異世界花屋さん
城間盛平
シオン
男は重い足取りで歩いていた。長い長い道のりだった。やっとの事でタンドール国の王都モローまで歩き着いた。人間の歩く一歩はてとも短いが、歩き続けるととても長い距離を歩けるものだとわれながら感心した。
王都から山を二つ越えれば、男の故郷の村にたどり着く。もっとも男が故郷に戻っても、家族は喜ばないだろう。男は苦く笑った。王都のにぎやかな市場通りを抜けて、フラフラと小道に入った。
小道に入ったのはまったくの気まぐれだ。泣きたいほど故郷に帰りたい気持ちもあるが、石にかじりついても帰りたくない気持ちもある。
男が重い足取りで歩いていると、目の前にパッと花が咲いた。いや、目の前に小さな花屋があったのだ。メイン通りから外れ、ひかえめにひっそりと。
男はまるで引き寄せられるように花屋に近づいた。花屋の店先にはバラ、シクラメン、スイートピー、マーガレット、百合の花の鉢植えが所せましと並べられていた。そこで男は疑問に思った。
花の季節が違うのだ。バラは五月頃、シクラメンは十月から四月頃、スイートピーは十二月から四月頃、マーガレットは十一月から五月頃、百合は五月から八月頃だ。
男は不思議に思ってしげしげと花々を見ていると、声をかけられた。
「何をお探しですか?」
男が慌てて顔をあげると、可愛らしい少女が微笑んでいた。歳の頃十五、六くらいだろうか。栗色の髪の毛に、大きな茶色の瞳。男は故郷の娘の事を思った。娘はどれほど大きくなっただろうか。男は故郷を出てから五年も故郷に帰っていなかった。
男がぼんやりもの思いにふけってしまったため、少女は心配そうに首をかしげだ。男はハッと気づいて慌てて言った。
「いや、あの、色々な季節の花が咲いて驚いてしまって」
少女はああ、と言って答えた。
「ええ。お花たちが咲きたいと思ったら、いつでも咲くんですよ」
男は少女の言った言葉の意味がわからず黙ってしまった。このままでは気まずいので、とっさに口から言葉が出た。
「あ、あの。シオンの花ってありますか?」
少女はキョトンとした顔をしてから、花が咲いたような笑顔ではいと答えた。少女は店の中に少し入って、土の入った植木鉢を持って来た。植木鉢には花の芽すら出ていなかった。男がどうすればいいのかわからず黙っていると、植木鉢を持った少女の手が光り出した。
驚いた事にピョコンと植物の芽が飛び出ると、グングン成長して可愛らしいむらさきの花を咲かせた。男はあんぐりと口を開けた。これは魔法だ、この少女は植物の魔法が使えるのだ。少女は微笑んで言った。
「シオン、可愛いお花ですよね?あたしも大好きです」
「あ、ああ。シオンの花は妻が好きなもので」
「まぁ!奥さまへのプレゼントなんですね?!奥さま、きっと喜びますね」
男はズキリと胸が痛んだ。だが表面上は笑顔でうなずいた。少女はどのくらいで家に着くのか聞いた。男は王都から山を二つ越えた村に帰ると答えた。少女はうなずいて店の奥の誰かに声をかけた。
「クレアちゃん、お願い」
店の奥から美しい少女が出て来た。髪はプラチナブロンド、瞳はアイスブルーだ。男はクレアと呼ばれた少女に見とれてしまった。クレアは男にえしゃくしてから栗色の髪の少女に言った。
「メロディ、何日くらい?」
「五日くらいかかるかな」
「ええ、わかったわ」
クレアは、メロディと呼んだ少女の持っているシオンの鉢植えに手をそえた。するとクレアの手が光った。シオンの鉢植えの上にムクムクと水のかたまりが出現した。クレアは水魔法が使えるのだ。
メロディはクレアにありがとうと言ってから、男に鉢植えを手渡した。男は受け取って代金を支払った。男が立ち去ろうとすると、メロディが呼び止めた。花の育て方をメモするから待ってほしいと言うのだ。
男は店先に置いたイスに座らされた。クレアは男に紅茶をごちそうしてくれた。クレアのいれてくれた紅茶はとても美味しかった。
しばらくするとメロディが出てきて白い封筒を手渡して、言った。
「帰り道お花に話しかけてくださいね?きっとお花も喜びます」
男はあいまいにうなずいて礼を言って花屋を後にした。
男は黙々と故郷への帰り道を歩いた。暗くなれば火を焚いて野宿をした。何となくリュックサックにくくりつけたシオンの鉢植えに目がいく。男はメロディの言葉を思い出し、シオンの鉢植えに言った。
「やぁ、旅の道連れができた。今からお前は俺と一緒に故郷で謝らなきゃいけないんだ」
男はバカバカしいと思いながら、シオンを相手に話しを続けた。
「どうしてだって?それは俺がとんだかいしょう無しだからさ。俺は真っ当な稼ぎもなくて女房子供に迷惑ばかり。冒険者になって細々と仕送りをしているが、生活は苦しかっただろうなぁ」
シオンの可憐な花は、焚き火の火に照らされ男の話しをジッと聞いていた。男の目から涙がポロポロあふれてきた。
「俺だって、女房と娘を幸せにしてやりたかったんだ。何でこんな事になっちまったんだろう」
男は静かに涙を流した。
