第八十三話 衣装合わせのあと6 俺の知らない事実

「夜会が終わりましたら二人きりになれる場所に寄りましょう?」


 甘ったるい声で耳元で囁く言葉はおぞましい呪文のようだ。わざとらしく吹きかけられた生暖かい息に思わず身体がのけぞった。


「ふふ。そんなに緊張なさらないで」


 そう言うと女は俺の腕にまとわりつき、薄っぺらい身体を押し付けてきた。

 腕を振り払って離れたいが、クソジジイに騒ぎを起こすなと釘を刺された俺は身動きが取れない。

 どう振る舞うべきなのか分からず頭が真っ白になっている俺に、女は話を続ける。


「良識のない『毒花令嬢』と結婚なんて大変ですわね。当主の妻に相応しい良識のある貴族の娘を結婚相手に選ばずに『毒花令嬢』を娶らせようだなんて、マグナレイ侯爵はどんな意図があってステファン様に大変な試練をお与えになるのかしら。でも結婚さえしてしまえば爵位を継げるのでしょう? 継いでしまえば離縁でもなんでもステファン様が好きにできますわよ。だって当主に逆らうものなんておりませんもの。どうせ『毒花令嬢』相手じゃまともな夫婦生活はおくれませんわ。白い結婚を理由に離縁して、相応しい女性と再婚すればよろしいのよ。例えばわたくしのように」


 女は微笑みをたたえたまま俺を見つめる。

 

 この女はいったい誰なんだ?

 何故俺とネリーネの結婚がマグナレイ侯爵家を継ぐための条件だなんて知っている?

 白い結婚? 離縁? 相応しい女性と再婚?

 一体なんの話だ?


 俺が知らないこともこの女は知っているというのか?


 ネリーネが侯爵夫人に相応しいとは思えないが、この女には良識があって侯爵夫人に相応しいというのか? 目の前の女の均等な笑顔は醜悪な心を隠す仮面にしか見えない。


 息苦しさを覚え目の前が回って見える。


 足元がふらつき倒れそうだと自覚した途端、いきなり力強く肩を抱かれる。


「やぁ。ステファン、久しぶり! どうしたの? 相変わらず顔色悪いね。また殿下が仕事詰め込んでステファンも巻き添え食ってるの? もうすぐ僕も王立学園アカデミーを修了するから、殿下の下で働かなきゃいけなくなるんだよ。僕が殿下と働くまでに、劣悪な職場環境は改善してくれないと困るんだけど」


 そう言って声の主は俺と女の間に割って入ってきた。


 いつもなら煩わしいお坊ちゃんの暢気な声にホッとする。


「エリオット様。ごきげんよう。随分ステファン様と親しげでいらっしゃるのね」

「ごきげんよう。ルイザ嬢。モーガンと一緒じゃないこともあるんですね」


 お坊ちゃんは目の前の女の話題には答えず笑顔で別の話題を振った。


「エリオット様ったらいやですわ。いつもわたくしはモーガン様とご一緒してるわけではありませんわ。うちのお兄様がモーガン様と同じ職場でお仕事なさっているから夜会でお会いすればお話しさせていただいているだけですのよ」


 女はそう言ってモーガンと親しいわけではないと否定する。

 つまりはモーガンと本当は親しいのだろう。何かが引っかかる。もう少しで思い出せそうだ。


「あぁ、そうだったんですね。モーガンと貴女の兄上が同僚のご関係だったんですか。それは失礼しました。というのも、ついこないだうちの妹の付き添いで慈善活動のために王都にある礼拝堂を訪れたんですよ。そこの道すがら勤務時間中のはずのモーガンが貴女を連れて城下の宿付きレストランに入っていくのを見かけたものですから、親密な関係なんだと深読みしてしまいました」


 お坊ちゃんが如才ない笑顔で女を貶める話をするのを聞きながら、記憶を掘り起こす。


 ……そうだ。やっと思い出した。


 初めて夜会に行った日にモーガンにすり寄っていた女の一人だ。

 ネリーネの派手なドレスを「売ってるのを見たことない」と馬鹿にしていたあの女だ。


 その女がなぜ、俺がネリーネとの結婚を条件に侯爵家の後継者になるなんて話を知ってるんだ……?

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