第2話戦争が歩いて来る
――かちり
意識が覚醒する“音”がした。
どこか窮屈な場所に私は存在しているようだ。
あの迫りくる闇の空間で、虚無に飲み込まれた時は死んだと思ったが――私にはまだ運命の女神は微笑んでくれるようだ。
願っていた相方は私の中に存在しているが、エネルギー不足の為か反応がない。自己診断したところ球形のコアの様な物体が現在の私の姿だ。
――環境適応能力を願ったがこれが私の姿か……。
今更、有機的な肉体に未練はないし“食う寝るヤル”ができるのであれば何も不満などない。なんとも欲に忠実ではあるが自我は存在しているし、不安や鬱などの精神的負担に対しても適応してきているようだな。
この姿で忘れてはならないのは倫理観を伴う人間性かな。
好んで虐殺はしたくないし外道になりたくはない。良く寝て、よく遊び、周りがちょっと幸せでいればいい。
世界を救うなどと言う善性はないし正義などという言葉も好きではない。
――生きているのに生きていない。
もはや今の私は惰性で生きて行くつもりではない。生まれ変わったのならば今までになかった出会いや遊びなどに求め、全力で楽しむつもりだ。
まず問題なのが虚無に飲み込まれた私がどこにいるか、だ。視覚情報には僅かな光量が確認できている、木目が確認できるので木箱の中だろうか。
あの、銀の触手で生成された肉体に戻るには生成するエネルギーや構成物質が全く足りていないようだ。要するにお腹が減って力が出ない状態だな。
木材でも分解、吸収はできるがその工程を行うエネルギーが足りないという二重苦。だけど生きているだけましかな、と思いできる限りの吸収を開始する。
周囲の物質が溶けていきエネルギーに変換していく。
時間はあるんだし気長にいこうかな? 呑気に考えながら油断していると、視覚情報に眩い程の光量が降り注ぐ。
何か暖かい物に掴まれたようだ。
上下に揺れる指らしき隙間から見える景色を観察していると、神殿のような柱が見えた。
大理石らしき石材で作られた壁面に、美しい彫刻が施されており。
天使のような翼を生やした顔のない像が複数聳え立っている。
顔が無い像を不思議に思うが、今はそれどころではない。
掴まれている手の皮膚を吸収していることに気づき、慌てて吸収を止めた。
皮膚の表面は多少溶かしてしまったようだが、事故だから許してくれ。
建物から出た外の風景はあちこちに火の手が上がっており、戦乱の足音が聞こえてくるようだ。
頭を矢で射ぬかれた幼い子供や、鎧を着た兵士らしき人物に槍を突きたてられている妙齢の女性、切り口の鋭い刃で切り裂かれたのか、首だけになった老人。
目も当てられないような凄惨な光景が広がっている。
――ああ、大変だな。
少しだけ胸に苦みが走るが、ぼんやりとした感想しか思い浮かべなくなる。
そのことに少し悲しみを覚えるが、この状況を現代日本人が素面に受け止めたら気が狂うだろうなと、冷静に判断する。
そしてこんなの状況じゃこの世界も楽しめないな……とも思う。
物陰に隠れながら移動しているのだろう、裏路地らしき場所を転々と移動している。大通りには兵士が集団で行動している。
高級な金の装飾がほどこされた黒いローブを着た人物が、手の平から生成された火の玉、ファンタジー的にはファイヤーボールだろうか?
木造の建物に激しく笑いながら、魔法みたいなものを打ち込んでいる。
自分的にはファイヤーよりファイアと読みたい派なのだが。どうでもよいか。
隠れていた住民も火に炙られて叫び声をあげている。
怨嗟の声が響き渡り、泣き叫ぶ幼い声、苦しむ枯れた男の声、切れ裂くような嬌声を出す女性、様々な感情が建物の入り口から飛び出してくる。
――死に際の怨嗟を私は覚えておこう、気が向けば復讐するさ。
これは侵略戦争なのか、報復戦争なのかは分からない。
ただ、憎しみや苦しみ、愉悦を感じさせる醜さなどを感じるのは幸せではないな。どちらが悪いかは私には分からないが楽しくない。
そう思考していると急に手の中から放り出され、石畳の地面に放られる。
私を放り投げた人間の右手には木製の矢が深く突き刺さっている。
膝を付き苦悶の表情を浮かべているがその顔はとても美しく、少女になりたての幼さが感じられる。
唇はやや厚く透き通るアメジストのような紫髪は、幼いながらも妖艶さを出し始めている。
言葉は理解できないが複数の兵士らしき者達が裏路地に進入してくる。少女は何か恨み事を叫んでいるのか、人を殺せそうな視線を兵士たちへ向けている。
汚い笑みを浮かべながら馬鹿にしてくる兵士と、怒り狂う少女の様子は見ていて気持ちの良い物ではない。
兵士の男達が手配書と彼女を見比べている。兵士が顔を確認する為に少女の被っていたローブを引きはがす。
その勢いに振り回された少女は地面に引き倒され、鎧を着た兵士が彼女の胸を足で押さえ付ける。
私はその間にも、ジワジワと石畳を吸収しながら転がり、兵士に視界に入るように行動する。それに気付き兵士に持ち上げられると“コレ”はなんだ? と少女に尋問する。たぶん言葉のニュアンス的に間違いないだろう。
兵士の人数は三人、高速で吸収した石畳三枚分、生成する為のエネルギーは僅か。救うチャンスは恐らく一度のみ。
周囲を警戒していた残り二人の兵士が近づくのを待つ。頑なに答えを言わない少女の胸元を固いブーツでグリグリと踏みにじる兵士。
――殺すぞクズ共が!
