キスの効能について。

少覚ハジメ

キスの効能について。

 僕の趣味といったらカメラと読書、SFとミステリとときたま純愛。カメラに写るもの以外はすべて空想の産物だし、写るものにも僕のフィルターがかかるので、本当にどこまで現実が写っているのかわかったもんじゃない。

 15の春には人並みに高校生になって、写真部に入って、今日は初めての学校祭で、現在進行形で写真展の会場になった教室で当番をしている。

 たいした写真があるわけでもないと僕は思う。良い写真とは何かもわからなかったし、良い写真とはこれだと声高に叫んでいた写真雑誌は軒並み廃刊になった。先輩達の写真だって別に芸術的というほどではないし、僕にいたっては買い物ついでに街中をぶらぶら歩いて、気まぐれでシャッターを切っただけのしろものだし、こんなものにでも何か意味を見つけたがる同学年の部員の佐山にはうんざりしているところだ。SF小説を読みながら適当に教室内の人間が悪さをしないか監視するふりをしたり、説明を求められればそれらしいことを言って誤魔化したりして過ごして午前中が終わる頃だった。

「あれ、浅野っち」

 耳になじんだ隣の席の女子、堀の声が教室の入り口から聞こえた。ちなみに浅野っちとは僕のこと。

 堀は少し背が高く、ちょっと髪が長くて、肌はまあまあ白い方。細身だけれど胸は少し大きい。顔はまあ、悪くない。性格はわりと大雑把だけれど、少し変わっていると思う。なぜだか入学初日から登校中の出来事やら担任の印象やら、学校近くの文房具屋のおばあさんの噂やら、およそ知っても知らなくても良いことを話しかけてくる。人見知りする性格ではないようだが、どこの輪にでも入っていくようでとどまり続けることは無く、それが逆に根無し草のアウトローじみた印象を与えるのか、女子達は多少の遠慮をもって接しているようにも見える。あくまでも僕の目線では。

「ようこそ場末の写真部へ」

 そう言って僕は堀を迎え入れる。場末かどうかはわからないが、一般の高校生にとって写真部の写真というのは、家族写真でもなければ友人の写真でもなく、かといって富士山やらこの世の絶景が写っているわけでもないので、訪れる生徒も少ないのが実際のところだ。

「浅野っち、写真部なの?」と堀。

 一方的に話しかけられて、興味の程度によって頷く角度を変える程度の付き合いしかしていない僕の部活など彼女には知る由もなかったろうし、僕も自分が写真部に所属していることなど言っていないので、これは当然といえば当然の質問だった。ちなみに名字の後に、っちを着けるのは彼女のクセで、親しさの度合いとは異なるようだ。谷口のことは谷口っちと呼ばないので、ち、で終わる名前だと言いにくいのだろうと思っている。

「まあね。良かったら見ていって」と僕は最低限の返事をする。

 堀は入り口から順番に写真を眺めはじめて、ふむ、とか、うむ、とか呟いたり、アゴに人差し指をあてて頷いてみたりしながら一枚づつきちんと鑑賞している。

 何となく淀みないリズムで見て回っていた彼女が、ついに僕の写真の前にたどり着くと、ちょっと動きが止まる。何事かと思い、僕は窺ってみる。堀は写真とその下に貼ってある名前を交互に見て、へえ、と僕を見た。

「いいね」とにこり。

 笑顔が、普段クラスで見るのとどこか違って、少し素敵だと思う。

「何だか、いい」と堀はいいを繰り返す。

「浅野っちにはこう見えるんだね。高さとか、角度とか、切り取り方とか、何だか、いい」

 堀が拙い表現で僕の写真の写真の感想を述べると、意外と嬉しくて僕の顔がにへりとする。にへりって何だと思うかもしれないけれど、にへりはにへりだ。にやりとしそうになるところをこらえて、唇に少し力を入れて笑顔に見えないようにする、これがにへり。嬉しがっているのを悟られないための顔。

