第10話 硝子の鱗

「その衣装も、魔法で作ったものなの?」


 侑子の言葉に手を止める。


 着衣を元に戻そうと、胸元に手を翳していたところだった。


既に化粧と髪は戻していたので、灰色の短い地毛は、夜風を遮ることなくまっすぐに通す。結い上げていた長髪の重みから解放された肩を回しながら、ユウキは頷いた。


「そうだよ。イメージは細かく描いていたけど、物質として作り出したのは魔法」


 指輪とピアスも外したので、ユウキの身体を彩るのは、衣装だけだった。

侑子は長身の彼を、しばし見上げる。


――少しだけ夢の中の人からは、離れたかも知れない


 化粧と髪型の成す効果が、大きかったのだろう。


まっすぐ侑子を見下ろす、緑の瞳。その色は夢の中に出てきたことはなかったと確信できたし、毛先があちこちに跳ねた灰色の短髪は、あの魚の頭には生えていなかった。断言できる。


「触ってみる?」


「いいの?」


 ユウキは頷いて、一歩侑子に近づいた。侑子の方も一歩進んで、そっと手を伸ばす。


  手首を隠していた、袖先部分の鱗に触れた。


 それは深い紺色をしていて、すぐ隣の鱗よりも、僅かに濃い色であることが分かった。硬く、少し冷たい。


なぜ割れないのか不思議だったが、やはり薄い硝子のようだった。


 更に目を近づけて観察してみると、下地の布は、絹のような滑らかな光を放ち、その布と鱗の根本を縫い付けているのは、蜘蛛の糸のように細く、透明な糸であることも分かった。


縫い付けているのは上部だけなので、鱗の裏側に指を入れて、掬い上げることができる。

重みは殆ど感じないし、指先が透けて見えるので、相当薄い硝子のはずだ。


ユウキがどんなに激しい動きをしても割れることがなかったのは、どういうことだろう。

不可解だった。


 そんな謎の鱗の流れに逆らって、下からそっと撫でると、鱗同士がぶつかり合い、シャラリと美しい音を奏でる。


「……ふふっ……容赦なく触るね」


 ユウキが、くすくすと笑った。


侑子はあっと小さく声を上げ、すぐに手をひっこめる。


「ごめんなさい。つい」


 不思議な鱗が気になって、確かめたかったという興味と、夢の中の半魚人の鱗には、いつもこんな風に好きに触っていたものだから、つい遠慮を忘れてしまったかもしれない。


「いいのいいの。この鱗、綺麗だろう。夢の中で見たんだ」


 ユウキの言葉に、侑子は思わず「えっ!」と大きな声を出してしまう。


「夢の中?」


「うん?」


 予想外の反応の大きさに、首を傾げながらも、ユウキは言葉を続けた。


「子供の頃から、よく見る夢があってね。俺の身体は、顔まで沢山の青い鱗で覆われているんだ。その鱗はとても美しくて、包まれているような安心感があって。あの夢の中だ! と分かったときは、いつも嬉しい気持ちになるんだ」


 ユウキは侑子の腕をひいて、昼間座っていたのと同じベンチへ移動した。

 並んで腰かけると、話を続ける。


「その夢の中では、自分の鱗は細かいところまでよく見えるのに、他の物はよく見えないという、変にもどかしい思いをするんだ。おまけに喋れないし、耳もよく聞こえない。だけど全然嫌な夢じゃなくて、楽しいとか嬉しいとか、そういう幸せな気持ちで溢れてる。不思議な夢なんだ」


 思い出しながら語るユウキの目線は、すっかり太陽が姿を隠した空へ向けられていた。


 街の灯りは賑やかで、黒いはずの夜空は、地上から照らされているかのように、ぼんやりと淡い紺色に見えた。


 ユウキは夢の情景を思い出しながら、話しているのだろう。

明るい夜空を見つめる緑の瞳に、オレンジ色の街灯の光がさしこんでいた。


「その夢の中に、誰か出てきた?」


 慎重な口調だった。


侑子の問いには、すぐに答えられる。

何しろ、何度も繰り返し見てきた夢なのだから。


「誰かと遊び回る夢なんだよ。あまり見えないし聞こえないから、誰なのかは、靄がかかったみたいにあやふやなんだけど……」


 シャラリと鱗を鳴らして、ユウキは長い足を組んだ。下穿きの裾から、褐色の肌が覗いた。 


「ユウキちゃん、その夢……その夢はさ」


 口ごもった少女に視線を移すと、その顔は酷く強ばっている。

どうしたのかとユウキがたずねる前に、彼女は残りの言葉を絞り出した。


「ぐるぐる回転して、終わらない?」


 予想外の侑子の言葉に、ユウキはぽかんと口を開ける。


「そうだけど、なんで」


「あと、夢の中では、水掻きもついてない? 両手に。透明で透けてるやつ」


「ユーコちゃん?」


「一緒に遊び回る誰かは、鱗や水掻きを触って、喜んでなかった……?」


「……」


 空中で二つの視線が絡まり合い、しばらくの間、その絡まりは解かれることはなかった。

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