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父が茜と死んだあと、店のきりもりをするのは鏡太郎の母の仕事になった。
母はもともと心臓に病気を持っていて、とかく体が弱かった。売春宿のきりもりなど自殺行為だったのだろう。彼女が倒れたとき、鏡太郎はようやく15歳だった。
母の病床に付き添いながら鏡太郎は、茜のことばかりを思い出していた。パーマネントをかけた長い黒髪と、白い肌。気が強そうに切れ上がった眦と、それを裏切る柔和な口元。長身の身体に似合う、肌に張り付くようなドレスを好んで身に着けていた。
それと比べると、鏡太郎の母親は随分つまらない女に思われた。色は白いには白いがいかにも不健康に青みを帯びているし、髪は闘病のせいで随分と薄くなっていた。がりがりに痩せた身体には血管みたいに幾筋もの皺が張り付き、時々息子を呼ぶ声にも力はなかった。
鏡太郎には、茜の方が正しく思われたのだ。一番美しいときに、首を吊った彼女が。
母は、未練がましすぎる。ここまで醜くなってまで、なぜ生きたがるのか、15歳の少年にはまるで分らなかった。
売春宿の女たちは、手のひらを返すのが早かった。鏡太郎の父親の死後、あっという間に彼女たちは姿を消していった。母にも鏡太郎にも、引き留められる術などない。それが観音通りの娼婦だ。
その中の一人、ケイ子が少年の腕を掴んだ。
「一緒に来ない?」
母の額に当てる氷嚢を換えようと、母の居室を出てすぐのことだった。長い廊下には、真っ赤な夕日が射していて、少年からはケイ子の表情は黒い影になっていて見えなかった。
赤く染めた髪が目立つケイ子は、茜に次ぐ売れっ妓でもあったし、少年にとっても茜の次くらいに遊んでもらった記憶のある娼婦だった。
頷くことは、母を捨てることだと分かっていた。
それでも、鏡太郎は頷いた。そこから本格的に、鏡太郎の情夫人生が始まったと言えるだろう。
少年は氷嚢を廊下に放り出すと、ケイ子の表情が見えるように、一歩彼女に近づいた。
ケイ子は顔に皺の寄らない、いかにも売りものらしい表情で微笑むと、少年の手を引いて売春宿を出た。
「今出て行くなら、もう帰らないつもりでいなさい。」
ケイ子の口調は明らかに、本気の忠告だった。鏡太郎が何を失うかそれをきちんと教え込もうとするみたいに。けれど鏡太郎は自分が失うものをもう知っていたし、とうにこの家には戻らぬつもりだった。
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