「ところでさ」と堀。

「実は探しててたんだよ、浅野っち」親指と人差し指で円を作る。虫眼鏡のつもりだろうか?名探偵・堀。

「何か用だった?」

 んー、と彼女は少し思案しているような顔をする。

「恋ってわかる?」

 恋か。恋ときたもんだ。生憎、全然、さっぱり。僕の人生に恋などという起伏に富んだ感情は無かった。そもそも僕に恋がわかると思ったのだとしたら、人選ミスだ。

「わからないね」

 正直に答える。すると同意見らしくうんうんと大げさに堀が頷く。

「でね」彼女が続ける。

「キスしたら恋に落ちるんだって」

 キスしたら恋に落ちる?逆じゃないのか。恋に落ちて、キスをする。その前に手を繋いだりもするし、デートしたりも、多分、するんじゃないかな?いや、知りはしないのだけれど。僕は疑問に思ってそのままのことを彼女に返す。

「そうだよね」

 同意見らしい。

「でもわからない分、知りたい。だけどデートしても気分がそうならなかったら時間の無駄だし、手を繋いでもわからなかったら損だよね?」

 損ってことは無いと思うが、たしかにスタートラインは人それぞれであっても良いだろう。角でぶつかったから恋をする。目が10回合ったから恋をする。たまたま幼なじみで、小さい時から手を繋いで学校に通っていたら恋になった。まあ、いくらでもありそうだ。してみると、一番相手にときめく瞬間が恋の近道かも知れない。ならば、キスから始まる恋もありだ。

 これがまれに読む恋愛小説ならどうだろう?とりあえず二人が出会う。状況は様々。僕と堀みたいに席が隣だったりもする。最初は仲が悪かったり、友達が好きで、その相談に乗っていたら自分も好きだと気づいたり、例えば部活で活躍するのを見ていて告白に至る場合もある。ただしキスからはじまることはあまりないようにも思える。たまにぶつかって偶然キスしてしまうシチュエーションもあるにはあるが、それはちょっと、今の時代にはそぐわない。でもまあ、それは空想のお話。空想は空想なりに、現実感を演出するために抑えるべきところでリアルな演出をしたりもする。

「なんで、急に恋なの?」

 僕の疑問はしごく真っ当なものだと思う。恋がわからないなら、別にしなくても死にはしないのだ。

「お姉ちゃんにね、彼氏ができたの。そうしたらなんだかふわふわしてるし、いつもニコニコしているし、まあ、それはそれでちょっと気持ち悪くはあるんだけど、たぶん素敵な思いをしているんだなっていうのはわかるの」

 なるほどと僕は頷く。姉がちょっと気持ち悪いくらいになる恋というものがどんなものか、それが知りたいらしい。

「世の中には恋しない人もいるらしいけれど、大部分の人類は恋をする。そのうちわかるんじゃないかな?」穏当な答えだ。少なくともキスをして恋をする、という考えに比べれば。

「私は」心なしか堀の表情が真剣味を帯びる。

「知りたい。恋ができるのかどうか」

 そうなんだ、知りたいのか。近日中だろうか?急ぐんだろうか?

 ねえ、と堀が真剣な眼差しを向けてくる。僕は思わず唾を飲む。視線が和らぎ、いったん伏せられると顔の距離が縮まり、彼女の長くて濃い睫毛がやけに綺麗に見えた。僕は少しうつむく彼女の顔を額あたりからながめることになり、若干低めの鼻の先、その下の唇、多分色付きのリップクリームを塗っている、肌はまあまあ白い、というのは先ほど述べた通りで、そこから下の形のよいあご、さらに下の細い首、そこから首の付け根に華奢な鎖骨が目に入る。髪の、シャンプーか、リンスか、トリートメントかの香りが鼻腔をくすぐり、そのせいではなかろうが、僕は身動きが取れない。

 やがて堀の指が、僕のあごをくいっと上にそらして、ちょうど良い角度に整える。彼女の唇は少し開いていて、吐息の甘さを感じた瞬間、お互いのそれが重なると、僕らは恋に落ちた。


 キスの効能については、以上だ。

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