第六十四話 二度目のデート5 芝居小屋の平土間で可愛い婚約者と過ごすひとときなのに……

 観るに値しない芝居を眺めながら俺はため息をつく。


 平土間には背もたれもない長椅子が窮屈に並んでいた。チケットのないミアたちは中に入れないためネリーネの隣には誰も座らないように通路側に座らせた。

 通路の向こうに座る男たちが芝居そっちのけでネリーネをちらちらと盗み見てヒソヒソと下世話な話で盛り上がっている。


 俺と手を繋ぎ、俺に嬉しそうに話しかけ、俺と目があっただけではにかんだように笑う可愛いネリーネは俺の婚約者だというのに……芝居が始まってもネリーネに向けられたままの遠慮のない男たちのいやらしい視線に頭が沸騰しそうになる。


 デートの高揚感は乗合馬車に乗り込んだ瞬間ネリーネに向けられた視線で霧散していた。

 馬車から降りて歩いた街中は今思い出しただけではらわたが煮えくりかえるほどネリーネをジロジロと見て、好き勝手なことを言っていた。


 悪い意味で注目されることに慣れているネリーネは『地味な格好をしても、わたくしが毒花令嬢だと気づかれてしまうのね』なんて嘆いていたが、違う。そうじゃない。


 あぁ。最悪だ。


 そして、本当に芝居の内容もくだらない。


 若者が好みそうな、王子様と庶民のヒロインの恋物語に見せかけているが、登場人物の名前は王太子殿下やご婚約者様の名前をもじっていて誰かモデルなのかわかりやすくわざとしている。

 安易に感動を煽り、我が国の本物の王太子殿下にも真実の愛を貫くべき運命のヒロインがいるはずなのに、ご婚約者様が地位に固執して邪魔しているかのように思わせ民意を操ろうとしている。


 架空の物語なんて虚言もいいところだ。王太子殿下がこのままご婚約者様と結婚すると困る派閥の者が裏にいるのは明白だ。


 腹立たしい。


 物語は山場を迎えて、舞台の上ではヒロインが悪役のご令嬢の策に嵌められて王子様から離れ離れになる姿は、演じる女優が美しいこともあるのだろうが痛ましく観客の涙を誘う。


 ひっぐ……ひっぐ……


 隣から嗚咽が聞こえる。


 ネリーネの青い瞳は涙から涙がこぼれる。いつもは泣きそうになっても顔をしわくちゃにして涙を堪えているネリーネの頬は、はらはらとこぼれ落ちる大粒の涙で濡れていた。


 そっとハンカチを渡した俺は自責の念に駆られる。


 あぁ、素直なネリーネはこの舞台で演じられている世界に没頭し感化されてしまったのだろう。


 デスティモナ邸やデスティモナ家の馬車の中でも、街に向かう乗合馬車でも街中を散歩している時でもネリーネに事情を話せば、こんな芝居をネリーネに見せることは防げたはずだ。


 ネリーネの可愛さに浮かれて、防げたはずのことも防げずに何をしてるんだ。


 王子様が悪役のご令嬢の罪を暴き断罪する大立ち回りを経て、ヒロインとの真実の愛を勝ち取る大団円が舞台では繰り広げられ、観客席は興奮のるつぼと化す。

 ネリーネは涙で濡れてぐしょぐしょになったハンカチに顔を埋め肩を震わせている。


 いつもは素直で可愛いネリーネに胸を撃ち抜かれて苦しかったのに、今は後悔で苦しい。


 拍手やアンコールの声が収まらない中、早く出ようとネリーネに声をかける。涙に濡れたネリーネは顔を上げると俺の腕に飛び込んできた。


 ──美少女が俺の腕に飛び込んできた!


 待て。浮かれるな。落ち着け。


 舞台の幕が降り、興奮が冷め切らない観客達が俺たちを冷やかす。


 ジロジロ見るな。いいからさっさと出て行け。


 俺は冷やかした奴らを睨んでから、ネリーネに話しかけるために深呼吸した。


「ネリーネ……」

「……王太子様も……エレナ様も、素敵な方なのにどうして……」


 俺だけに聞こえる小さな独り言……


 王太子殿下や王太子殿下のご婚約者様が置かれる状況に胸を痛め、嗚咽を上げて泣くネリーネを、俺はぎゅっと抱きしめた。

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