第八十七話 生まれて初めての反撃3 崩れた化粧と真っ黒な涙

「モーガン……王太子殿下やマグナレイ侯爵閣下への失言は早く撤回した方がいい」


 俺だって「恋は人を愚かにする」だなんて言い放ち、俺の見合いにかこつけて自分が若かりし日の想い人とねんごろになりたいなんていうのは、馬鹿げたことだと思っている。


 ただそれは多くの人が聞く場で表明するものではない。


 デスティモナ伯爵家の使用人達だって元々は下級貴族出身のものも多い。親や兄弟が王宮で王太子殿下のもとで働いていたりマグナレイ侯爵のもとで働いていたことだってありうる。


 そんなことにも気が付かずに、使用人ばかりだからと威張り散らすような、不遜なモーガンを作り上げてしまったのはマグナレイ一族だ。

 俺もマグナレイ一族として責任の一端はある。


 未だに撤回するそぶりのないモーガンを見て、俺は立ち上がりデスティモナ伯爵家の使用人達に向き直る。ミアと目があった。


「ステファン様……」

「今の発言は彼の本意ではない。彼に代わって失言を撤回させてくれ」


 極めて冷静に頭を下げる。


「ステファン様。ネリーネお嬢様と結婚した相手にマグナレイ侯爵家の爵位を譲るというのは事実なのですか……? マグナレイ侯爵が大奥様にお近づきになるためにネリーネ様が選ばれたというのは……」


 俺だって巻き込まれただけだ。なのに後ろめたくてミアの鋭い眼差しが胸に突き刺さる。


「マグナレイ侯爵閣下はそんな浅慮な方ではない。何かお考えがあって、ネリーネ嬢を選ばれたのだろう」

「お考えね。辻褄合わせの後付けだろ」

「モーガン!」


 黙っていればいいのにモーガンは余計なことを言う。俺が窘めようとしても、鼻で笑うだけだ。


「まぁ、そうだな。後付けとしてはこうだ。天下のマグナレイ侯爵であれば、社交界に出れば扱いの困る人間とも付き合わなくてはいけなくなる。そう『毒花令嬢』のような嫌われ者の相手でもね。派手好きで湯水の如く金を使う金食い虫で、我儘で高慢ちきで社交界の嫌われ者相手でも、冷静に対応できる振る舞いが求められるってことだろ?」


 モーガンは下卑た顔でニヤニヤと笑う。


「使用人をするしかないようなお前らですら手を焼き近寄りたくない『毒花令嬢』でも、意のままに操ることができるような圧倒的な力がある人間が、一族の上に立つのが相応しい。悪名高い『毒花令嬢』を大人しくさせろということだろうな」


 冷静にいなくてはと思うのに、モーガンの発言に苛立ちが募る。

 側から見ればネリーネはまだ『毒花令嬢』かもしれないが、ここにいる使用人達はネリーネのことを『毒花令嬢』だなんて思っていない。

 周りの使用人達もモーガンの傍若無人っぷりに腹立ちを隠しきれていない。モーガンが男爵家の嫡男でなければ使用人達も言い返すのだろうが、唇を噛んで我慢している。

 それを肯定と受け取ったのかモーガンは意味ありげに笑う。


「ほら出てこいよ。俺が結婚してやるよ」


 モーガンはミアを押し退けて、勝手に扉を開く。


 開け放たれた扉の向こうには、嗚咽をあげてうずくまるネリーネがいた。


「ネリーネ!」

「ふっ。うっ……ふぅっ……ふぇぇぇぇん!」


 俺は頭が真っ白になってネリーネに駆け寄る。

 ネリーネは崩れた化粧で真っ黒になった涙を流しながら、腕の中に飛び込んできた。


「ステファンさまぁぁ」


 いつもなら化粧が落ちるのを気にして悲しくても涙をこぼすのを堪えているネリーネが、化粧が崩れるのも気にせずに泣きじゃくっている。


 顔をぐちゃぐちゃにして泣き、俺の胸に縋る手は小刻みに震えている。強く抱きしめても震えは止まらない。言葉にならないネリーネの声だけが頭の中に響く。


 俺の大切なネリーネを傷つけた。


 モーガンへの怒りが一気に噴き上げる。


 俺はもう冷静ではいられなかった。

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