第11話 エピソード2 姫とメイドの温泉旅行(5)

「旅費と宿代までくれるなんて、なかなか太っ腹な領主じゃない。馬車代は丸儲けだしね」

 領主と会った翌日、グラスポートに戻ったリレイアはホクホク顔だ。

 銀熊邸の宿泊費で大赤字ってことわかってるかな?

 大亀荘の御者に礼を言って別れると、私達はふん縛ったゴロツキをひっぱって、銀熊邸の暖簾をくぐった。

「さあて、腕がなるわ」

 ぺろりと舌なめずりをするリレイアである。

「いらっしゃいま――そちらの方は?」

 ご主人のリッカルは、ゴロツキを見ると一瞬顔を引つらせたが、すぐに笑顔に戻った。

 おしい!

 これでなんの反応もなしか、純粋に驚くだけだったならば、なかなかの役者と褒めるところだ。

「あら、お知り合いではなくて?」

 リレイアが挑発するように言う。

「知りませんね」

 リッカルは冷たい目でゴロツキを見下ろすと、あっさりとぼけた。

「でも、この方は貴男に頼まれて、他の宿の献湯を邪魔したと白状されましたわ」

「んー! んー!」

 ゴロツキは必死に首を横に振るが、さるぐつわをかまされているので、言葉にはならない。

「なんの話をしているんです?」

 なおもリッカルはとぼける。

「紅龍邸への度重なる襲撃についても、貴男に頼まれたと白状しましたわ」

「んー!? んんんんー!!」

 もちろん白状などしていない。

 リレイアのハッタリである。

 まあ、事実だしいいだろう。

「なるほど。あなたが私を侮辱するために、わざわざ足を運んでくれたことはよくわかった。そもそも、もしそこのゴロツキが何か言ったとして、それが事実だと誰が証明するんです?」

 そう。ここは現代ではない。

 明確な物証があっても、貴族なら簡単にもみ消せる。

 平民の証言ともなればなおさらだ。

「それはもちろん私が」

「はぁ……?」

 リッカルはリレイアを小馬鹿にしたような目で見下ろす。

 ちょっとイラっとくるけど、今は我慢だ。

 あとで吠え面かくといいわ。

「私では不服かしら?」

 リレイアは余裕の笑みだ。

「これでもオレは貴族の出でね。ここに一泊するのがやっとという程度の身分じゃなんとでもできる」

 お金がないの見抜かれてた!

 まあ……そりゃそうか……。

 レンタルした浴衣も安いやつだしね。

 今考えれば、着ている浴衣の値段が身分を表していたのだろう。

「貴男が貴族なのは知っていますわ。立ち居振る舞いからあきらかですもの」

「へえ……? ということは、キミも平民の小金持ちではなく、貴族だね?」

 リッカルは貴族らしい振る舞いをしていたわけではない。

 それでもわかるというのは、貴族だけが受けてきた教育の成果なのだろう。

「ご明察ですわ」

「ならば知っているだろう? 貴族は位が全てだ」

「そうですわね」

「ならばお引き取り願おう。これ以上は時間の無駄だ」

 宿の客達が何事かと集まってきた。

 リッカルの顔に僅かに焦りが浮かぶ。

 宿の評判に関わるだろう。

「それは、自分のしたことを認めたということでよろしいのですね?」

「なぜそうなる!?」

「あなたは今、『自分がやったがもみ消せる』と言いましたわ」

「そうは言っていないだろう!」

「私にはそう聞こえましたわ」

「お前にどう聞こえようと知ったことか! 出て行ってくれ! 営業妨害だ!」

「営業妨害はどちらかしら? 貴男が領主様お抱えの軍から火薬を融通してもらったことは調べがついてますわ。火薬は貴重な物資。それが銀龍邸の『事故』に使われたのはご存じですわね?」

