81 おかげ犬  - ホノボノ -




「文吉どん、お伊勢さんに行くんかね。」


長屋の年寄りが文吉に聞いた。


「ああ、大店おおだなのご隠居から頼まれたんだよ。

行きたいけど足が悪いから代わりに参ってくれって。」


長屋の一室で文吉が旅支度を始めていた。

文吉は御用聞きのようなことをしている。

いわゆる現代の便利屋のようなものだ。

その得意先の店から頼まれたようだ。


「七日ぐらいで帰ってくるよ。そんなに遠くないし。」

「それでなあ、」


年寄りが少しばかりもじもじしながら言った。

文吉はいぶかし気に彼を見て苦笑いをした。


「なんだよ、じいちゃん、気持ち悪いなあ。」

「いや、その、シロも連れて行ってくれんかな。」

「シロも?」


シロはこの長屋で皆が世話をしている犬だ。

子犬の時にどこかからこの長屋に迷い込んで来た。

皆で世話をするようになり、番犬のような役目をしている。


「おかげ犬ってのがいるだろ。

だからわしらの代わりにシロに行ってもらって

お札をもらって来て欲しいんだ。」

「おかげ犬か。」

「お江戸でも大流行りだろ。」


伊勢神宮などにお参りに行くのは最近の流行りだった。

お参りには人の代わりに犬が行く事があった。


「俺がお札を買ってきてもいいけど……、」


ここからお伊勢さんに行くのはそれほど長い旅ではない。

それでもシロと言う連れがいると楽しいかもしれない。


「分かったよ、連れてくよ。

シロと一緒にお参りしてくる。」


翌日文吉と首にしめ縄と小袋を付けたシロが

長屋の皆に送られて旅立った。


「なあ、シロ、お前責任重大だぞ。

ちゃんとお役目を果たすんだぞ。」


文吉の横を歩きながらシロが彼を見上げて尻尾を振った。

シロの首元の小袋には長屋の皆から預かった

お札代と旅費が入っている。


「念のためにこれも下げとく。」


と長屋の長老が木札にこの長屋の場所と

シロの名前を書きそれを付けた。

表にはおかげ犬と書いてある。


旅は順調だった。

道筋はお伊勢に行く人が多いからか宿もあり、

何かあれば皆親切にしてくれた。


だがある時、空模様が怪しくなった。

次の宿屋まで少し距離がある。


「間に合わねぇかも。」


と文吉が言っているそばから激しく雨が降り出した。

雷もなっている。


文吉がまずいなと思った瞬間、

すぐそばに雷が落ちてしまった。

彼の耳がきーんとなる。

そして彼のすぐ脇にいたシロが勢いよく走り出してしまった。


「お、おい、シロ!待て!」


シロはびっくりしてしまったのだろう。

文吉はシロを追いかけたが

本気で走り出した犬には追い付かなかった。


結局シロはどこに行ったか分からなかった。


宿場に着くと文吉は宿屋などに

シロのことを伝えてもし見たらお願いしますと

頭を下げた。


やがて文吉は伊勢神宮に着いた。

立派な神社だ。


彼はそこで頼まれたお札をもらった。

長屋の人達の物もだ。


シロがどこにいるか分からなかった。

無事ここに着いているかも分からない。

もしかしたらどこかで……、と彼は暗い気持ちになった。


だが家には戻らないといけない。

彼は仕方なく帰路に就いた。




「お、文吉どん、戻ったのか。」


何日か経った黄昏近く文吉は長屋に帰った。

迎えた年寄りが彼の周りを見た。


「シロは、」

「実は……、」


文吉はシロとはぐれた時の話をした。

聞いた年寄りはため息をついた。


「それは仕方ない、文吉どんは悪くない。」

「だけど……、」


年寄りは首を振った。


「多分親切な人に助けてもらっとるだろ。

それより文吉どん、飯でも食って休め。」


文吉は頭を下げた。




翌日、文吉は大店のご隠居のところにお札を持って行った。

伊勢では伊勢神宮が書かれた浮世絵も買ったので

それを見せていろいろと話をした。


「文吉さんに頼んで本当に良かった。

話も面白かったよ。」


ご隠居はずいぶんと喜んでお手当てをはずんでくれた。


「ありがとうございます。これからもご贔屓に。」


文吉は頭を下げたが少しばかり引っかかるものがあった。


シロだ。


あの人懐っこいシロがどこにいるか分からない。

懐は温かくなったがどこか寂しい。


彼はとぼとぼと長屋に向かうと、

その近くで犬を連れた旅人を見かけた。

白い犬だ。

旅人は犬の頭をなでて離れて行った。

犬は旅人を見て尻尾を振っている。


「シ、シロ!」


それはシロだった。

シロは文吉の声が聞こえたのか彼の方に走って来た。

そして少し離れたところにいた旅人も振り向いた。

文吉と旅人の目が合う。


シロが文吉に飛びついた。

旅人はそれを見てにかっと笑って手を挙げた。


そして文吉は旅人に頭を下げた。




シロはかなり汚れていた。

長屋の住人がシロに水をかけて汚れを落としている。


「シロ、すごいな、ちゃんとお札をもらってきたんだな。」


小袋の中身を確かめた住人が言った。


「お足も出かけた時より増えてるぞ。」

「みんなに助けてもらったんじゃよ。

優しいのう。」

「長屋の近くまで連れて来てくれた人がいたよ。」

「そうか、そうか。」


文吉が言うと長老がにこにこと笑った。

お金を確かめていた住人が文吉を見た。


「文吉どん、これお駄賃でもらっとけよ。

お札代も出してくれただろ。」


文吉は首を振った。


「いや、これは使えねぇ。お代はご隠居からもらったし。」

「かと言ってわしらがもらっても……。」


その時長老が言った。


「寺の尼さんに渡すとどうかね。

身寄りのない子の面倒を見てるだろ。」


皆が明るい顔になる。


「そうだな、それがいい。」

「なら、俺、今から持ってくよ。」

「頼むよ、文吉どん。でお札はどうする。」

「家に二枚もあってもな。」

「シロが持ってきてくれたのは取っときたいな。」

「なら、俺が買ってきたものはご近所に配れよ。

俺もシロが持って来た札が欲しいし。」

「悪いな、文吉どん。」

「いいよ、じゃあ俺行くわ。」

「おう、頼むぞ。」


その時きれいになったシロが

体を震わせて付いたしずくを一気に飛ばした。


皆に水がかかる。


「おお、シロ、派手だぞ。」


シロは分かっているのか分からないのか、

笑っているような顔をして尻尾を振って皆を見た。






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