第10話 世界ⅰ封書
帰宅して「ただいま!」とリビングに向かって声だけかけると、侑子はまっすぐ自室へ向かった。
通学鞄を床に投げ出し、クローゼットの扉を開く。
かかっていた衣類を全て反対側にぎゅうぎゅうに寄せると、出来上がった空間に身体を滑り込ませた。
――確かめよう。もう少ししっかりと
天井の蓋を開け、ライトを起動したスマホをその中へ差し込む。
アンテナ機器の隣にライトを上向きにしたスマホを置こうと、腕を伸ばした。
数日前に侑子がこの場所に置いた手紙。
それはやはりなくなっていた。
蓋を開けて手を伸ばした位置に置いたはずで、記憶違いではないはずだった。侑子は背伸びして、その空間へと頭を出す。
「あれ……?」
気落ちした声が出た。
四角の黒いアンテナ機器の向こう側。
光が届かない屋根裏の闇の中に、白っぽい角ばったシルエットが目に入ったのだった。
――やっぱり気の所為だったのか
その白いものが自分が置いた手紙なのだと思って、侑子は落胆する。
置いた位置を勘違いしていたか、蓋を閉めたときの振動で、僅かに封筒の位置がズレたのだろう。
溜息と共に腕を伸ばし、その封筒の端を指でつまんだ。引っ張り出して、つま先立っていた足を元に戻した。
そして、ふとその封筒に目を落とす――
「え……?」
息を飲んだ彼女の目に、信じられない文字が写った。
***
その筆跡に、侑子は見覚えがあった。
勉強を教えてくれるとき。
歌詞を書いてくれるとき。
褐色の長い指が紙の上を移動して、その美しい文字を生み出していく様を知っていた。
侑子の名が記されたその先に、「様」という字があった。
それはこの封書を受け取るべき人物が侑子であることを示したもので、その右上に一枚の切手が貼られている。
破線のシルエットで一目で切手と分かる。
よく見ると日本国とは記されていなくて、『日之國』の三文字が小さく並んでいたのだった。
震える手で封書を裏返す。
侑子はその時、悲しさは感じなかったはずだった。
ではこれは嬉し泣きというものなのだろうか?
確信は持てない。
ただ一筋涙がこぼれ落ちて、頬の上を優しく撫でるように滑っていく。
そのくすぐったさを感じただけだった。
***
制服を着替えることすら忘れて、侑子は机の上でひたすらペンを走らせた。
誤字の上に修正テープをひくのすらもどかしい。
伝えたいことが沢山あった。
この世界に戻ってきてから一ヶ月少し、どんな毎日を過ごしてきたか。
今日は新学期初日だったこと。
新しい学校で軽音同好会に入ったこと。
友達に恵まれそうな予感。ギターの練習を続けられそうなこと。
相変わらず毎日歌っていること、そしてその歌の多くは、ユウキと共に歌ったものであること。
途中で便箋を使い尽くしてしまうと、侑子は通学鞄の中からルーズリーフの束を引っ張り出した。
――届いた
ユウキの筆跡が並ぶ便箋を手に取り、反対の手でポケットからブレスレットを取り出す。
――これは魔法? 分からない。だけど届いた。ちゃんとユウキちゃんに届いたんだ
完全に失われたと思われた並行世界との繋がりは、どうやらそうではないらしい。
理屈や仕組みはちっとも見当がつかなかったけれど、侑子は気にしなかった。
ただ、次の一通を送りたかった。
ユウキから届いた手紙への返事を書きたい。一秒でも早く届けたい。
文字が乱れて、真っ直ぐ書けていない。
けれど構わない。
前回と同じ桜色の封筒の中に、紙の束を入れて封を糊付けする。
机の引き出しをひっぱると、切手シートが目に入った。そこから新たに一枚切手をはがす。
ブレスレットを握りしめながら、侑子は再びクローゼットの中に入り込んだ。
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