「な……そんなこと調べられるはずがない!」

「領主様に教えてもらいましたの」

「バカバカしい。火薬の取引き量は機密性が高い情報だ! そうそう教えたりするものか」

「本当にそう思いますの?」

「当たり前だ。これ以上侮辱するなら、駐在兵を呼ぶぞ!」

 駐在兵とは国から派遣されている軍人で、現代で言う警察のような役割を担っている。

 基本は貴族のためにしか動かないため、これとは別に平民が自警団を組織するのが普通みたいだけど。

「侮辱するつもりはございませんわ。ただ事実を並べているだけですの」

 しれっと嘘をつくよねえ。

 挑発する気まんまんのくせに。

「領主様だって、コレを見せたら快く火薬の取引きについて教えてくださいましたわ」

「ああん?」

 リレイアが掲げた掌から王家の紋章を投影すると、リッカルの顔色がみるみる変化していった。

「あ……あ……バカな……それは……」

「こちらは、エトスバイン王国第一王位継承者。リレイア姫だ!」

 私がそう宣言すると、野次馬を含めたその場にいる全員が膝をつき、頭を垂れた。

 ただ一人、リッカルだけはひざをガクガク震わせ、その場に立ち尽くしている。

 そりゃあそうだろう。

 王族にあれだけのことを言ってしまえば、普通ならどうなるか、貴族の位を振りかざしていた彼が一番よく知っているはずだ。

「ここで私を亡き者にすれば、なんとでもなるなんて考えていますか?」

 リレイアがにやっと笑ってみせる。

 うわぁ……挑発するなあ。

「いいえ! 滅相もない!」

 そんなことは考えもしなかったのだろう。

 しかし、選択肢は与えられてしまった。

 リッカルの顔に、一瞬だけ迷いが生じた。

 ここで彼にリレイアを襲わせ、より決定的な場面として彼を逮捕するというのが彼女の作戦だ。

 ちょっと悪い気もするけど、リレイアの泊まった宿に手を出したのが運の尽きである。

 何より、このまま放置しておくと、街の治安が悪化しかねない。

 リッカルが覚悟を決めた表情をしたその時――


「やめておけ」

 乱入したのは紅龍邸のご主人だった。

「父上……」

 リッカルは迷惑そうに顔をしかめる。

「まさかお姫様だったとは……。息子の非礼はお詫びします。だが、このバカをハメるのはご勘弁願いたい」

 小さくため息をつくご主人に対し、リレイアはひょいと肩をすくめて見せた。

 まさかこの展開まで想定内ってこと?

 こういう時のリレイアは、十五歳とは……いや、どんな大人よりも賢く見える。

「非礼はどうでもいいですわ」

 よくないけどね?

 王族ってバラしたあとはだめだよ?

 ここは教育係を自認するメイドとして、後で言っておかなきゃ。

「ですが、街を……国を乱すことに繋がる悪事は見過ごせませんわね」

「王族とは思えない発言ですな」

「よく言われますわ」

「面白いお姫様だ……。だが、息子に罪を追加するのだけは看過できませんな」

「何のことかはわかりませんが、リッカルさんが大人しく罪を認めてくださればそれでいいですわ」

「寛大なご処置、感謝いたします。いいな、リッカル」

 ご主人がリッカルを鋭い目で睨んだ。

 リッカルは一瞬ビクンと肩をふるわせたが、やがてカウンターにあったベルを鳴らした。

 すると、奥からゴロツキ達が現れた。

 馬車を襲った時に見た顔もいる。

 捕まっただろうと思ったが、リッカルが庇ったのだろう。

 ゴロツキ達がここにいる理由はわからない。

 護衛として雇われたか、たまたま打ち合わせをしていたのか。

 リッカルを除いて五対二。

 はっきり言って勝負にならない。

「屋内じゃあ自慢の魔法も使えないだろう?」

 リッカルの声はやや震えているが、それでも覚悟は決めたらしい。

 私達の口を塞ぐという覚悟をだ。

 こっちから挑発しておいてなんだけど、悪役の行動パターンだよねえ。

「魔法なんて必要ありませんわ。ユキ!」

「はい」

 私はスカートの中から小ぶりのナイフを5本取り出し、ゴロツキ達に投擲した。

 まだ戦闘態勢になっていなかった彼らは避けることもできず、四本は太ももに突き刺さった。

「ぐあっ!?」「なんだ!?」「いてえようっ!」「いぎやぁ!? いてえ! いてえよお!」

 四人のごろつきが大げさに転がる中、たった一人、私のナイフを避けた男がスラリと剣を抜いた。

「オレは他の四人とは違――」

 男が何かを言おうとしたその時には、既に私は彼の懐に入っていた。

 まずはブレストプレートの隙間から、みぞおちに肘を一撃。

「うぐぁっ!?」

 呻いて下がった顎の先を掌底でかすめる。

 それだけで、男は白目を剥いて倒れ伏した。

「余計な罪状が増えただけでしたわね」

 リレイアは涼しい顔で床に転がる男達から、リッカルへ視線を移した。

「く、くそ……」

 ゆっくりリッカルに歩いていくリレイア。

 私はそんな彼女の斜め前で、リッカルが何をしても飛び出せるように警戒しつつ、ゴロツキ達にも注意を払う。

「姫様! 後生です! どうか息子の命だけは!」

 紅龍邸のご主人がリレイアとリッカルの間に割り込む。

 片膝をつき、下げた頭は小刻みに震えている。

 そりゃそうだ。

 自分の首が飛んでもおかしくない行為である。

「今更父親ぶったって……」

 リッカルはそんな父の背中を睨んでいる。

「一つ質問に答えれば、私を襲ったことは不問にして差し上げてもよくってよ」

「本当ですか!?」

 顔を上げたご主人に、リレイアは首を横に振る。

「答えるのは貴男ですわ」

 視線の先にいるのはリッカルだ。

「それで恩赦を頂けるのであれば……」

 今やリッカルも怯えた表情で片ひざをついている。

「なぜ紅龍邸を襲ったのです?」

「それは……『御用達』を他の宿に奪われたくなかったからです」

「私は貴男のお父様の宿を襲った理由を聞いているのです。質問の意味、わかりますわよね?」

 リレイアの厳しい視線を受け、リッカルは口を閉ざしてしまった。

「貴男の口から言えないのであれば、私が言いましょうか?」

「お見通しなのですね……」

 強気な笑みで挑発するリレイアに、リッカルは小さく息を吐いた。

「父に勝ちたかったんです……」

「なんだと?」

 紅龍邸のご主人が眉をしかめた。

「父上はたしかに立派な貴族でしたよ。私の兄にはめられて家督を譲るときも、愚痴一つこぼさず見事な引き際でした」

 息子の告白を父は黙って聞いている。

「隠居せずに温泉宿を始めると聞いたときには驚きましたが、そこで成功したことにも流石だと感心しました」

 紅龍邸って老舗じゃなかったんだ。

 買い取ったのかもしれないけど。

「だけど私は自由に生きたかった!」

 その一言に、父ははっとして息子の顔を見つめた。

 彼には何か目標があったのだろうか。

 貴族の次男は執事や騎士になることも多い。

 例えば、騎士になって国のために戦いたいとか?

「商売人になんかなりたくなかった! 次男が家督を継げないのはわかっていたけど、もっと楽して遊んで暮らしたかった! 美女をはべらせて! 働かずに!」

 ダメダメな理由だった!

「父上が私への財産分与を銀熊邸などにしなければ! 宿の売却は二十年間禁止などという条件をつけなければ! 私は財産を食いつぶしながらもっとぐうたらできたのに!」

 こ、これは……すがすがしいまでのクズっぷりだ。

「しかも! 宿の経営方法にまで口を出してくる始末だ!」

 そりゃあ、この息子に任せていたら潰れるだろうしなあ。

「そこで私は考えた! 父上の宿が潰れれば、私に大きなことは言えなくなるってね!」

 こりゃアカン。

 というかお父さん、しっかり息子のことを考えてくれているじゃん。

 お金だけ渡していれば、今頃全部使い果たして路頭に迷ってたに違いない。

 子育てには失敗したみたいだけど。

「私の人生で最大の失敗は子育てだ」

 紅龍邸のご主人は、眉間にしわを寄せ、こめかみに手をあてた。

 まあ、これだけ失敗すれば、多少の親バカでも自覚はあるよねえ。

「そうだ! もっと自由にさせてくれてもよかった!」

 だめだこりゃ。

 この人にはつけるクスリがなさすぎる。

「ということですわ、領主さん」

 リレイアが入口を見ると、そこから領主が現れた。

 私達と一緒に、この街へとやって来ていたのだ。

「りょ、領主様!」

 慌てたのはリッカルである。

 今までのやりとりを領主に見られていたとあれば、もう罪を逃れることなどできない。

「約束通り、私を襲ったことだけは不問にして差し上げますわ。あとはお願いしてよろしいですわね?」

「はっ。かしこまりました」

 領主はリレイアにうやうやしく礼をすると、リッカルに向き直った。

 多くの場合、領主は裁判権のようなものを持つ。

 そういった単語があるわけではないのだが、要するに自分よりしたの位の貴族や平民を裁くことができるのだ。

 頭をたれたリッカルは、黙って裁きを待つ。

「銀熊邸の主人、リッカルよ」

「はっ……」

「私怨により父の経営する紅龍邸の営業を武力で妨害。さらに、自身の宿を御用達とするため、他の宿の献湯も同様に妨害したこと相違ないな」

「はっ……」

 リッカル宿は顔を上げられずにいる。

 そりゃそうだろう。

 刑罰の内容は領主に任されている。

 今回のような件だと、心象が悪ければ極刑、軽くても財産没収の上に数年は牢屋送りである。

「財産は全て没収。今後、温泉宿の経営に関わることを禁じる」

「はっ……」

「さらに、向こう五年間、紅龍邸で働くことを命ずる」

「はっ……」

 表情こそ見えないが、リッカルの全身が絶望に染まっている。

 彼からすれば辛い条件だろう。

 一文なしで放り出されるよりは、よほど優しい判決だと思うけどね。

 そこを感謝するような頭は、彼にはないだろう。

「ただし、五年後、紅龍邸の主人の評価によっては、没収した一部財産を返してやろう。以上だ」

 へえ……この世界の貴族にしては、随分と罪人に寄り添った内容だ。

 希望を残すと同時に、リッカルが早まって父を殺すようなことにならないよう、予防線も張ったのだ。

 これを自分で考えたのなら、いい領主になるかもね。

 私なら、毎日朝と夜に一時間ずつニチアサを見るように言うけどね。そのまま一年もたてば、少しは心が入れ替わってるんじゃないかな。

「あ、ありがとうございます……」

 一方のリッカルは、その意図を組み取れているのかいないのか、喜びとも絶望ともとれる複雑な表情だ。


◇ ◆ ◇


 その日の夜、私とリレイアは領主のお金で紅龍邸に宿泊した。

 他人のお金で温泉!

 すばらしいね!

「いかがでしたか、姫様」

 テーブルを挟んで向かいに座る領主は、今晩のメインディッシュのなんだかわからない魚のムニエルっぽいものを口に運びながら、リレイアの顔を窺う。

 あ、これ美味しい。

「よい裁きでしたわ」

「ありがとうございます。姫様のおかげです」

 すまし顔で誉める褒めるリレイアに、領主がデレているのには理由がある。

「いやあ、それにしても助かりましたよ。あのままでは、火薬を横流しした罪に問われかねませんでしたから。温泉を掘るのに、火薬じゃないとどうしても崩せない岩盤があると聞いていたのに……」

