第5話 見知らぬ街
果てしなく続くかと思えた、広い庭だった。
ようやく境界と思われる所までたどり着くと、膝丈ほどの柵が目に入った。
――ここが庭の終わり?
侑子は迷わずその柵を跨ぎ越える。
そして息を整えながら、周囲を見回し、再び絶望する。
――どこなの。ここは
侑子の知っている町ではなかった。
空が広く、電線も電柱もない。
振り返った先には大きな日本家屋が建っていて、たった今自分が遊色の瞳の女と対面していたのは、あの屋敷の中だったのだと理解する。
理解できたのはここまでだ。
跨いだ柵の先には、舗装された道が続いていた。
歩道と車道を区切る線がある。
泣きそうになりながら、とにかく侑子は進んだ。
どこに行けばいいのかわからない。
ここは本当にどこなのだろう。
俯くと、白ソックスをはいただけの自分の両足が見えた。
靴などはいているはずがない。
自宅にいたのだから。
履いていたスニーカーは、玄関にあるはずだった。
学校から帰宅した時に脱いだのだから。
――これは夢なの?
夢から覚めるための方法は知っている。
ただ、念じればいいのだ。
考えればいいのだ――私は起きる、と。
しかしさっきから何度試してみても、目覚める気配はない。
それどころか全身の感覚は、どんどん敏感になっているようだった。
靴下越しの白い道は、柔らかく歩きやすい。
空気は夏だ。
吸い込む大気の香りも、夏の湿気の匂いだ。
そういえば暑い。今は夏。
今朝の天気予報で見た予想気温よりも、大分過ごしやすい気もする。
そしてやはり今ここは夕方ではなく、昼間の、しかも早い時間ようだった。
黙々と歩いていると、少しだけ冷静になってくるものだ。
もしかしたら自分は結構図太いのかもしれないと、侑子は思った。
周囲にはしばらく畑のような畝が広がるばかりだったが、少しずつぽつぽつと建物が目に入るようになった。
車道だろうかと疑っていた道が、やはり車のためのものなのだと判明したのもこの頃だ。路線バスが走っていったのだ。
民家らしき建造物の前を通ることも増えてきた。
形は侑子の知っている町とそう変わらないが、屋根や窓枠が鮮やかなパステルカラーや蛍光色で、目を疑う。
道路と敷地の境界を示す塀も、ガラスやアクリルのような透明な材質で、宝石のような緻密なカットを施されており、日の光に反射してキラキラと輝いていた。
民家と民家の間隔が狭くなってきた辺りで、白一色だった道の先が、突然鮮やかな模様になった。
歩幅を緩める。
タイルのような色とりどりの平らな石を、モザイクのように嵌め込んだ美しい道だった。
車道はそこで終わっており、歩道のスペースが広がった。
美しい道だが、それと同時に胸がざわざわと不安を伝えてくる。
さっきから馴染みのない風景ばかり目についた。
自分が完全な異分子としてここに存在しているという事実が、喉元に突きつけられている。
民家の塀には表札がついている。
そこに記されている名字は、「田中」や「佐藤」など、侑子にも馴染みのあるものから、アルファベッドや全く見覚えのない文字が並ぶ物もあった。
知っている物と、知らない物の混在。
それがこんなにも心を不安にさせるとは、初めて知った。
ぽつりぽつりと、人も目にするようになる。
民家が増えてきたのだから当然なのだが、誰もが侑子のことを気にしていない様子なのは救いだった。
侑子は必死に挙動不審にならないように努めつつ、不自然にならない程度に、人々を観察しながら歩いた。
皆色鮮やかな頭髪と瞳をしていた。
金髪や茶髪などの、侑子が知っている髪色が地味に感じるくらい、様々な色彩で溢れている。
赤や緑、青の絵の具をそのまま筆で塗りつけたような髪色もいれば、どうやって染め上げたのか見当もつかないほど、何色もの色を複雑に組み合わせている髪色もあった。
瞳の色も同様だ。
そして侑子を一番驚かせたのが、先程自分を恐怖の淵にたたせるきっかけになった女と、同じ遊色の瞳を持つ人が多く存在することだった。
あの女は白い瞳に黒い瞳孔だったが、黒っぽい瞳に遊色が揺らめいている人もいれば、水色や薄紅色の瞳の人もいた。
人々の服装も個性的なものばかりだ。
着物を着崩した格好、縁日の子供に見かける浴衣ドレスを着ている大人、中世ヨーロッパの貴族さながらの重厚な服装の男女がいる一方で、ジーンズにTシャツ姿の人もちらほら見かける。
侑子はテレビでしか見たことがないが、渋谷のハロウィンのような、無秩序な光景だと思った。
黒髪に地味な色のセーラー服の自分は、単純に目立たなかったのかもしれない。
人通りが多くなってくると、向かい側から歩いてくる誰かと進行方向が被ることがでてきたが、自然に避けてくれる。
どうやら自分の姿は見えているようだが、不審に思われている様子もなかった。
侑子はほっとする。
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