佐間の妹
「えっ」
黒野は思わず硬直してしまう。それは遠山も同じだったようだ。黒野はまさに血のついたジャージを着て、凶器の小型ナイフを持っている。
「見ましたか?」
黒野が遠慮がちに聞くと、遠山が静かに頷いた。
「どう思いました?」
「何が何だか、まだ戸惑っています。でも初めて会った日も同じような格好でしたよね。そのときも、もしかしたらと思っていました。でもそんな訳ないと都合の良いように解釈していました」
そうだ。あの日遠山は着替える前の黒野を見て、一目惚れしたと言っていた。
「引きましたか?」
その質問に遠山は慌てて首を振る。
「僕は知りたいです。なぜ黒野さんが人を殺すのか」
「もし話したら、受け入れてくれますか?」
遠山が徐に頷いた。
黒野は女子トイレに行き服を変え、それから職員室に戻った。中では田辺が作業をしているようだ。そして外で遠山が待っていた。
「行きましょう」
そう言って二人は歩きながら話した。
「私、分かってるんです。人を殺すのはいけないことって」
遠山が隣で頷くのがわかる。
「でも、どうしても衝動が湧き上がってくるんです。人を殺すことを考えるだけで力が漲るんです」
遠山はまた頷いた。
「幸せなんです。人を殺す瞬間だけは。ずっと葛藤してきました。私も普通の人になりたいと何度も思いました。でも、人を殺したい気持ちだけは決して消えませんでした。この衝動、抑えないといけないですか?」
黒野はつい感情的になり、語気を強めてしまう。
遠山はただ黙って聞いていた。今日も最後の交差点は赤信号だ。夜の匂いが二人を見守る。
黒野は自分の衝動をまるで禁断の恋みたいだと考えていた。好きになってはいけないと分かっていても、好きになってしまう。殺してはいけないと分かっていても、殺してしまう。
(まぁ、愛が何か分からないけれど)
自分の秘めていた想いを打ち明けた黒野は、少し清々しく感じていた。悩みは話すだけで気が楽になるというのは本当らしい。
二人の間に心地よい沈黙が流れる。やがて、東西方向の歩行者用信号が点滅し始めた。そこで意を決したように、遠山が言う。
「僕は、あなたの全てを受け止めたい」
そして遠山は黒野の手を握る。絡まる指。この瞬間をもって、あたりの空間と時間が二人だけのものになる。
繋いだ手から遠山の体温が伝わってきた。今までも付き合った人と手を繋いだことはあるけれど、遠山からはなぜか特別な温もりを感じる。
信号が青に変わった。
遠山は別れる最後の瞬間まで、手を離さなかった。
だが無情にも帰りの電車がやってきて、手を振って別れる。黒野は遠山を見送り、駅に背を向けて歩き出そうとした。帰りながら、さっきの違和感、あの温もりはなんだったのだろうかと考えよう。
そう思った瞬間、何者かに肩を組まれる。
酔っ払いでも絡んできたのかと思ったが、違った。その手には、包丁が握られている。そこで黒野は犯人の顔を確認した。黒野の首に手を回しているのは中学生くらいの女の子だ。
「何の用?」
黒野が聞く。ギャルっぽいメイクと髪型の少女は、黒野を睨めつけて言った。
「よくも、お兄ちゃんを殺してくれたな」
その言葉を聞いて、黒野は気づいた。この女の子は鼻筋や目元が佐間によく似ている。付き合っているときに会ったことはないが、妹がいることは聞いていた。
「怒っているの?」
「あぁ、怒ってるよ。冷静なふりをしやがって」
彼女はさらに包丁を首筋に近づける。
「憎んでいるなら、殺してもいいよ。あなた可愛いから、あなたが私を止めてくれるなら、それでも良いかも」
黒野はふふっと笑う。
「調子に乗るな!望み通り殺してやるよ。だが、それはお前がお兄ちゃんが受けた数百倍の苦しみを味わってからだ!」
そう言うと佐間の妹は、包丁を黒野から離した。
「あんた、もう新しい彼氏ができたようだな。そいつの事も殺すのか?」
黒野は首を横に振る。
「なら、私が痛めつけてもいいよな」
そう言ってニヤッと笑い、彼女は去っていった。
黒野は田辺に電話して遠山の護衛を指示する。
吐いたため息が、今年最初の白い靄となった。
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