第49話 世界ⅰ朝焼け
病み上がりの身体はふわふわしていて、心許ない。
咳は長引くし、歌うことはおろか、会話すら思うように出来なくて、侑子は疲弊していた。
弱った気持ちのまま、机に向かってしまったからだろう。
――心配するだろうな……
困らせるような言葉を、便箋に並べてしまった。
きっとユウキは心を痛めるだろう。
分かっている。今になって、少しだけ後ろめたくなってきた。
――後で謝らなきゃ……だけどあれは、私の本心だ
それは間違いない。気の迷いで出てきた言葉ではない。いつだって侑子の心の中心に、留まり続けていた気持ちだった。
――どうして戻ってきたんだろう
再び並行世界に戻れるのなら――きっと迷わず、あの世界に続く扉を開くはずだ。
今の生活に不満があるわけではない。
むしろとても充実しているし、苦しいと思うことの方が少ない。
なのにそんな平和な日常を捨て、再びあの場所へ戻りたいと願う理由。
侑子にはよく分かっていた。
――会いたい。会いたいよ!
久々の風邪に、心まで弱りきってしまったようだ。
ベッドに身体を投げ出すと、堰を切ったようにボロボロと涙がこぼれ出てきた。
***
久々に見たその風景に、侑子は心を踊らせていた。
――あの夢だ!
何年ぶりに見ただろう。
あまりにも焦がれ続けた挙げ句、眠る前にユウキにあんなにも本心むき出しの手紙を送り、子供のように涙を垂れ流したまま眠ってしまったからだろうか。
夢の中の侑子は、そこが夢の中であることをすぐに認識した。
――どうか醒めないで。まだ醒めないで。まだ……
駆け抜ける身体は、重さや怠さを、これっぽっちも感じなかった。
知り尽くした園内を、侑子はただ一人を探して走り回った。
――青い半魚人。青い鱗……どこ? どこにいるの
広い園内のどこにも、侑子以外の人影は見当たらなかった。
足を止めた侑子は、一つの違和感に気がつく。
――時間が違う
いつも見ていた夢の中。それは園内の灯やネオンが輝く、空がすっかり暗くなった時間だったはずだ。
――なぜそんな簡単なことに、気づかなかったんだろう
見知った風景に感じた小さな違和感の正体が、そんなに大きなものだったなんて。
辺りはまだ明るく、園内のネオンは光りを落としていた。街灯の電球にも光がなく、空虚な魚の瞳のようにただ透明な空洞を侑子に見せていた。
――赤い
頬に当たる光は、人工的な照明ではない。
侑子が顔を向けたその先の空は、赤く輝いていた。
和紙の上に落とした絵の具が、じわじわと広がった跡の如く、雲の陰影が波打っている。
夢の中の時間経過とは、いい加減なものだ。
どんどん白んでいく空を見て、侑子はこの空の赤が、朝焼けのものであると気がついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます