52 音符さん 




俺がバイトしているカラオケで

月に一度か二度平日に来るおばさんがいる。


朝早めに一人で来て三時間みっちり歌い、

お昼前に帰って行く。

一番安いコースだ。

カメラでちらっと見るとノリノリで歌っている。


カラオケには色々な人が来る。

ヒトカラも結構多い。


ヒトカラで来る客はそこで仮眠をとる人もいるが、

ほとんどはマジで歌う目的で来るので、

フリードリンクを数回取りに来るぐらいで後はずっと歌っている。


そして終わり時間もきちんとしているし、

食べ物も取らないのでゴミもほとんど出ない。

マナーの良い人が多いのだ。

なので俺はヒトカラのお客さんは結構好きだ。


そのおばさんも使った後はいつも綺麗だった。

エアコンもテレビも照明もちゃんと切ってある。

使ったマイクを清掃するだけだ。

それで一度こっそり履歴を見ると知らない曲が多かったが、

中には新しい曲もあって

色々と歌っているんだなと俺は思った。

廊下の掃除をしている時に歌声を聞いたら結構上手かった。


それでこのおばさんはいつもマスクをしている。

それには楽譜の模様で音符が付いていた。


「変わったマスクをしてるんだな。」


と俺がバイト仲間に言うと、


「あれ、多分手作りマスクだよ。」


と仲間は言った。

カラオケに行く時はそのマスクと決めているのかもしれない。

お気に入りなのだろうか。案外と可愛いと思った。

なのであのおばさんは仲間内で音符さんと呼ばれていた。




それである日、

俺は彼女とショッピングモールでデートをしていた。

がやがやと人だかりがあり、覗くとその向こうから男の怒鳴り声がした。


「車いすが当たって痛ぇだろう!」

「すみません、ごめんなさい!」


身体の大きな男が車椅子を押している女性に怒鳴りつけていた。

車椅子には年配の女性がいる。

周りにはやじ馬が集まっていた。


俺は詫びている女性を見た。

マスクをしている。

そしてそのマスクに見覚えがあった。


楽譜と音符だ。


音符さんだと俺は思った。

俺は周りの人に聞いた。


「どうしたの?」

「いやー、車いすの人にあの男がぶつかったんだけど、

自分がぶつかったくせに因縁をつけているんだよ。

さっき警備員を呼びに誰かが行ったみたいだけど。」


俺は音符さんの丸まった背中を見た。

車椅子の女性は音符さんの身内だろうか。

介護をしているのだろうか。

だからカラオケに来るのはストレス解消か?


それは俺の勝手な想像だ。

だがマナーの良い、

支払いの時は必ずありがとうと言う音符さんだ。

それをうっとうしがる仲間はいたが、

俺は言われるととても気持ちが良かったのだ。


小さくなっている音符さんの背中を見ていて

俺は何だかむかむかして来た。


「おまわりさーん!こっち!」


俺は大きな声を出した。

隣にいる彼女や周りの人がぎょっとして俺を見た。

そして音符さんに怒鳴りつけている男も俺を見た。

男は俺の少し離れた正面にいる。


「おまわりさん!こっち、こっち!」


と俺は彼女の手を掴み、男の横を走って通り過ぎた。

そして俺はそのままそこから逃げた。

どうしてそんな事をしてしまったのか分からない。

俺の心臓は破裂しそうだった。


「ち、ちょっと……、待ってよ、」


モールを抜けたところで彼女が息を切らせて言った。


「どうしたの、どうしてあんな事、」

「あー、ごめん、見てられなくて。」


と俺は彼女に多分あの人はバイト先で来るお客さんだと話した。


「私達は逃げちゃったから後はどうなったか分からないよ。」

「そうだな、でも警備員さんが来ると言っていたし。」

「もう!行き当たりばったり。」


と彼女は少し怒ったが、


「見てられなかったのは分かるよ。」


と言って俺の手を握った。




それから何週間か経つと音符さんがやって来た。

いつも通りの朝早く、あのマスクをつけて。

俺を見ても特に態度は変わらない。

あの時のおまわりさーんと叫んだ男が

俺だとは気が付いていないだろう。

そして三時間みっちり歌って音符さんは帰って行った。


「ありがとう。」


音符さんは支払いの時に言った。その目が笑っている。

すると支払いに使ったアプリで当たったのだろう。

小さなファンファーレが聞こえた。

音符さんが俺を見た。


「三等が当たったわ。」

「はは、おめでとうございます。」


俺もマスク越しだが音符さんに笑いかけた。




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