第69話 報い

 決めたらすぐに動きたいと考えるのは、侑子の性分だった。

『意外と決断が早いよね』と驚かれることが多いのだが、それは臆病な性格の裏返しだと、侑子自身は考えている。


余計な雑念が浮かぶ前に、終わらせてしまいたいのだ。

ただそれだけの、結構無責任な感情から動いているだけなのだ。


――そう。無責任だ。一方的に話して、自分だけすっきりしたいと、思ってるだけだ


 裕貴は何を思うだろう?

打ち明けられた後、侑子のことをどんな目で見るだろうか。


――出鱈目を言ってると呆れる? 空想と現実の区別もつかない、痛い女だと思われる? 本気でどこか可怪しくなったのかと、心配するかも。……それとも、今までずっと好意を利用されていたと、軽蔑されるかも知れないな


 悪い予想しか浮かばなくて、勝手な妄想に勝手に暗い気分に陥る。

そしてそんな自分勝手な思考に、心底呆れる。負のスパイラルだった。


――これ以上考えるな


 裕貴の優しさと好意に甘え続けていた、報いだ。


たとえ嫌われることになっても、心が離れるきっかけになったとしても、受け入れる他ないではないか。




***




「俺、フラれるの?」


 ベッドの上で、二人共天井を見つめていた。


 整ってきたばかりの、呼吸の音が聞こえる。


「なんでそんな解釈になるの」


 上を見たまま、侑子は軽く首を振った。


「聞いてほしい話があるって、言っただけだよ」


「だって」


 裕貴は上体を起こして、仰向けの侑子の視界に割り込んだ。


頬をすくい上げるように触れた。親指で下唇をなぞると、湿り気が感じられる。

先程までどちらの唾液か分からなくなるほど、その場所は濡れていたのだ。

その名残はまだ消えていない。その事実が確かに実感できて、少しだけ気持ちが上向きになる。


「そんなの、いかにも別れ話の前フリだろ。怖いって」


「考え過ぎ」


 微笑んだ侑子の言葉の続きを、裕貴の唇が中断した。


言葉を伝える音を、生まれる前に摘み取ってしまいたい。その言葉は裕貴の心を、不必要にかき混ぜるものかも知れないのだから。


 口内を蹂躙する長い口づけの後、裕貴の目にうつった侑子は、ぼんやりとした表情だ。

惚けたようにも、物思いに沈んでいるようにも見える。


「野本くんは私にとって、大切な人だよ」


 あんなに激しく口づけていたのに、声は振れること無く、真っ直ぐに裕貴の耳に届いた。


「だから話さないといけない」


「……何の話を?」


 今度は唇を塞ぐことはしなかったが、裕貴は侑子に覆いかぶさり、首筋に顔を埋めた。こそばゆそうに身を捩る様子に、再び劣情が燻ってくる。


「沢山あるの。今まで話してなかったこと。中学の編入前の話と、か……っ」


 語尾が大きく揺れたのは、裕貴が首筋を強く吸ったからだ。侑子の弱い場所を、裕貴は知り尽くしている。


「待って。待って、野本くん」


 首筋を責め立てた唇が、身体の下部へと移動していく。白い雪原を踏み荒らすように、裕貴の唇が通った場所に、点々と赤い跡が残っていった。


 再び膨らみ始めた最も弱い場所を、湿った舌に捕らえられる。

もはや侑子がまともに言葉を編み出せなくなっていることを、裕貴は分かっていた。計算してやったのだから。


荒い呼吸の合間に名を呼ぶ声は、すぐにただの細切れの音の羅列となる。

その甘い音に自尊心を満たされながら、裕貴はただ侑子を抱き続けた。




***




「明日、聞かせてよ。明日の帰り道」


 ブラウスのボタンを閉じる指を、見つめていた。短く爪を切った侑子の指先がボタンホールを摘む様が、裕貴の目にはやけに美しく映った。


「分かった」


 頷いた侑子は、しっかり此方に視線を合わせたので、裕貴は安堵していた。


「……別れ話じゃないよね?」


「違うよ」


「分かってると思うけど、俺かなりしつこいから」


「うん」


「引くくらい重いから」


「うん」


 声を出して笑った侑子の顔に、どうやったって裕貴は絆される。


再び腕の中にきつく抱きしめると、押し付けられた侑子のくぐもった声が聞こえてきた。


「明日、ちゃんと話すよ。ありがとう、野本くん」

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