Call me a boy

ムラサキハルカ

M

 冬の薄曇空の下。駅の傍にある噴水の前。

「しょーねん」

 やや下っ足らずな声とともに、控えめかつ幼げな笑顔をした上菜雫うえなしずくが大きく両手を振っている。ファーがついた白いダウンコートに同色の長いスカートに身を包んだこの小柄な女は、色素の薄い短い髪をわずかな冷たい風で揺らしている。

 それを見た下屋大河したやたいがは、年上女性の大袈裟な身振りに苦笑いしたあと、小さく手を振り返した。

「早く早く!」

 今度はおいでおいでしはじめる雫はすぐさま、おっとっと、とよろけかける。これを見た大河は半ば反射的に駆けだした。その間も女は噴出された水が溜まった浴槽部分に、背中から倒れこみそうになっていて、

「よっ、と」

 水に触れそうになる直前に、なんとか抱きとめることができた。その際、黒いストッキングと茶色い運動靴が目の端にちらつく。

「怪我はないか?」

「うん……」

 雫は、二三度瞬きをしたあと、

「ありがとね」

 恥ずかしげな上目遣いを向けてきた。とはいえ、大河の方も慣れたもので、

「いつものことだしな」

 しれっと答える。

「いつもってほどじゃないでしょ」

 不思議そうに首を捻る雫。大河は溜め息を吐く。

「しーちゃんがそれでいいならそれでいいよ」

 大河の頭に浮かぶのは、雫が石や木の根に足を引っかけて転んだり、前方不注意で電柱やマンションの壁にぶつかる姿だった。

「少年は引っかかる言い方するなぁ」

 不満げに眉を顰める雫に、気にするなって、と短く応じたあと、買ってきたばかりの缶コーヒーを渡す。白い手袋越しに受けとった雫は、

「わたし、紅茶が良かったなぁ」

 文句を口にしつつも、両手で温かな缶を包みこみ、ホワッとした顔をする。

「とりあえず、カイロ代わりだ。ホームに上がったら買うよ」

 大河の提案に、雫は一転していたずらっぽく笑う。

「冗談だよ。さすがに少年みたいな年下におごってもらうわけにはね」

「一年とちょっとしか違わないだろ」

 第一、もう少年と呼ばれるほど幼くない。大人になりかけているという自覚が芽生えつつある大河の中にある、少なからぬ不満。それに気付いているのかいないのか。雫は、ちっちっちっ、とわざとらしく人差し指を振って、

「一歳でも年上は年上だよ。幸か不幸かね」

 大河の顔を少しだけ寂しげに見つめた。

「じゃあ、行くか」

 立ってるだけで芯に染みこんできそうな寒さを嫌い、大河は噴水から距離をとる。とにもかくにも、さっさとここを離れなければならない。

「待ってって。もうちょっと、お喋りしようよぉ」

 戸惑うような声とともにとてとてと付いてくる雫。後ろを見ながら、転ばないかどうかを確認しつつ、大河は自然と息を吐きだす。その白さに、さっさと温かいところに入らなければ、と駅へと足を急がせた。

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