『最恐のメイド』編
メイドは待っている
彼女は待っている。
いつも同じ場所で、彼の帰りを。
「……」
無言でじっと、ただ窓から夜空を見つめる。
人間界と魔界の空は違う。
この月は人間界にしか輝いていない。
それでも空はどこまでも遠く、魔界の隅まで繋がっている。
彼女はいつも、心の奥で願っている。
「どうかご無事で」
危険な旅であることは承知している。
自分では力不足で、あの人の役には立てないことも。
祈ることしかできない自分に憤りを感じながら、彼が戻ってきた時に不快な思いをさせないように、表情を作る練習をする。
最初はやはり笑顔がいいと、何度も練習する。
彼女は笑顔が苦手だった。
「……随分と遅いですね。アレン様」
勇者アレンの専属メイド、サラ。
彼が勇者の地位についてから五年と七か月、身の回りの世話を担当している。
彼が帰宅してから何をほしがるのか。
どうしてほしいのか、何が一番喜んでもらえるのか。
共に過ごした歳月が、彼への理解を深めていた。
今では彼のことを世界で一番理解しているのは彼女だと言えるだろう。
勇者アレンにとってサラは、なくてはならない存在だった。
そしてそれは……彼女にとっても。
「情けないですね」
彼女はため息をもらす。
寂しいと、心の奥で鳴いている自分に呆れて。
彼に仕えるのは仕事。
国王から命じられ、その任務に就いた。
仕事に私情を持ち込むのは二流のメイドだと教わっている。
「なら……私は二流ですね」
五年も一緒にいれば、相応の感情を抱くだろう。
愛着、信頼……その先も。
サラにとって勇者アレンの存在は、ただの仕事上の主人ではなくなっていた。
だからこそ不安を感じている。
彼女は時計の針を見つめながら、目を瞑る。
――三週間。
彼が王都を旅立ってから経過した日数。
まめな性格をしている彼は、定期的に連絡をくれる。
どれだけ長くても一週間に一度は、無事の知らせを届けてくれていた。
それが一通も来ていない。
先週も、今週も届いていない。
何かあったのではないかという不安と、最強の彼が負けるはずないという信頼。
二つがまじりあい、複雑に彼女を悩ませる。
トントントン――
そこにノックの音が響く。
彼女は目を輝かせ、期待した。
彼が帰ってきたのだと。
「勇者アレンの専属メイド、サラはいるか?」
だが、その期待は簡単に砕かれた。
聞こえてきた声は別人のもの。
国王に仕える執事の声だった。
がっかりしつつも仕事モードになり、彼女は返事をする。
「はい」
ガチャリと扉が開き、執事が顔を見せる。
一瞬にして違和感に気付く。
厳格でいつも厳しい顔をしている人物だが、この日は特に怒っているようだった。
サラは無意識に気を引き締める。
「サラ、お前に異動命令が下った。速やかに準備をしろ」
「……異動?」
サラは体温が一気に下がった感覚に襲われる。
予想外の一言に戸惑いながら、サラは聞き返す。
「異動とはどういうことでしょうか? 私はアレン様の専属です」
「その任は先ほど解かれた。お前はもう勇者アレンの専属ではなくなっている」
「なっ……どうしてですか?」
冷静な彼女が珍しく声を荒げる。
執事は大きくため息をこぼし、鋭い視線で彼女を睨む。
「お前の元主人はもう勇者ではないからだ」
「……え?」
意味が分からない、という表情を見せる。
困惑する彼女に執事から真実が語られる。
勇者アレンは魔王と結託し、王国から派遣された勇者四名を撃退した。
彼はすでに、王国にあだ名す敵であると。
「そんな……何かの間違いです! アレン様が裏切るなんてこと!」
「憶測でこんな話をしていると思うか!」
執事は声を上げる。
びくりと震えるサラに、執事は言う。
「先日、勇者シクスズが帰還された。ひどい怪我を負って、聖剣も破壊されていた。その相手がアレンだ」
「アレン様が……シクスズ様を?」
「そうだ。本人もそう主張している」
勇者シクスズは無事に王都へ帰還した。
否、無事とは言い難い。
全身傷だらけで骨も何本か折れている。
さらには聖剣を破壊され、二度と使用できなくなっていた。
勇者は聖剣を失うということは、勇者として死を意味する。
「まったく最悪な結果だ。すでにこちらの聖剣を四本も破壊されている。あの男がこの国に敵意をむき出しにしていることは明白! アレンは国賊なのだ!」
「……」
サラは言葉も出ない。
誰よりも優しく、強い人だと知っている。
信じていた彼に、裏切られたような感覚に襲われる。
「ショックだろうが事実だ。受け止めなさい」
「……」
「今回の件はまだ一般には伝わっていない。勇者のトップが敵に寝返ったなど、国民に知られれば混乱は避けられない。然るべき方法で決着をつけたのち、正式に発表される」
「然るべき方法……?」
恐る恐る尋ねるサラに、執事はハッキリと答える。
「勇者アレンを討伐する。なんとしても」
「――!」
討伐……すなわち殺すと言うこと。
勇者を、この国の人間が。
「……お待ちください」
「なんだ? お前の異動は決定事項だぞ」
「わかっています。ですがその前に、お願いがございます」
「……なんだ?」
彼女は拳を握る。
手の震えは腕へ、さらに全身へと伝わる。
「私が……やります」
「なにを?」
その震えは恐怖から……否、怒りと悲しみから。
彼女はアレンを慕っていた。
心から信頼していた。
だからこそ、許せない。
と同じくらい、裏切られたことが悲しい。
大切だったから、慕っていたから。
このまま他の誰かに殺されてしまうくらいなら――
「勇者アレンは、私が殺します」
せめて、私の手で。
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