第14話
三日後、千賀から連絡が入り、省吾はエリコという会社の面接を受けることになった。早いな、と省吾は思った。面接には千賀も同行した。営業所の所長との面接だった。仕事は自動車部品の検査選別作業だ。パート契約で一日八時間、週三日の出勤で時給九〇〇円という条件だった。八時間はちょっと長いと感じたが、週三日だからいいか、と省吾は考えた。九〇〇円の時給は魅力だった。
面接の二日後、作業を体験することになった。営業所の二階が作業場で、二〇人ほどの男たちが働いていた。男たちは作業工程順に並んでいるようで、作業台や機械、そして作業者で狭い作業場は一杯という感じだった。省吾は工程の最後の仕上げ作業をする場所に座らされた。作業者の殆どがマスクをしていた。場内は確かに埃っぽかった。グラインダーも稼働していた。省吾は健康被害を懸念した。呼吸器をやられるかもと危惧した。彼も支給品のマスクを着けた。しかしゼイタクは言えない。他に仕事があるかどうか分らない。マスクをしていれば大丈夫だろう。半年だ。夏まで頑張ればいいのだ、と省吾は自分を励ました。彼はそれほど金が欲しかった。作業自体は単純な反復作業だった。省吾の前に座っている人はマスクをしていなかった。省吾はその人に潔さのようなものを感じたが、健康への顧慮を投げ捨てたデスペレートな気分も感受した。
一時間ほどの体験作業を終えると、所長が「どうですか」と訊いてきた。「はい、やれそうです」と省吾は答えた。「あなたはこんな仕事初めてでしょう。もっと広い場所で、座りっ放しじゃない仕事もあるんですよ」と所長は言った。省吾は反射的に「それはいいですね」と応じた。埃っぽい、狭い場所から逃れたい気持が言わせたのだ。所長は省吾を車に乗せ、別の場所に連れて行った。そこはトランスコムという倉庫で、その一区画がエリコの作業場となっていた。天井まで一〇メートル以上ある大きな倉庫で、電照と窓からの外光で明るかった。営業所の二階の作業場の一〇倍はあるスペースに、二〇人余りの作業者が、部品毎に異なる作業台を囲んで働いていた。「こちらの方がいいですね」と省吾は所長に答えた。その日に省吾の採用が決った。
翌週の月曜日から省吾の勤務が始まった。二月の初めだった。配置された場所はトランスコムではなかった。営業所から五〇キロほど離れた隣市内にある池尻という倉庫だった。省吾たち町在住の作業者はマイクロバスに乗り込み、朝七時二〇分に営業所を出発。高速道路を走って八時前一〇分くらいに池尻倉庫に到着。八時始業となる。勤務時間は八時から一七時まで。一二時から一三時までは昼休みだ。
省吾は六時に起き、準備、朝食を終え、七時には五〇CCのバイクで家を出た、営業所まで一〇分ほど。営業所の駐輪場にバイクを置き、マイクロバスに乗り込む。まだ薄暗い中を作業者たちが集ってきてはバスに乗り込む。用があるのか営業所の中に入って行く者もいる。一〇人ほどの予定人員が揃うとバスは出発する。省吾には未知の世界への出発だ。また金稼ぎの生活に入ったなと省吾は思う。定年後、非常勤講師として学校に残る道はあった。しかし学校側の打診に省吾は希望しないと答えた。学校で行われている受験本位の教育に批判があり、自分への処遇にも不満があった。学校に残っても処遇は変るまいと思われた。退職後三年間、省吾は働かず、文学活動に打ち込んだ。金稼ぎの対極にあった文学活動が彼を金稼ぎの生活に引き戻す引き金となったのは皮肉だった。
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