煮えたぎる殺意は環境適応で沈静化させてなるものか! 業を煮やした二人の兵士も近づいてくる、後少し、あと一歩。
私に攻撃の射程距離に入った瞬間。
――死ね!
私のコアから生成された極細の石材の槍が三方に伸びる。
汚い唾を飛ばしていた咥内へと突き進み、後頭部から抜け出し、鎧の隙間である脇から体内へと抉り込み、まぶたを突き破り眼窩を通過する。
咥内と眼窩を突き刺した兵士はすぐに生命活動を停止させたが、脇腹を刺した兵士がまだ生きている。
しぶとい奴だと思いつつも高速で吸収を開始する。人間を吸収するなど早々ないし、気持ち的にもしたくないと思っていたが贅沢を言ってられない。
数瞬後兵士が絶命するも吸収を継続する。エネルギーに変換しつつも肉体を生成する為に鎧も生肉もごちゃまぜに飲み込んでいく。
兵士に踏みつけられていた少女は蹲っているものの、驚愕の視線をこちらに向けてきている。
高エネルギーの有機物質が、兵士の心臓辺りにあったが構わず吸収する。少しはエネルギーの足しになったが現在の状況がとてもよろしくない。
簡易的な四肢を生成。頭部はまだ作れないが贅沢は言えない。
負傷している少女に三指しか生やしていない指で、逃げるようにジェスチャーするも口を開けたまま呆けている。
その表情も可愛いが、ここから早く逃げたいのだが……。
必死に少女をトントンと指で突き。逃げるモーションを繰り返してるとようやく理解してくれたようだ。
少女の示した方向を確認すると、私の胸元に彼女を抱き上げ走り出す。
どうやら理解力が高い少女のようで暗い裏路地を這うように進んでいく。
しかし遠目に見える城壁のようなものまでの距離は、まだまだ遠く、逃げ切るにはかなりの時間がかかってしまうようだ。
少しの間悩んだ彼女は地面を指刺した後、鉄格子で封鎖された地下に向かう階段へと案内する。
すかさず鉄格子を吸収、転がり込むように地下へ進んでいく。念のために吸収した鉄格子は不格好ではあるが元に戻しておく。
明かりの無い階段を下りて行くと、途中で少女が何かを唱え手のひらから光の玉のようなものを生成すると空中へ浮かんでいく。
視界が良好になったものの少女は自らの手で鼻を塞ぎ、不快な表情を浮かべている。
私は現在、嗅覚が存在しないため感じることができないが、とてつもなく臭いのだろう。階段の先は下水施設か何かなのだろう、歩きながらでも周りにある石材を吸収していく。
緊急時に戦闘行動できるようにエネルギーを蓄えておかないといけないからな。
しばらくすると下水道を流れる汚水が見えて来た、おそらく見た目も匂いも最悪なのだろう、少女はかなり泣きそうになっている。
私も出来れば汚水などを吸収したくない。人体さえやむなく吸収したのだからな。だが石材などよりもエネルギー効率かなり良かったのは否定できない。
心臓辺りにあった有機物の高エネルギー物質が恐らく原因ではあるのだが。
下水道のマップはさすがに少女も分からず不安そうにしている、私が見た城壁の方向は感覚で理解しているためにひたすら休まずに走っている。
少女の様子を伺うといつの間にか気を失っているようだ、右手に刺さった矢は途中で切断しているが未だに血は流れてきている。
少し時間が経った頃、少女の出した光球は消え去り再び暗闇の包まれる。
下水道の壁面を吸収し避難できる穴倉を作り、周囲のレンガ調の壁面を不器用に真似てカモフラージュをすると、ひとまず休憩所を作成する。
呼吸困難にならないように空気穴を目立たないように作成し、固い床に少女を寝かせる。そして傷口にある矢や汚れを全て吸収すると、現在内包しているエネルギーを使い果たし、銀の触手を小指の先ほど生成する。
現在のエネルギー量ではこれが限界だが、いずれ自身の身体ごと生成できるだろう。複雑な組成や、血液などは生成できないがこの銀だけはわたしの思い通りに変化させる事ができる。
この生成した銀を少女に分け与えるが、血肉となり馴染んでくれればいいのだが。
あの空間で願った相方がいれば様々な事ができるかもしれないが、願いが叶ったかどうかもわからない。とにかく今あるものでどうにか勝負していくしかないだろうな。
今、私の力と資材で彼女にできる限りの応急処置を施しておいた。
周囲の石材を吸収し必要なエネルギー量には全然足りないが、量で補って行こうと思う。
私がお腹一杯になった時には、この王都が急速に地盤沈下を起こしている時だろう。
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