それぞれのメメント・モリに幸あれ!

渚 孝人

第1話

メメント・モリとはラテン語で「死を想え」とか「死を忘れることなかれ」といった意味だと言われています。中学の時にこの言葉を教わった時、僕はその真に意味することを全く理解していませんでした。じゃあ今理解しているのかと聞かれると、残念ながら全然自信はありません。でも今考えていることを書いておかないとそのうち必ず忘れてしまうので、この場を借りて書いておくことにしました。しばしお付き合い頂けたら嬉しいです。


みなさんは2020年にコロナが急速に世界に広まった頃の事を覚えていますか?

あの頃は、今では考えられないような事が平気で起きていました。マスクを付けている人といない人の間で殴り合いの暴行が起きたりとか、感染対策をしてライブをしたアーティストがテロリスト呼ばわりされたりとか、とにかく尋常ではないくらい、みんな殺気だっていましたよね。


デルタ株がオミクロン株に置き変わって致死率が一気に下がった今では、きっと多くの人々は

「あの頃はどうかしてたんだよね!」

と言って笑いあっていることでしょう。


でも本当にそうでしょうか?僕はそうは思いません。

むしろ、そういう人々は物凄く普通の反応をしただけだと思うのです。


2019年末から2020年の頭ごろ、中国で急速にコロナが広まって(中国からなのかは定かではありませんが)、僕たちは病院に殺到する人々の映像を見ました。そして多くの人がこう思ったのではないでしょうか。

「あ、これ、マジで死ぬかもしれないウイルスなんだ」と。


現代人は、高齢者を除けば死ぬ確率はかなり低くなりました。正直、今年死ぬかもしれないと思って生きている日本人はあまりいないと思います。

でもあの時期、その大前提は崩れ去りました。多くの人が、コロナにかかったらマジで死ぬかもしれないと思いました。命がかかってたら、殴り合いの喧嘩が起きても全然おかしくないですよね。


でも致死率が下がって命の危険がほとんどなくなった今では、「あの頃はどうかしてたんだよね」の一言で終わってしまいます。喉元を過ぎれば何とやらというやつでしょうか。

それでも脅威が過ぎ去ったかと言えば大間違い。温暖化が進んでいる今、永久凍土から未知のウイルスが出てくるなんて話があります。我々が何も学ばないままでは、新しいウイルスが出てくるたびにあの時のような大パニックが繰り返されることになる気がします。


じゃあ僕たちは、あの時期の出来事から一体全体何を学べるのでしょうか。

結局、一言でいえばメメント・モリなのではないかと思うのです。

つまり普段から、自分は必ずいつか死ぬというどうしようもない事実を知りながら生きるということ。

それって本当にきつい事だし、きっと誰もが目を背けたくなります。でも、しんどいけれど、それしかないと思うんですよね。


でも一方で、不思議な事実があります。

僕はYoutubeとかで1900年ごろとかの昔の日本人が出てくる映像を見たことがあるのですが、老若男女問わず、みんな笑顔がキラキラしていて、輝いているんですよね。


あの頃って、飢饉とか結核だとかで、人がバタバタと死んでいました。

普段から周りの人が亡くなっていく状態、つまり嫌でも死を想わざるを得ない状態なのに、何故か人々の笑顔は輝いている。仕事が嫌になって暗い顔をしている現代の日本人とは対照的です。

一体なぜでしょうか?


こんな風に聞いたことがあります。死がいつでもそばにある事を知っている人は、今生きている生がいかに奇跡的でありがたいものかを知っているのだと。だから、あの時代の人々の笑顔は輝いているのではないでしょうか。


こう考えてみたら、メメント・モリってそんなに暗い言葉ではないのかも知れません。

元々は、「どうせ死ぬんだから楽しもうぜ!」的な意味もあったようです。

みなさんのメメント・モリに、どうか幸がありますように!

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