第二〇話「……お日様の中で死ねるなら悪くない」



 ねじれの塔の内部は、日光がまるで暖かみを失っていて不思議なほど寒い。

 どんなにうるさい音でも、ぼおんぼおん……と上に吸い込まれるようになって消えていく。音の溶け込み方が不気味な減衰を帯びていて、空間が不自然な引き延ばされ方をしているのだろうか、と思わせるような作りだった。



 モモは、使い魔を二匹使い潰した。

 動かなくなった足の代わりに、彼女は使い魔に頼って攻撃を回避していた。

 そしてそれを、すでに二回は失敗している。

 クジラの巨体に二度も押し潰され、もはや彼女の体は、使い物にならなくなっている。

 あばらの骨は綺麗に折れて、一部が肉を突き破って頭を出しており、左の腕はずっとだらんと垂れ下がったままになっている。

 死の足音は、すぐそばまで忍び寄っていた。



(やっぱり、この空間は歪んでいたんだ)



 正常じゃないことはわかっていた。足を踏み入れた瞬間から、空間の歪みは感じ取っていた。

 それ故に様々な対応を間違えてしまった。



『――魔王を弱体化させるには、嫉妬の感情を供給している人たちを空間から切り離せばよいのです。根源を断ち切ることができれば、あとは兵糧攻めのようにじっくり腰を据えて待てばよいのです』



 直感スキルを持つ軍師、司馬孔策はすでに魔王の弱点を見つけていた。

 だから、基本となる作戦は、人々を救出することを重点に置いた。嫉妬の感情を供給している存在がいなくなれば、もうレヴィアタンに力を供給する存在がいなくなると。



 だがしかし、人々をいざ空間の外に出そうとすると、問題があった。

 出口の場所が、次々に変わるのだ。



(ねじれの塔のいやらしいところは、そのらせん構造の作り。たくさんある階段や、無駄に周回させるような作りの廊下が、この空間に迷い込んだ人の体力をどんどん容赦なく削っていく仕組みになってる)



 ねじれの塔は、筒のような作りになっている。

 内側はぽっかり何もない空間で、そこをずっとレヴィアタンが泳いでいる。

 筒の内側の壁面に添えつけられたような張り出し廊下がぐるりと、中央のレヴィアタンを取り巻くように作られており、随所に外に出るための扉がある。

 だが、ちゃんと開く扉はごく一部で、一人通ったらもう開かなくなる。

 これこそが、モモたちが突入してから、脱出に一週間以上かかっている理由である。



 人を避難させるのは、困難を極めた。

 誰だって脱出したい。我先に出ようと争う人をなだめて、一人ずつ脱出させるのは骨の折れることだった。



 どうして自分じゃなくてあいつが脱出するのか、という嫉妬の感情を煽り立てるようなギミック。

 その感情こそがレヴィアタンをさらに強くさせる。

 迷い込んできた餌を誰一人逃がさないのではなく、あえて逃げられる余地を残して嫉妬を育てるのだ。

 とことんレヴィアタンは性格がねじけたやつである。



(しんがりは、モモが残るのか、司馬先生が残るのかで揉めた。だけどモモのほうが戦えるから、モモのほうが残った)



 あとは、出口に向かうだけ。

 なのに、その肝心の出口がわからなかった。



(あは、そういや、モモって迷子なんだっけ)



 そういえば、いつからかずっと迷子だった気がする。

 のっぺりした魔王に追い立てられながら、体を引きずって逃げる彼女は、自分のことを嘲り笑った。



 最年少の勇者。歌巫女と踊り巫女の血を引く神官。ムーシケーの恩寵を受けた少女。

 全部、モモのことであって、モモではない。自分という存在は、そんな肩書だけではない、もっと違う場所にある気がしていた。

 心の居場所は、そんな肩書の中ではなかった。



 迷子だったかもしれない。

 いつもほかの人に悪口ばかり垂れていた、悪い子。



 気づけば、ぽつんと、独りぼっち。

 いつものことだ。



 満身創痍の体で必死に逃げ続ける。

 イルカが鼻の頭で毬をつついて遊ぶように、モモは転がされて遊ばれるだけになっている。

 まさか魔物に人間をいたぶる趣味があるとは思わなかった。



「……へ、へへ」



 ばいばい、クソ野郎ども。

 そんな弱気な言葉が脳裏をよぎる。



(……あ、そっか)



 陽のあたる塔の中で、光に照らされた傷だらけの少女がクジラと向き合う。一つの絵画のような構図。

 日だまりの光の中で気付いたことは、寒さの理由が、吸い込まれるような塔の広さのせいではないということ。

 血を流しすぎていたのだ。



(……お日様の中で死ねるなら悪くない)



 目を閉じる。ずっと迷子だったけど、せめて最期は等身大の少女らしく安らかに。





















「――ざっ、けんっ、なああああっ!!」



 衝突音。

 そして顔を吹き抜ける突風。

 土埃が舞い上がって目の前が煙っぽくなる。



 クジラが痛みに甲高く吠えた。

 ほぉぉおん……と耳を刺すような轟音が鳴り響いて、肌全身も塔全体もびりびりと震える。痛恨の一撃。



 息が止まる。

 自分に幾重にも重ねがけされた乱暴な治癒魔術が、そしてありったけの付与魔術が、寒くなっていた体を包み込んでいく。



「ばぁか、諦めてんじゃねーよ、クソガキ。情けないったらありゃしないぜ」



 はっきりと聞こえる声。

 全然自分を敬わない不遜さ、最年少の英雄にむきになってつっかかる子供っぽさ、自分より弱いくせに見栄を張って兄貴分っぽく振る舞おうとする意地っ張りさ加減。



「――――あ、ぁ」



「もういい、喋んな、口を閉じてろ。がきんちょは黙って俺の活躍を見とけよ」



 土埃のもやが緩やかに晴れる。



 彼女は知っていた。

 その両腕にあるものは、迷宮出土品である頑強な金属棍棒、常勝の黄金槌ヴァズラ。

 その羽織の背中に書かれているのは、契約の神ミトラを称える交差した羽ペンの紋様。



 気の遠くなりそうなほど遥か巨大なクジラから、彼女の身を守るために立ち塞がるその出で立ちは、少し前の記憶での姿と合致していた。



「――は、おかしいもんだが怖くねえや。ヘラシカの森の王に襲われたときは身震いするほどだったのによ、誰かを背中にしてるとありゃ、ちっとも怖くねえ」



 意地っ張りのような啖呵が切られる。

 刺すように濃密な殺意の空気で、その男もまた静かに研ぎ澄まされていた。











 それは、世界でも指折りの冒険者として、英雄認定されていたかつての一人。

 才能をほとんど持たないくせに、付与魔術の腕前だけで英雄にまで這い上がってきた逸材。

 自分がかつて率いていた迷宮攻略パーティから追放された役立たず。



 魂の位階、元第九位。

【瑠璃色】の名を友に託したもの。

 格好付け。

 英雄気取り。

 その名は、ミロク。


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