第11話 青年と猫




 冬の澄んだ星空が広がるノール・ヴィルパント展示場。

 その中央広場にクロエの姿はあった。

 会場周辺の見回りを一人で終えた彼女は街路樹沿いのベンチに腰掛け、私用の通信ガジェットを開く。


 空中に光学投影されたホームページに新型サイバーサングラスのプロモーションが流れて『Bientôt disponibleもうすぐ発売!』の大きな文言が浮かぶ。そのすぐ近くには発売時刻までのカウントダウンが点滅していた。


 絶対に負けられない戦いが、ここにもある。

 発売は0時ピッタリ。あと2時間ほどだ。一度アパルトマンに戻って、用意した大量の通信デバイスでクリック戦争に備えなければ。


「ミシェルが望むなら、何だろうと必ず手に入れてみせるわ……!」


 決戦を前にして目が血走っている。

 色々と突き抜けているが、クロエには高額転売ヤーから買うという発想はない。それで弟が喜ぶとは思えないからだ。他者によって不当に吊り上げられた価値にお金を出すなんて、それこそ価値はない。


 今のところ会場周辺に異常は見られないし、仲間たちへの連絡も済んだ。あとは万全の状態で朝を迎えるだけ。

 もう一つの戦場へいざ旅立とうとクロエが腰を上げた時、第2ホールの屋上に不審な影が光る。


「男と……何あれ、子豚?」


 常人なら見逃していたであろう小さな異変も、覚醒したウォッチャーの超人的な視力の前では筒抜けだ。

 正直早く帰りたい気持ちはあったが、ここで粗を出せば明日の戦いに支障が出るかもしれない。

 急がば回れ。クロエは屋上に続く非常階段へ向かった。




* * * * *




 冬の乾燥した冷たい風が白い頬を叩く。

 明け方にかけて、市内には珍しく降雪予報が出ていた。


 関係者以外立ち入り禁止の標識が掲げられた屋上から周囲を見渡すのは、すらりとした背格好の青年。

 涼し気な目元を隠す淡いグレーのカラーグラスにかかる前髪は、夜に溶けそうな濡れ羽色。ダークカラーのチェスターコートがよく似合っている。肌は血潮を感じられないほど青白い。


「来ないね、ペンギン」

「うみゃぁお」


 彼の足元で暖を取る丸々とした巨大な塊は、子豚ではなく猫である。小型犬よりも一回り大きい。

 自分の顔を飲み込みそうなほど大きな欠伸をすると、雪が積もった夜の山に目つきの悪い半月が二つ浮かぶ。

 白黒ハチワレ顔を彩るぺちゃ鼻は、いわゆるブサカワ系と呼ばれる部類だろう。中長の黒い毛が背中を覆い、白いたぷたぷな腹は触り心地が最高だ。


 彼らはここに現れるであろうペンギンのデイドリーマーズを待っている。

 市内に増殖する謎の群れを察知して、様子を見に来たのだ。


 組織の人間でもなければ一般人でもない。

 だが彼らは不可視の怪物を視認できる、特別な存在だ。


「んみゃ、んなぁ~」

「いや、さっきホットドッグ食べたばっかだろ」


 ぺしぺし、とふさふさな尻尾で青年の足を叩き、お代わりを要求する巨猫。

 ほんの数分前にケチャップとマスタードたっぷりのロングホットドッグにかぶりついていたと思っていたら、これだ。

 出し渋る青年に不満気な声が上がる。


「フシャーッ! ぐるるるる……」

「……はぁ。お前ほんとに燃費悪いな。これからペンギンの群れフルコースディナーが来るってわかってる?」

「ニャッ!」


 顔つきをキリッとした猫いわく「それはそれ、これはこれ」らしい。

 底なしの胃袋に呆れた様子の青年は、傍に置いていた鞄の中を漁る。

 昼間のうちに買い込んでおいたジャンクフードを取り出し、食欲旺盛な猫に投げた。


 肉付きの良い前足はそれを器用にキャッチ。包装紙をバリバリと破いて現れたチーズバーガーに、まん丸になった瞳を輝かせる。

 食べ物の前でだけ目つきの悪さが改善される暴食猫に溜め息を溢しながら、青年は会場の周囲をくまなく見渡した。


(群れ全体が集結したら、ヴィジブル・コンダクターだけじゃ防ぎきれない。尻拭いをしてやるのはしゃくだけど、人命優先。ペンギンはここで仕留める)


 パリを訪れてまだ2ヶ月ほどだが、彼はこの芸術の都をわりと気に入っている。

 どこに目を向けても広がる美しい風景も、自己意識の強い個性的な国民性も好きだ。

 初対面で告白してくる変わった少女もいるし。


「うみゃ、うみゃ、うんみゃぁ~……んにゃあ?」


 チーズバーガーを貪っていた猫が、接近する何かに気づいて顔を上げる。

 つられて青年も視線を向けると、非常口を蹴り破る美女と目が合った。


「ちょっと! こんなところで何してるの!?」


 白月の銀糸、意志の強そうな金の瞳、得物が入った大きなトランクケース。


(シルバーガトリングか。厄介なのに見つかったなぁ)


