第60話 塞がれた道

 別の手紙を置いても、結果は変わらなかった。


 置いてから時間を開けても、同じだった。


 何度試したか、覚えていない。

 

 便箋のストックを使い尽くしたのなんて、いつ以来だろう。


ユウキの元に初めて手紙が届いたと分かった、あの日以来ではないだろうか。


「侑子、夕飯できたよ」


 母が部屋をノックした音にも気づかなかったらしい。ドアを開けた依子は、侑子を見て顔色を変えた。


「どうしたの? 何泣いてるの」


「お母さん……」


 涙を拭くのも忘れていた。

ノートの切れ端の上に落ちた水滴が、紙を波打たせている。


「どうしよう、どうしよう」


「何があったの?」


 母には並行世界との文通について、話したことはなかった。しかしそんな事情を気にする余裕は皆無で、説明することも忘れて、侑子はうわ言のようにただ、「どうしよう」と繰り返すだけだった。


 抱きしめた娘の背中を撫でつけながら、依子は机の上の千切られたノートと、散らばった封筒に目を走らせた。


 『ユウキ』という人名が、走り書きのように何度も記されている。


見覚えのない住所と、一円切手。


謎の地名と数字の羅列、そして娘の不可解な様子――依子はこの言いようもない不穏な感情に、覚えがあった。


「侑子」


 抱きしめる腕に力を込めて、依子は娘の意識を自分へ向けるように、名前を呼び続けた。


――あの時と同じ。この子が帰ってきた時と同じだ


 まるで知らない少女のような表情をしながら、帰ってきた十四歳の侑子。

 

あの時の記憶が猛烈に蘇る。


 依子は侑子が泣き疲れて、ぐったりと脱力するまで、彼女を抱きしめ続けていた。




***





 気づくと朝になっていた。


 身体を起こすと、そこはベッドの上で、タオルケットがかけられていた。


瞼が重い。腫れているのが分かる。


昨夜の恐ろしい記憶が蘇ってきて、吐き気が込み上がってくる。


 それでも立ち上がって、クローゼットの扉を開けた。

天井の蓋を開けて、手を入れる。


 ガサガサと絶望的な紙音と共に、いくつもの封筒が落ちてきた。

どれもが昨日、侑子がその場所に置いた手紙だった。


 足元に散らばったそれらを、侑子は拾い集める。

ぼんやりとした意識の中、クローゼットから出て、しばらく立ち尽くした。


 机の上に散乱していたはずのノートや封筒は、綺麗に整えてあった。


 目視だけして、侑子は再びベッドの上に身体を横たえた。布団に潜り込んで、目をぎゅっと瞑る。

左腕を身体の中心できつく抱きしめるように、身体を丸めた。


銀のブレスレットが、腕に通っていた。昨夜願掛けのように身に着けたままだった。


――ユウキちゃん……どうしよう


 透証も、ブレスレットも、硝子の鱗も、指で触れることができた。


――幻でも、夢でもない。ちゃんと存在したんだ。ユウキちゃんも、並行世界も。そうでしょ? 


 それなのに、手紙が消えない。


そんな現実一つで、幻の記憶のように、侑子の愛する人の存在は、覚束ないものとなってしまうのだ。


――嘘だ、嘘だ、嘘だ


 嗚咽が漏れて、意識があると分かった。侑子は絶望して、瞼をきつく閉じる。


 ユウキとのつながりが途絶えてしまった現実など、目に映したくなかった。

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