「もう少し自分の管理する者達のことを把握しておくべきでしたわね」

「しかしそんな細かいことまでは……いえ……」

 リレイアに睨まれた領主は、しゅんとなる。

「火薬のことを言っているのではありませんわ。その件は、私の作戦に協力する条件で不問としましたでしょう。『御用達』の権利を巡る街の腐敗のことを言っているのですわ」

「はっ……」

「他にも似たようなことをしている者がいないか、しっかり調べておくことですわ」

「『御用達』制度を禁止にしなくてよいと?」

「街の活性化に繋がっていることは事実のようですしね。それに、忙しい貴方にも、楽しみは必要でしょう?」

「あ、ありがとうございます!」

 十五歳の少女に諭され、しょげたり喜んだりするおっさんの図である。

 これが、王族という身分で圧をかけているだけではないのが、リレイアの凄さだ。

 彼女ほど貴族の心を操るのが上手い王族がどれほどいるだろうか、

「あなたのように良い領主は私の国で楽しく生きて欲しいですから」

「姫様……」

 リレイアの神々しいとも言える笑顔に、領主はすっかり魅了されている。

 鞭をちらつかせながらの飴の連打である。

 これで落ちない領主はいないだろう。

 しかも、リレイアの懐は全く痛まない。

「しかし驚きました。全て姫様の言った通りになりましたね」

 領主は食事を口に運ぶたび、リレイアを褒めちぎる。

「街で起きていたことと、そこに住む人々を見れば、簡単なことですわ」

「さすがです、姫様」

 そう、今回の銀熊邸でのやりとりは、全てリレイアによる指示通りだったのだ。

 領主のセリフや、身振りなども全てリレイアの指導が入っている。

 これがまた領主もなかなかの役者で、演技と悟られない芝居をするものだから、指導するリレイアも楽しそうだった。

 王宮にいた頃、魔法以外の数少ない楽しみが観劇だったから、それを思い出していたのかもしれない。

「そうそう、忘れないうちに」

 領主が呼んだ彼の付き人は、トレーに銀貨を乗せてきた。

「銀熊邸の宿泊料です。ご命令通り、調査料ということで処理しています」

「ありがとう」

 おお!

 こんなことまで考えていたとは!

 旅を始めたばかりの頃は金勘定がへたっぴだったのに!

 成長したものだ。

 これで一文無しから脱出である。

「お世話になったのですから、もっとお出しすることもできますが、本当によろしいのですか?」

 領主の付き人が、先程の宿代と同じ枚数の『金貨』をトレーに乗せてきた。

「言ったでしょう? 絶対に受け取らないと」

「はっ……」

 はっきりとそう言われた領主は、少し不思議そうな顔をした。

 リレイアは以前、「賄賂は受け取らない。借りになるから」と言った。

 普通の貴族にそういった感情はないらしい。

 下々から受け取るのは、当たり前の権利だと考えているからだ

 だがこうもぴしゃりと言われてしまっては、領主も引き下がらざるをえない。

「そのお金は領地を良くするのに使ってください。そして、私が女王になったら税をたくさん納めても豊かに暮らしていけるような土地を作っていただきたいですわ」

「そのようなお言葉……自分の矮小さを思い知るばかりです。姫様がおられればこの国も安泰でしょう」

「私にできるのは大きな流れを作ることだけ。手を動かして下さるのは皆さんですわ」

「姫様……っ!」

 領主は感極まって涙ぐんでいる。

「ですが、今日くらいはおごらせていただけるのでしょう?」

「ええ、それは喜んで」

「オヤジ! どんどん持ってきてくれ! この宿で一番美味いヤツから順番にだ!」

 尻尾が生えていたら全力で振っていそうなほどの笑顔で、領主はご主人に注文をしたのだった。

 なお、料理を運んで来たのは息子のリッカルである。

 銀熊邸はしばらく他の人に経営を任せ、紅龍邸で性根からたたき直すということだ。

 あの性格がそう簡単に直るとも思えないけどね。


◇ ◆ ◇


 私とリレイアはそのまま領主の金で、十日ほど紅龍邸に宿泊した。

 その間、私は街に『紅龍邸にお忍びで王族が泊まっているらしい』という噂を流した。

 その結果、なんとかコネと作ろうとした貴族が、紅龍邸にこぞって泊まるようになり、今はすっかり大繁盛だ。

 ご主人がちょっとへんくつなのは変わらないけれど、この宿のサービスならお客さんも定着するだろう。

 息子さんを挑発してしまったことにへの、リレイアなりの罪滅ぼしだ。

 悪いのはリッカルだということで、決して正面から謝ったりしないのが、実に彼女らしい。

 そうして私達は、温泉の匂いに後ろ髪を引かれながら街を出た。

「これでまた一人、リレイア様の味方が増えましたね」

「ええ。この旅の帰りには必ず寄りましょう。これだけ恩を売っておけば、タダで泊まらせてくれるはずだわ」

「ええ……?」

「やだなあ。冗談よ」

 私のあきれ顔に、唇をとがらせて微笑みを見せるリレイアである。

 絶対本気だったよね……?

「でもさすがリレイア様ですね。あの親子に、やり直す機会まで与えるなんて」

「偶然よ。街を良くするには、あの方法が良いと思っただけ」

 本当は二人の関係を少しでも良くすることがメイン……とまでは言わない。

 でも、とても気にかけていたのはたしかだ。

 リレイアは絶対認めないだろうけどね。

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