翌日も男は黙々と歩いた。旅の相棒は可憐なシオンの花。クレアがかけてくれた水魔法のかたまりは、少しずつ水滴になりシオンの花をうるおしてくれた。
メロディの予想通り、男は王都から五日かけて故郷の村に帰り着いた。男はあばら屋のような自身の家の前に立つと、ゴクリとツバを飲み込んでからドアをノックした。
しばらくして、誰?という声が聞こえた。男の記憶よりずいぶん大人びた声だった。男はうわずった声で言った。
「俺だ、父さんだ」
しばらくするとドアがギィッと開いて、妻の面影がある成長した娘が顔を出した。男は思わず叫んだ。
「ベルテ!見違えたな!」
「・・・、今さら何しに来たのよ」
「すまない。これでも手紙をもらってすぐに出発したんだ」
「言い訳なんて聞きたくない!父さんは母さんの死に目にも間に合わなかった!私たちを捨てたんだ!」
予想はしていた。娘にあたたかく迎え入れられるとは思ってはいなかった。だが娘の怒りをいざ目の当たりにすると、胸が引きさかれるように辛かった。
男が冒険者として働いていると、日頃通っている冒険者協会に男宛に手紙が届いていた。手紙には妻が病気になり、危険な状態だと書かれていた。男は慌てて故郷に戻ろうとした。だが男のいる場所は、故郷からとても離れていた。
男は娘に手紙を書き、王都の冒険者協会に手紙を送ってくれと頼んで故郷に急いだ。妻が死ぬはずない、五年前男を笑顔で見送ってくれた妻が。きっと間に合うはずだ。男は乗り合い馬車を乗り継ぎ、馬車がない場所は徒歩で歩き、やっとの事で王都モローまでたどり着いた。王都の冒険者協会で男宛の手紙を受け取り、読んでがく然とした。
妻は亡くなってしまった。埋葬も村の人たちとすませたと書かれていたのだ。男はぼう然としてその場に立ち続けた。涙は出なかった。ただただ妻の死を信じる事ができなかった。
男は涙を流しながらいきどおっている娘のベルテに、妻の墓に案内してほしいと頼んだ。ベルテは泣きながら男の前を歩いた。
妻の墓はみはらしのいい丘の上にあった。生前に妻が、自分が亡くなったら墓地ではなくここに埋葬してほしいと頼んでいたそうだ。男は胸が締め付けられるようだった。この場所は、男が若い頃妻と何度もおとずれた思い出の場所だったのだ。
男は粗末な墓石に語りかけた。
「ジネット、本当にすまなかった。君を看取る事ができなくて」
男はそこで言葉を詰まらせた。妻に何と言ってわびればよいのかわからなかった。ふと、リュックサックにくくりつけていたシオンの鉢植えを思い出し、墓石の前に置いた。
「ジネット。君が好きなシオンの花だよ」
男はある事を思いついた。このシオンの花を妻の墓の前に植えてやろう。そうすれば妻も少しは心がなぐさめられるかもしれない。男は手ごろな石を手に持ち、墓の側に穴を掘った。そして鉢植えからシオンの花を取り出し土に植えた。
すると驚くべき事が起こった。地面に植えたシオンの花がスルスルと大きくなり、やがて墓石をおおうように花が咲いたのだ。
「綺麗」
娘のベルテはほうけたようにつぶやいた。男はメロディから受け取った封筒を思い出し、ベルテに渡した。ベルテが視線でこれは何かたずねた。
「シオンの花を買った花屋が渡してくれたんだ。シオンの花の育て方が書いてある。ベルテ、母さんの墓とシオンの花の世話を頼む」
男は再び故郷を出る心づもりだった。娘だとてかいしょう無しの父親などいないほうがいいだろう。ベルテは封筒から便せんを取り出し、目を通した。
ベルテは便せんの最後に目を通してから、ポツリと言った。
「母さん、そういう意味だったんだ。シオンの花言葉」
男は娘の言葉の意味がわからず言った。
「シオンの花言葉?優美、そして忍耐だろ?忍耐、だなんて母さんの人生みたいだったなぁ」
「それだけじゃなかった。母さんはいつも言ってた。父さんは私たちの事を思っているって、シオンの花言葉のように。この手紙にはシオンのもう一つの花言葉が書いてあるの、遠くにいるあなたを思ってる。って」
男はそこでハッとした。五年前冒険者になるため家を出る時、妻が言ったのだ。シオンの花言葉のように思っていると。男はシオンの花言葉は、忍耐という言葉しか知らなかったので、妻が耐え忍んで待っていてくれると言ったのだと思った。だがそうではなかったのだ、男がどんなに遠く離れても、妻は男の事をずっと思ってくれていたのだ。
ベルテはポロポロと涙を流しながら言った。
「母さんが死んじゃう時に言ったの。私が天国に行ってもずっと思ってる、シオンの花言葉のようにって。母さんは、私たちの事を天国に行っても、ずっと思っていてくれるって言ったんだわ」
ベルテはそう言うと、小さな子供のようにわんわんと泣き出した。男はどうしたらよいかわからなかったが、おずおずと娘を抱きしめた。ベルテは男の胸にすがりついて泣いた。
そんな男と娘のベルテをシオンの花が優しく見つめていた。
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