緊急
コロコロと表情が変わるアイリスに、何度驚き、惚れ直した事だろうか。
そんな事を知ってか知らずか――いや、アイリスの事だから知っているであろう――アイリスは笑顔で語りかけてくる。
以前のような凛々しさがまったくなくなったわけではない。時折見せる真剣な表情はやはりかっこよく見えるし、憧れる。
だが、それ以上に今の楽しげな表情も可愛く、見惚れてしまうのだ。
ただ――
「アイン様は今日はどちらの服装がよろしいですか?」
これさえなければ、そう思ってしまってもバチは当たるまい。俺に女装させようとする人間が母上以外に現れたのだ。疲労も2倍である。
心の中でため息をついた後、アイリスを見る。なぜ手に持っているのは両方とも女性用のドレスなのだろうか。さらに言うなら、彼女の身長に合わないドレスを持っているのだろうか。
はっきりと拒否してしまえばいいのだろう。けれど、彼女がシュンとしているのを見ていると心苦しくなる。
しかし! いつもいつも俺が受け入れるだけだと思わないでほしい。俺は心を鬼にし、拒否をしたのだ!
「アイン様は、王妃様は良くても私はダメなのですね……」
「アイン様とお揃いのドレスを着れると思って、とても楽しみにしていたのですけれど……申し訳ありません。私だけですよね……」
「夜遅くまで図書室で勉強していて誰にも気づかれず、電気を消されてしまい涙目になった可愛らしいアイン様……」
「私もそのような可愛らしいアイン様を直に見たい……我儘、ですよね……」
――おかしいのも一部あるが、好きな女性にこのような事を言われて、拒否し続ける事ができるだろうか。
……少なくとも無言でアイリスの持ってきた服装を手にとってしまうぐらい、俺には耐えきれなかった。
今も俺の手にはアイリスが持ってきた服がある。そして背後に立つマリー。
逃げ場なんてものはなく、ただ受け入れるしか方法はなかった。
「とても可愛いです!」
「ええ、とても……、不自然なところがないぐらい似合っていますよ。殿下……ぷっ」
子供がはしゃいだように可愛い、可愛いと言い続けるアイリス。それと、俺の姿を見て、笑いを堪えようと、いや堪えているつもりなのだろうが、一切隠せていない侍女。
やはり、マリーには一度、徹底的に躾直さないといけないのでは? そんな事を考えてしまったのが悪かったのだろう。
「殿下、申し訳ありませんが至急の用件が……」
入って来たのは俺の信頼している部下の1人だった。いつもは余裕をもって行動するのだが、余程急いでいたのだろう。確かにノックはしていたが、返事をする前に入ってきた。
「………………」
「………………」
気まずい。先ほどまで少し騒がしかったアイリスもマリーも急に静かになるものだから、さっきと比べてより今の空気が重く感じる。
「……失礼しました。要点はまとめておくので、時間がある時に見ておいてください」
「ま、待てっ」
「それでは、お邪魔してしまい申し訳ありませんでした」
「おいっ! 待てと言っているであろう!」
追いかけようと扉に手をかけたところで思いとどまる。今の服装で出ていくのは危険ではないか? そんな考えが頭をよぎり、扉の前でヘタリと座り込む。
「……もうダメだ」
「そんな事ありません。こんなに似合っているのです。彼もきっと殿下の可愛らしさを目に焼き付けた事でしょう」
後ろから悪魔、もといマリーが後ろから囁く。それは俺の心情を察した上で、トドメをを刺しに来やがった。
その光景をアイリスは子供を見守るように見ていた。
「さて、緊急の用件は彼がまとめてくれるようですが、これで出歩くわけにもいきませんし、ここで彼の帰りを待つことにしましょう」
「そ、そうだな。ならもうこの服は脱いでいいよな」
「ダメです♪」
「ぇっ?」
以前と同じやりとり。だが、俺は以前のままの俺ではない!
「ダメですからね、アイン様」
「……はい」
早々に諦めた方がいい時もある。今はまさにその時だ。俺はこれまででその事を学んだ。こうなったアイリスに何を言っても無駄なのだ。抵抗すればするだけ、俺の黒歴史を露わにされるのだ。大人しくしといた方が身のためである。
結局、俺たちが外に出るのをやめたため、緊急の書類がすぐに持って来られたのだが、せめて着替えていると思っていたのだろう。彼は俺の姿を二度見した後、盛大に目を逸らした。
その事に一瞬落ち込んだが、作業に取組んでいる間に忘れていった、いや忘れてしまっていたんだ。
父上にも相談しなければならない内容だったのでアイリスと共に報告した後、微笑ましげな父上から「似合っているぞ」の一言により、俺は膝から崩れ落ちた。
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