハナ姉だった。その手に今、俺が頭に巻いていたはちまきが握られる。

 すぐに流輝先輩は駆け寄った。


花華はなか! それを僕に渡してくれ! 僕にはそれが必要だっ!」

「……流輝君、初めてそんな顔見せてくれるね。でも、苦しかったかなって。ううん、苦しかったのはわたしも……だからっ!」


 猛ダッシュで迫る流輝先輩の、その手をハナ姉は振り払った。

 そして、撫でるようにペチン! と、そっとビンタでほおに触れる。

 その瞬間、俺の中のハナ姉が本当の姿を取り戻した。


「あんたの負けだよっ、流輝! 潔く認めなっての! わたしも悪かったわ、態度をはっきりさせないで……だから聞いて! 全校生徒も、聞いて!」


 どこからともなくマイクが投げ込まれて、それを空中でハナ姉はキャッチした。

 え? なに、なんなの?

 どうなってるの?


「わたし、卒業したら家を出るから! たちばなの家を出る! だから、誰とも政略結婚はしないし、両親の思い通りにもならない!」


 ああ、そうだった。

 なんで忘れてたんだ。

 この間の夢の違和感はこれだった。


「わたしは橘花華! 花と咲いて華々しく生きる、この御統学園みすまるがくえんの生徒会副会長! そして、今この瞬間に生徒会長の座を引き継ぐ……日出卜英斗ひでうらひでとの恋人、彼女さんだコンチクショー!」


 雄々しく気高く絶叫して、ハナ姉はマイクを大地に叩きつけた。

 美化された思い出は今まで、彼女自身が覆って繕ってきた表の顔と入り混じっていた。猫を被ってたのだ。昔からそう……べらんめぇ調で俺たちを助けてくれる、男子も真っ青の喧嘩殺法で悪ガキを蹴散らす、本当のハナ姉の姿がそこにあったのだった。

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