宮司の悩み⑧

『……彼女を二の舞いにすることは、できません』


 声のトーンが下がったタカオミを見れば、笑みを消した表情で、彼は祭壇の鏡を見つめていた。


『そしてカギを誰かに悪用させることも、許してはいけない。王の知らないところで扉が開かれるような事態が、どのような結果に繋がるのか、王でさえ知り得ないことなのです。今までの秩序はカギの秘密が漏れた瞬間から、崩れ始めています。来訪者がいるとはいえ、彼女の存在だけで国の安定が期待できるとは、言い切れません』


『彼女は保護するのですか』


『もうしていますよ。塀の中に囲い込んでいるわけではありませんが、透証を通じて、王が直接彼女を結界で囲っている。本人や周りの者たちは知らないでしょうが、それで良いのです。少なくとも王の神力に守られていれば、身体的な危険は防げます。ご存知ありませんか。来訪者は市井の中で暮らすべきなのです。すぐに私達の目が届く場所、たとえば王宮や政府施設の、鍵付きの部屋に保護しておけばいいとわけではありません。その魔力同様に透明で無垢な思想を、特別な色に無理に染めるべきではない。のびのびと自由に、一人の国民として生きていけるように見守ることが大切です。それができなければ、来訪者から副産物を採取することは叶わないのですよ』


『知りませんでした……』


 オリトは小声で呟いた。


そんな彼の反応に、タカオミは鏡から視線を外して、再び彼に向き直る。


『若輩者のくせに、偉そうな発言をいたしました。数十年前の失敗があったからこその明言なのです。それまではわざわざこんなことを言われなくたって、来訪者たちは国民の中に馴染んで、暮らしを営んできました』


『いえ……数十年前の失敗。それはあの事件ですか』


『ええ。当時私はまだ幼児ですから、オリトさんの方がその時の衝撃はよくご存知のはずですね』


 やはりタカオミは、自分よりも一回り以上年下だったようだ。


そんな事実に軽く衝撃を受けつつも、オリトは話題にしている事件について、思いを馳せた。


 当時長年に渡って与党に君臨していた空彩党が、来訪者たちを秘密裏に研究助手として雇い、彼らの特殊な魔力を不当に搾取していたことが露呈した事件だ。

雇われた来訪者たち全員が、命を落とす惨事になった。


『あの事件の後に、来訪者がこの国にやってきたことはなかったはずですね』


『そうです。扉は王の指示により、ミネコさんに何度か開けられたことはありましたが、通る者はいなかった。そしてそのまま、五年前の政争が始まりました』


 その場にしばしの沈黙が流れた。

浜から聞こえてくる波の音だけが繰り返される。


『ミネコさんの捜索は、引き続き私共が行います』

 

 沈黙を破ったタカオミは、少しもふらつくことなく立ち上がった。

僅かに風が起こって、オリトの鮮やかな紫色の髪を揺らした。


『来訪者の名は、イカラシ・ユウコです。彼女の平穏を、祈っていただけますか』


 微笑みながら口にされたその人物の名を、心の内で復唱しながら、オリトは頷く。


『ええ。空虚な社ですが、心から勤めさせていただきます』

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