第122話 ウサギの切手

「まだかなぁ」


 縁側に腰掛けていた少女は、母親のサンダルを履いて庭先に出た。垣根の隙間から頭を出し、通りを見渡す。


 今年植えたばかりのキンモクセイは、まだ背も低く、葉の密度も少ない。スカスカの状態なので、垣根の役割を果たしているとは言えなかった。


「ミオ。モモちゃんも今頃、お昼ごはんでしょう。あなたも食べちゃいなさい」


「はーい」


 家の中から、母親の声が聞こえる。

ミオは足早に屋内へと戻っていった。


 築二年目の家屋の白い外壁は、まだ汚れもついていない。真夏の眩しい陽の光を反射させ、新しい住宅街の通りを照らしているようだった。


 十数世帯が暮らすこの住宅地が、ほんの五年前まで何もない元桑畑と農家の屋敷跡だったとは、初見の人間には信じられないだろう。

 この辺りの景観は、近頃変化が著しかった。


「モモちゃん、今日はおばあちゃんの家から来るって言ってたよ。きっともうすぐだよ」


「あら、そうなの。じゃあ近くだもんね」


 ミオと仲良しのモモカは、彼女と同い年。二人はミオの一家がこの家に越してきた頃からの付き合いだ。


 モモカはこの周辺の土地を持っていた、養蚕農家の孫娘だ。住宅街の一角に住む祖父母の家に、しょっちゅう遊びにやってくる。

 通う学校は違うが、気の合う二人は時間を見つけては一緒に過ごしていた。


「あ、モモちゃんからだ」


 腕につけっぱなしのバングルが光る。それまで母親預かりだった透証を、ミオが自分で身につけるようになったのは、九歳になる今年の春からだった。


「もしもし。うん、分かった! 待ってるね! ママ、モモちゃんもう来るって」


 通話を終了したミオは、慌ただしく「ごちそうさまでした!」と手を合わせると、二階の自室へと駆けていく。


「お部屋片付けときなさいよー。あ、そうだミオ! あんたソケット周りをあんまり散らしたままにしないでよ? この間魔石交換する時、びっくりしたんだから」


「はーい」


 母親の小言に、階上から間延びした返事が返ってくる。


 自室に入ったミオは、クローゼットを開けていた。その奥にもう一枚小さな扉がある。猫の出入り口程の大きさのそこを、ミオの手が慣れた手付きで開けた。


 四色の輝きが、少女の顔を照らし出す。


ミオの家を守る魔石ソケットは、この場所にあるのだ。家の間取り的にこの部屋のクローゼット内が都合が良く、ここを自室にと強く望んだのは、一人娘のミオだった。


――だってここ、ワクワクするんだもん


 魔石ソケットが置かれた場所の奥に、もう少し空間は広がっている。


 ミオはその場所を、ちょっとした宝物置き場として使っているのだ。

友達からもらった特別な手紙。好きな男の子の名前を書いた、女児向け雑誌の付録のまじない道具。モモカの家族たちと遊んだ海で拾った、青いシーグラス。

 そういった細々したものを、可愛い絵のついた菓子缶に入れて、この場所にしまっているのだ。


「ママったら、魔石交換するなら言ってくれれば私がやるのに」


 母は娘のこの楽しみの意図を汲んでくれているのか、置きっぱなしの小物に手を出すことはしなかった。だがやはり、あまり人の目に晒したくはないのだ。


「おじゃましまーす! ミオちゃん、お部屋入っていい?」


 ドアがノックされる。

向こう側から、モモカの澄んだ声が聞こえてきた。

 彼女の母親は歌歌いだ。母親譲りの才能なのか、モモカも歌が上手かった。普段の何気ないお喋りですら、彼女が紡ぎ出す言葉は旋律に乗せたように美しく聞こえる。

ミオはそんなモモカの声が大好きなのだ。


「いらっしゃい!」


「何して遊ぶ?」


 二人の少女は、まずはお喋りに夢中になった。気の合う女子が二人、話題はいくらでも涌いてくる。笑い声は耐えない。


「そうだ。今日はこれを渡そうと思ってたんだった」


 話題が一段落したところで、モモカが肩にかけたままのバッグのファスナーを開けた。

 中を探る彼女の手が出てくる前に、メェェェという嘶きと共に飛び出してきたのは、羊のぬいぐるみだった。


「ムーちゃん」


 結構な勢いの登場だったが、毎度のことなのでミオもモモカも驚かない。


「出してあげるの、遅くなってごめんね」


 足元に擦りついてくる小さな羊に笑いかけると、モモカは取り出したものをミオの方へ差し出した。


「この子、ミオちゃんにって。ユーコちゃんから預かってきたの」


「わ! これって!」


 ぷぃぷぃ


 奇妙な音を鳴らしながら、モモカの手の中からミオの膝の上に着地したのは、小さなウサギのあみぐるみだった。二足歩行しながら自由自在に動き回るそれは、パステルピンクの可愛らしい糸で形作られている。


「かわいいー!」


 ぎゅっと抱きしめると、ウサギも短い腕でミオにしがみついてくる。どういう仕組か分からないが、くっつく感触があった。


「よかったね。ミオちゃん兎好きだもんね」


「うん。ピンクも好き。それにこの子、耳にリボンつけてもらってる。とっても可愛い!」


「そのリボン、ユウキちゃんが染めてたよ」


「そうなんだ。綺麗な青。今度変身館行ったら、二人にありがとうって伝えなきゃ。あ! そうだ」


 パステルピンクのウサギを肩に乗せると、ミオはぱちんと手を鳴らした。良いことを思いついたのだ。

 クローゼットを開けて、モモカを手招きする。


「なになに?」


「この間物質変換の授業で、小さな宝石沢山作ったんだよね。パパがそれに穴開けてくれたの。糸を通したらアクセサリー作れるよって。ユーコちゃんとユウキちゃんに、お礼のプレゼント作ろうかな」


「いいね! 私も作りたいな」


「一緒にやろっ。ここに材料と一緒に宝石しまってあるんだ」


 小さな扉を開けて、二人の少女はその空間を覗き込んだ――――





「あれ?」


 見覚えのない物を発見したミオが、小さく首をかしげる。


「何だろ、これ」


 白い長方形だった。


「お手紙?」


 肩をくっつけて、モモカもミオが拾い上げたそれを見た。


 確かにそれは、一通の封書だった。

封は糊付けされていて、中にはちゃんと便箋が入っているようだ。封筒は膨らんでいる。


「さっきまでこんなのなかったよ。私入れた覚えないし」


 確かに見覚えのない筆跡だ。

モモカの知るミオの字とは別物で、インクの黒が魔石の光に照らされて艶めいていた。


 気味悪そうに呟く親友からそれを受け取ると、モモカはじっくりと観察する。


――この名前って


 宛名を知っていた。


そして、発見したのだ。


便って書いてある」


 白ウサギを描いた小さな切手の片隅に、少女はその四文字を見つけた。


 平成十年七月二十日。

昼下がりのことだった。





青い半魚人――――完

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