第22話 邂逅
頬に何かが触れた気がした。
柔らかい。
毛糸?
ちょっと硬いような気もする。
ぴぃ ぷぅ
そういえば最近、全然編み物なんてしてなかったな。
バンド活動ばかりだった。
もう、編み方忘れちゃったかも。
***
水が流れる音がした。
獣道がその水場まで続いているのが分かった。
一段高くなっている場所を乗り越えると、視界が開ける。広い場所に出たのだ。
あみぐるみ達はその場所で列を崩すと、わらわらと一箇所に向かって一斉に駆け出した。
予想外の動きをしたあみぐるみ達を、咄嗟に追いかけたのだろか。
そうではなく、ユウキは直感したのかも知れない。
紡久を追い越して、ユウキの足は地面を蹴っていた。
***
二本の大木の間に、何かが吊り下がっていた。
周囲の色彩に混ざって、一見見つけにくい色のそれは、ハンモックだった。
揺れはない。しかし見つめていると、わずかに動いている。
中で誰かが、横になっているのだ。
小さな白クマが、ハンモックの布の切れ目から這い出てきた。息を呑むユウキをよそに、小型のあみぐるみが数体、クマに続くように這い出してくる。
「おい」と咎めようとするユウキの口は、声を出せずに、そのまま固まった。
最後に布が開いた上部から顔を覗かせたのは、丸いペンギンだった。
手足が短いので、そのまま転がり落ちて、ユウキの足元まで転がってくる。しかしすぐに抱き上げようとしないユウキに対して、ペンギンは抗議するように「ピィ」と短く鳴いた。
その音が、ユウキの意識をわずかに引き戻した。
――まさか
転がり落ちるペンギンの向こうに見えたものを確かめようとして、一歩進む。
たった一歩で、覗き込むまでもなく、ユウキの位置からハンモックの中が見えた。
***
目を閉じ、すぅすぅと寝息を立てる一人の女がいた。
黒髪を束ねていたであろうヘアゴムが、ハンモックの布に揉まれて、今にも滑り落ちそうだった。
――見間違えるはずがない
確かに年月はそれなりに経過していた。子供から大人へと成長を遂げる、外見的に変化が著しい時期を、彼女は通過しているのだ。
しかし
――間違いじゃない
ユウキにとって、最も鮮明に記憶している人物なのだから。
――いつから君のことを知っていたのだろう?
多分、この世に生まれ落ちて、母親のことを認識するよりも前からだ。
――ずっと俺たちは、あの場所で会っていた
ユウキはいつも、鱗に覆われた化け物の姿をしていた。
そして彼女は、いつも笑っていた。
――やっと……やっと会えた
もう一歩進むと、彼女の左腕が見えた。
青く光る物が目に入って、ユウキは「あぁ」とようやく声を解放させた。
それは大きく息を吐き出したような、嗚咽のような音だった。
ユウキが更に一歩を踏み出した瞬間だった。
首筋に、冷たい物が触れた。
同時にすぐ背後から聞こえてきたのは、低く、無機質な声だった。
「止まれ」
***
気配などあっただろうか。
後ろに立つのが人間であることを認識するまで、時間を要した。
それほどユウキには、その人物の存在が、声を掛けられるまで分からなかったのだ。
「ユウキくん!」
紡久の声と、二人分の足音、そして直後に「うわっ!」という焦り声が聞こえてきた。
「動くな!」
子供の声だった。あどけなさが残るが、鋭い声音だった。
ヒュン、ヒュンと、何か空気を切るような音もする。
「あ……? ユウキ?」
ユウキの背後から、一人呟く声がした。ユウキの首筋に、刃物を当てている人物のものだろう。
「お前、ユウキ?」
背中を軽く小突かれた。
不愉快に感じながらも、素直に肯定する。
沈黙が訪れた。
ユウキからは見えないが、紡久とアミもすぐ後方にいるのだろう。どうやら背後の男の仲間もいるらしい。何人いる? 囲まれているのだろうか。
――あみぐるみは? どこかに隠れているのか?
不安が胸を過りながらも、ユウキの目は、目の前のハンモックの中に注がれたままだった。
相変わらず眠っているようだった。
――間違いない。絶対にそうだ。なぜこんなところで眠っている?
確信が微動だにしなくなるにつれ、ユウキは瞼の上がらない彼女が、心配でたまらなくなる。
名前を呼ぼうと思った。
何度も 何度も 呼んできた名前。
決して本人の耳に届くことのなかった、ユウキの声で呼ぶ、彼女の名前。
口を開き、舌が始めの一音の形を描き出した時だった。
焦げ茶色の瞳が、こちらを見ていた。
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