ボクの悪魔
秋丘光
ボクの悪魔との思い出
ボクは悪魔を飼っている。
心のなかに悪い自分がいるとか、悪魔と契約して強大な力を持っているみたいな話ではない。自宅に悪魔を住まわせている、という意味でボクは悪魔を飼っている。
「おかえり」
ある日仕事から帰って自宅のドアを開けると、聞こえ慣れない声が部屋の奥から聞こえてきた。
部屋を間違った。咄嗟にドアを閉める。部屋番号を確認する。
「に、まる、よん」
204号室。自分の住む家だ。友人も恋人もいない、寂しい一人暮らしの独身男性の家だ。状況は理解できるが、処理が出来ない。ドアノブに手をかけたまま、身体が固まって動かない。
ドアノブが動く感覚が手に伝わる。咄嗟に全体重をドアにかけた。ドアをこちら側に押す力を感じる。逃げなきゃいけない状況だが、この手を離して背を向ける勇気はない。
しばらくしてドアを押してくる力がピタっと止まった。罠かもしれないが、逃げるなら今しかない。
ボクはドアノブから手を離した。
その瞬間ドアが勢いよく開いて、こちら側に迫ってくる。避ける暇もなくドアの
目を覚ますと、見慣れた白い天井が視界に入る。
「働きすぎて悪い夢でも見たのかな……」
身体を起こして部屋を見渡す。
「おはよう」
見知らぬ男がこちらを見ていった。驚きのあまり今度は壁に頭をぶつけた。
「だ、だれだよ!!」
ボクは声を震わせながら叫んだ。
「なら自己紹介させてもらうわ」
そう言うと、見知らぬ男はエセ関西弁で自己紹介を始めた。
「オレは魔界からきた悪魔や!色々あって魔界におれんようになってしもてな。人間界を彷徨ってたんや。でもこれからはお前に世話してもらうつもりやから、よろしゅうな」
「そ、そんな話を信じられるわけないでしょ。あなたが悪魔って証拠を見せてください。」
「そんなこと言われてもなー。ほとんど魔力ないから魔法も使えへんし……」
自称悪魔の変質者は頭を抱えた。
ボクは鞄に手を伸ばす。早く警察に通報しなきゃ。こんな頭のネジが飛んだ危ない奴と一緒になんていられない。
鞄の中からスマホを取り出す。いざ通報しようと番号を押そうとした瞬間、どこから電話がかかってきた。
「なんや?うるさいな。お前の持ってる、それ…!」
バレた。半殺しにされるか、本当に殺されるかのどっちだろう。痛いのは嫌だが、半殺しで勘弁してもらいたい。
「スマホっちゅうやつか!ええな、ちょっと見せてくれや」
そう言うと変質者はボクのスマホを奪い取った。スマホを両手で持ち、天に掲げながら興味深そうに見ている。
「にしても、プルルルルルってうるさいな」
「上司からの電話だから、でないと不審に思われるかも……」
「ジョー氏……?とりあえず、電話というのに出ればええんやな」
「はいはい、ジョー氏さん。なんのようでっか」
「浅間!今何時だと思ってるんだ!!早く出勤しろ!!!」
「でも……今日は日曜日で休日やないんか?」
「なに言ってるんだ!!お前が仕事出来ないせいで、休日まで働くはめになっているんだろ!!生意気なことを言うな!!いいか、早く来いよ!!!」
「あっ!?お前こそ調子乗ってんじゃ—―って、切れてるし…」
「ジョー氏ってやつクソ野郎だな」
スマホをボクに返して、変質者は言った。
「最低な人ですよ……。でもボクが仕事出来ないのも本当のことなんで。だから早く仕事にいかないと」
「えっ!?仕事行くの!?そんな頑張らんでもええやろ。今日1日ぐらいゆっくりしいや」
「でもこれ以上皆に迷惑もかけられないし、いくしかないよ」
ネクタイを締めなおして、玄関に向かう。
「そ、それより誰だか知らないけど、ボクが帰ってくるまでにどっか別の場所に行けよ。帰ってきたときにまだいたら、警察に通報するからな」
「オレ、悪魔やで?人間の言うこと聞くと思う?」