 フランスで一番華のあるウォッチャー・クロエのことは、彼も心得ている。

 いつも行動を共にしている弟の方は見当たらないが、あの目立つ容姿だ。間違いないだろう。

 青年の顔には「めんどくさい」の文字が浮かんだ。


 一方でクロエは、不審者に警戒を解かないままじりりと距離を詰める。

 二人の間に緊張感が漂った。


「さてはあんた……テツヤグミね!?」

「徹夜、組……?」


 想像の斜め上を駆け抜ける発言に、青年が思わず反復する。

 アニメなら「コケッ」と軽妙なBGMが流れてずっこけているところだろう。

 だがクロエは大真面目だ。


「日本にはイベント前日から路上で徹夜するマナーの悪い奴らがいるんでしょ? あんた東洋人っぽいし」

「えーっと……日本でも長年の徹夜組問題は粛清されつつあるし、そもそも俺は徹夜組じゃない」

「じゃあ何なのよ」

「えっと、えーっとぉ……さ、参加者なんだ。猫同伴で来たけど場内がペットNGだったから、ここで餌やりを……」


 歯切れの悪い青年は10キロ越えの巨体を抱き上げてぎこちなく微笑む。腕が震えるほど重い。猫は食べカスが付いた口からふてぶてしいゲップを漏らす。

 その様子を胡乱気うろんげに睨む視線は鋭いままだ。


「……あんた、もしかしてWEB小説家?」

「うぇぶ……? あー、そうそう。この下でブースの準備をしてて……」

「はぁ……ならさっさと中に入って。館内に宿泊所も用意されてたでしょ。イベントが終わるまで絶対に外に出ちゃ……――ッ!!」


 苛立っていたクロエの美しい顔が一気に張り詰める。

 青年が立つ傍のフェンスまで慌てて駆け寄り、広場を挟んだ奥に目を凝らした。


「どうして……!?」


 驚愕きょうがくの声を上げる彼女が見つめる方角を青年が見やると――。




 ペタペタ、ペタ、ペタッ、ペタペタペタペタ……――ペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタ!ペタペタッペタペタペタペタペタペタペタ!ペタペタペタ、ペタペタ、ペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタ!!!




 およそ3キロ先に拡がる広大な複合公園の奥から現れた青い集団。

 不可視インヴィジブル状態のペンギンたちが、もの凄い勢いで行進を始めていた。


 有名画家の名前が付いた道路を一心不乱に突き進む姿に、クロエが大きく舌打ちする。

 イベントは明日からなのに……これは間違いなく、徹夜組――!


「あんたは早く中に入って! 絶対外に出るんじゃないわよ! 他の参加者にもそう伝えて!」


 そう告げると、重たいトランクケースを片手に屋上から飛び降りて行った。

 着地のダウンタイムもなく走り出した後ろ姿を見送って、青年はようやく猫を腕から降ろす。

 あまりの重さに「ちょっと痩せろ」と思ったが、この規格外猫の爆食はこれからだ。


「じゃあ俺たちも行こうか、タマキ」

「にゃぁん」


 軽快な返事をした猫と青年がクロエと同じようにフェンスを飛び越え、一等星の大三角が煌めく夜空を舞う。


 目下のペンギンは道路からあふれ、はみ出した一群が正面ゲートとは違う場所へ向かっていた。

 クロエとの接触を避けるため、広場に着地した青年と猫ははぐれた群れの方へ俊敏しゅんびんに駆ける。

 搬入経路をしばらく走り、先頭と会敵した。


『しょーせつ! しょーせつ!』

『おいしーしょーせつ☆』

『ごちそーっ、しょーせつかっ、みなごろしィイイイイイ♪』


 文字書きの魂を食らい続けたせいで、言語に長けた生態へ変化したらしい。

 おぞましい歌を大声で叫びながらペタペタと向かって来るペンギンを見据え、青年は――マコトはカラーグラスを外す。

 現れたのは人外じみた美貌と、作り物めいた海と月のオッドアイ。



「タマキ、残すなよ」

「みゃぁお♡」



 言われるまでもなく、タマキに限ってお残しなどありえない。

 凶悪に笑った猫はペンギンの群れへ素早く突っ込み、その鋭利な牙を精神体の怪物に突き立てて、肉厚なハムを食べるように次々と噛み千切った。


 一般人には聞こえない耳障みみざわりな悲鳴はマコトの鼓膜を震わせたが、彼は涼しい顔を崩さない。

 そして半狂乱のまま通り過ぎようとしたペンギンに向かって、容赦ない右ストレートを放ったのだった。





 不可視インヴィジブル状態のデイドリーマーズに対して視認と接触の両方が可能な者たちを、エネミーアイズと呼ぶ。


 彼らの物語が大きく動き出すのは、もう少し先の話である――。



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