愛したものしか食べられない話

平賀学

愛したものしか食べられない話

 香織が泣きながらまな板の上の大和をしめている。布巾で目隠しをされた大和は首根っこを押さえつけれて暴れている。ごめんね、ごめんなさい、つぶやきながら香織は、大和の背に包丁を入れる。今夜は鯉コクらしい。


「うん、おいしい」

 こたつの真ん中に置かれた鍋をつつきながらてきとうに言う。僕は味音痴なので味なんてどうでもいいのだが、香織の料理の腕が人並み以上なことくらいならわかる。

 一方の香織は、まだすすり泣きながら筒切りにされて茹でられた大和を口に運んでいる。鼻水も盛大に口に含んでいるのでしょっぱかろう。

 大和というのは香織が二年前から飼っていた鯉の名前だ。香織に残された最後の家族だった。

「私どうしてこうなんだろう」

 赤い目をして香織が言う。いつものことだ。

 香織は、愛したものしか口にできない。


 いったいいつからそうなのかは知らないが、香織は愛したもの以外を食べようとすると受け付けない。おかげでたいへん苦労したらしく、親は香織の食事をどう都合するかにいつも頭を悩ませていたそうだ。それでもどうにかこうにか食材を都合して、愛情を込めて香織を育てた。香織も両親を愛していた。

 僕が香織と出会ったのは、そんな香織の両親が亡くなったときだった。バイトで荷物を届けに来た僕に、初対面の香織がいきなり泣きついてきたのだ。手には包丁を持っていたし、包丁も香織自身も返り血で真っ赤だったけど、あ、この子好みのタイプだなと思った。

 そして泣きつかれるままに事情を聞いて、香織と一緒に両親の遺体を処理して、次の食材を見つけるまでの間面倒を見るよなんて言ってからずるずると同居している。


「食べるのを我慢しようと思ったこともあるの」

 もう何度目か、相変わらず泣きながら香織が言った。

「でもだめなの。おなかが空いたら食べたくなっちゃうの。どうしても我慢できないの」

「香織は悪くないよ」

 香織の求める言葉を返す。わっと泣き声を上げる香織を眺めながら、さて大和がいなくなっていよいよあてがなくなったなと考える。次はどうしようか。


 夜は香織に求められて、彼女を寝かしつける。実際の歳は知らないが、見た目のわりに香織はとても幼い。

 子守唄をうたっていると、ぐるると香織のおなかが鳴った。

「おなか空いた?」

「ううん」

 こらえるように香織は答える。

「僕を食べなよ」

 香織の小さな額に僕の手を載せて言う。

「ううん、あなたは食べられないよ」

 香織は笑う。無邪気でとても優しい笑顔だ。

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