26 ベートーベン



私の斜め前の席に座っている伊藤いとうつとむ君は

いつもお昼に弁当を食べている。


私はお昼は友達と外に食べに行く。


「勉君ってさ、いつも弁当だよね。」

「お母さんに作ってもらっているんじゃない?」

「まだ独身だからね。」

弁当べんとうべんだ。」


伊藤君はまだ入社して二年目だ。

私達は彼の一年先輩にあたる。


「でもお弁当の方が経済的だよね。私も作ろうかな。」


私が言う。

だが皆はじろりと私を見た。


「面倒くさいじゃん。」


確かにそうだ。

だが私は一人暮らしをしている。

一緒に昼を摂る友達はみな実家暮らしだ。

皆はそこそこ高いものを注文するが、

私はいつも一番安いものだ。


ここのところ物価も高くなった。

正直なところ昼食にお金を使う事が苦しくなって来た。


ある時だ。

取引先からの連絡がどうしても昼頃になると言われて、

昼休憩時間だが私はデスクで待つ事となった。

友達は外に出て行った。


「どうしたんですか?」


弁当を出しながら伊藤君が聞いた。


「お客様の電話が昼頃になるの。仕方なく待ってるのよ。」

「昼休憩終わっちゃいますよ。」

「課長には言ってあるから時間をずらしてもらうわ。」


彼は弁当を開けた。

男性らしい少し大きめの弁当だ。


「伊藤さん、それってお母さんが作ってるの?」


暇な私は彼に聞いた。

彼は顔を上げる。


「自分で作ってるんですよ。俺一人暮らしだから。」


私ははっとする。


「ごめん、知らなかったから。」


彼はにやりと笑う。


「良いですよ。」


彼は大口を開けてパクパクと食べる。


「お弁当を作るのは大変じゃない?」

「ご飯だけは朝炊くけどそのまま保温して夜も食べるし。」

「おかずは?」

「週に一回まとめて作って冷凍するんですよ。

だから一週間同じメニューです。

朝は弁当にご飯を詰めて冷凍をポンポン入れて終わり。」


私は感心した。


「偉いわね。」

「慣れると大した事ないですよ。」


と彼は笑った。


「その、お弁当の方が経済的よね。」


私はおずおずと聞く。


「そりゃそうですよ、一食上手にやると100円超えないし。」

「そうよね。」


頭の中で私は計算をする。


「俺ね、お金貯めてるんですよ。」

「お金?」

「オーロラが見たいんですよ。」


私ははっとする。

だがその時電話がかかって来た。

私は慌ててそれを取り打ち合わせをする。

ほんの短い時間だ。


「終わったんですか?」


電話を切ると彼が声をかけて来た。


「ええ、今からお昼に行ってくるわね。」


彼が笑う。


「お疲れさまでした。」


私は彼に軽く会釈をして部屋を出た。


少しばかり出遅れたランチはどこもいっぱいだ。

いつも行く店の中に友達の姿が見える。

ゆっくりご飯を食べている。


私はそこを通り過ぎて立ち食いうどんの店に行く。

ここは味も悪くなく客の回転が速い。

そして安い。

私は食券を買いうどんを啜った。

そしてうどんを食べながら私は考えた。


『オーロラが見たいんですよ。』


と言った伊藤君の顔がちらちらする。


明日から弁当にしようか。

何となく友達と離れたくなくてずっと外食だったけど。


一人暮らしの私にとってお金はとても大事だ。


友達には正直に生活が苦しいと伝えよう。

一人暮らしなのはみんな知っている。

そして後で伊藤君にお弁当を作るコツを聞いてみよう。

彼は嫌がるかもしれないが。


お疲れさまでしたと言ってくれた彼の顔が浮かぶ。


多分彼は丁寧に教えてくれるはずだ。





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