第八十二話 衣装合わせのあと5 見知らぬ女からのダンスの誘い
振り返ると淡い水色の清楚なドレス姿に金髪を結い上げた美女が立っていた。親しげな微笑みをたたえてもう一度俺の名を呼ぶ。
……知らない女だ。
自慢じゃないが、俺はモテたことがない。
俺にこんな親しげな態度をとる美女なんて知り合いにいれば絶対に忘れない。
俺の名を親しげに呼ぶ女性は、ネリーネと王太子殿下の婚約者様と母親くらいしかいない。
「人違いではないか?」
ステファンなんてよくある名前だ。それに俺は特徴のある見た目でもない。どこぞやに俺に似たステファンという名の貴族がいてもおかしくない。
「ふふっ。何をおっしゃってますの? ステファン様ですわよね? ステファン・マグナレイ様でしょう?」
勘違いではなく、本当に俺に声をかけたらしい。
美女は親しげな微笑みをたたえたまま俺の腕に手を伸ばす。
「一曲踊っていただくことはできますかしら?」
媚びたように身体をすり寄せられる。
女性に慣れていないからネリーネに身体を寄せられたくらいで反応してしまうのだと思っていたが、知らない女相手では困惑しかない。すり寄ってきた美女から距離を取る。
「申し訳ないが、貴女をリードして一曲踊り切れるほどダンスは得意ではないのだ。貴女のように美しい女性であれば俺じゃなくても他にいくらでも一緒に踊りたいと思う男がいるだろう」
「あら、ご謙遜を。いつも夜会の間、何曲も踊ってらっしゃるでしょう? ダンスはお手のものなのではなくて?」
……俺が夜会でダンスをずっと踊っていることを知っている? 夜会の会場で会ったことがあるということなのか?
確かに俺とネリーネは招待された夜会の最中ずっと踊っている。それはネリーネが夜会を平和に過ごすために始めたことで、俺が得意だからではない。
俺は練習の甲斐なくダンスは不得意のままだ。
「いや。本来踊るのは苦手で不得意なのだ。婚約者を同行しているときにダンスを踊っているだけだ」
ネリーネは俺のリードが下手くそだといつも文句を言う。
それでも俺が我慢できるのは、ダンスを踊るたびに嬉しそうに『まるで夢みたいだわ……』とか『この時間が終わらなければいいのに……』とか可愛い独り言をこぼすからだ。本来であれば衆目の中下手くそなダンスを晒すのなんてまっぴらごめんだ。
ネリーネ以外と踊るつもりはない。
俺の回答に何故か目の前の美女は口角を上げた。左右均等な笑顔はまるで彫刻のようだ。
「まぁ。婚約者のためにダンスが苦手なのに無理なさっているのね。なんてステファン様はお優しいのかしら。良識があれば苦手なことを無理強いなんてしませんけれど、あの『毒花令嬢』ですものね。心中お察ししますわ」
は? 何を言ってるんだ?
整った笑顔の女が急に醜く見える。
「爵位を継ぐために心休まらない結婚を強いられるのでしょう? わたくしがステファン様を癒して差し上げますわ」
そう俺の耳元で囁いた女は、再び身体を寄せてしなだれかかる。一気に鳥肌が立った。
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