怪異探偵梨宮 葵の残り香

月雨新

本文

「梨宮先生!」

事務所の扉を開け放って飛び込んできたのは、助手の桜木だった。

「またですよ、連続焼死体事件! 今度は××池のほとり、ここから十分もないところです」

桜木は探偵の座る机に勢いよく手をつき、ほらほら、と言わんばかりに眼前に新聞を広げた。『また焼死体 今度は二十代男性か』と大きなゴシック文字が躍っている。

当の梨宮探偵は一瞥もくれずに長い髪先を弄んでいる。そして大きなあくび。

「興味わかないなあ」

「なんでですか、先生。近くでこんなに不可解な事件が起こっているんですよ? 先生はこういうのお得意でしょう」

「あのねえ、僕が扱っているのはもっと違うやつなの。死体が落ちてました、くらいじゃ別段面白くないの」

梨宮は子供っぽく口をとがらせ、反撃するように言った。

「それより桜木くん、この前言ってた彼女とは上手くいってるの」

「え!」

突然の話題変更に動揺を隠せない桜木。いやあ、とか、あのお、しか返せない様子を見て、意地悪な男がにやにやと笑った。

「上手くいってないんだあ」

「そんなことはない! ……わけではない、です。ただ」

桜木の表情が曇る。

「葵さんは、なんだか俺には高嶺の花すぎたのかなって。どこかよそよそしいし……あと、ちょっと気になることもあって」

「ほう」

「煙草の匂いがするんです」

その言葉を聞いた梨宮の眉がぴくりと動いた。

「煙草?」

「前に聞いたときは『吸わない』って言ってたんですけど、やっぱり煙草の匂いがするんです。それがなんだか、俺にもっと大きいことを隠しているみたいで……」

深刻にうつむく桜木。次に顔を上げると、そこには梨宮の好奇心に満ちた瞳があった。

「前言撤回。焼死体事件、捜査しようじゃないか」

「えっ」

「そのためにまず葵さんに会いに行こう。今からね」

「ええっ」


「私になにかご用ですか」

近所の小さな公園。呼び出された葵は探偵を認めるや否や眉をひそめた。白に水玉のワンピースがよく似合っている。

「ああ、うちの助手がお世話になってるようで。是非お話したいと思いましてね」

「はあ」

「手始めに」

探偵は花壇を指さした。

「あの花の名前をご存知ですか」

「ん?」

桜木は首を傾げた。なんだ? 古風な口説き文句かなにかだろうか。彼氏の前でか。

対する葵は少し顔をこわばらせた。目線の先には白に紫の水玉の花。

「葵です。由来ですから、知っていますわ」

「半分は正解ですね 」

梨宮は目を細めた。

「これは『午時葵ごじあおい』だ」

葵は何も言わない。

「午時葵は別名『自殺する花』。咲いた後に油を発し、周囲の草花もろともに焼死する」

「……つまり、なにをおっしゃりたいのですか」

「連続焼死体事件、犯人はあなたでしょう」

柔らかな風が吹いた。しかし暖かさを孕んだその風は、生ぬるい人間の体温のようで、桜木は不気味でならなかった。

「仮にそうだとしても、どうなさることもできませんよ」

葵は不意に両手を大きく広げた。たっ、たっ、たったったっ、桜木のほうへ駆け寄ってくる――――

彼の肩をすり抜けて、抱きついたのは別の男だった。

「葵さん?」

男は困惑しながらも葵を見つめる。葵は顔を上げると、彼に向かってにっこりと微笑んだ。

「大好き」

その瞬間二人は燃え上がった。事実上燃えたのである。男の声ならぬ声が聞こえる。葵は手を離さない。ぎゅっと抱きしめられたまま、炎は刹那に消え去って、後に残ったのは男の死体だけだった。


「……あの、梨宮先生」

呆然と桜木がつぶやく。

「もしほんの少し違っていたら、今ごろ俺がああなっていたんですか」

すると梨宮は少し笑って、

「その代わり、愛してもらえていただろうけどね」

嫌味のない言葉を返した。

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