「エセ関西弁を使う悪魔なんているか!早く出てけよ。とりあえず、ボクは仕事に行くから!!」
「いってらっしゃい。きぃつけてな」
急いで家を出た。誰かに見送ってもらうなんていつぶりだろう。
ようやく仕事が終わって家に着いた。
今日も日付が変わっている。でも泊まりじゃなくて帰れるだけマシか。
ドアノブに手をかける。昨日から今日の朝にかけての出来事が頭を駆け巡る。右手で頭を触る。昨日ぶつけたところは、見事にたんこぶになっていた。触るとチクリと刺されるような痛みがする。
ドアをゆっくりと開ける。
「ただいま……」
小さい声で部屋の様子を確認する。返事は帰ってこない。どうやらどこか別の場所に行ってくれたらしい。ホッと胸をなでおろす。
もしまだあの変質者がいて、やれ警察に通報だの、事情聴取だので貴重な睡眠時間を失うのはゴメンだ。仕事以外にこれ以上睡眠時間を奪われたくない。
早くベッドに横になりたい。そう思いながら部屋へのドアを開ける。
そこには、あの変質者が横たわっていた。
「なんだよ。まだいるじゃん」
恐怖より
警察に通報したくはないが、このまま自宅に居座られても困る。スマホを手に取り110番にかける。
「見知らぬ男が自宅の部屋に横たわっていて、助けてください」
数分後、ボクの通報を受けた2人の警察官が自宅にきた。
「わざわざすみません。ここの部屋なんですけど——」
ボクは警察官を部屋に案内する。
「そいつをどうにかして欲しくて。実は昨日も——」
「あのー。浅間さん。この部屋には誰もおられませんけど……」
「何言ってるんですか。冗談は止めてくださいよ。そこにいるじゃないですか」
ボクは部屋の床に横たわる男を指で示す。だが警察官は首をひねるばかりで、動こうとしない。
「浅間さん。ちょっと家のなかを見させてもらってもいいですか?」
「え?いいですけど……」
警察官は部屋のなかに入っていった。何かを探すようにタンスの中やベッドの下を調べている。一通り調べ終わると、玄関先にいるもう1人の警察官と何やら相談し始めた。
相談が終わって、こちらに警察官が戻ってきた。
「特に変なところはありませんね。ところで浅間さん、今日ってお時間あります?」
「え?どうしてですか?」
「いや尿検査のために警察署まで一緒に来てほしいんですよ」
「え?いや何で尿検査?あれ?」
「お時間あります?」
「あ、はい……。お願いします……」
そうして僕はパトカーに乗せられ警察署に連れていかれることになった。
「お疲れさまでした。わざわざお時間ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそご迷惑をおかけしました」
警察署での採尿を終えた後、ボクは警察官に自宅まで送ってもらった。
どうしてこんなことになったのか。もう午前3時を過ぎている。あと数時間すればまた会社に行かなければならない。重い溜息が口から出た。
ドアノブに手をかけ、ドアを開ける。
「おかえり!」
聞こえるはずのない声が耳に届く。泣きたい気持ちになる一方で、変な笑いがこぼれる。
「なんだよ……。なんなんだよ、お前は!?」
「いや、だから悪魔だって——」
「そういうのはもういいって!!ちゃんと答えろよ!!!」
「だから悪魔だって言ってるやろ!!!!」
いい年した大人が怒鳴り合ってるのも醜いよなとも思いつつ、感情を抑えることが出来ない。
久しぶりに感情のままに声を荒げて、どこか心がスッキリとした気持ちになった。
心を落ち着かせて、目の前の男をじっと見る。やはりハッキリクッキリとその姿は目に見えている。でもあの警察官には見えていなかった。
「お前って、ボク以外の他の人には見えないとか、そういうこと?」
「うん、そうや。オレは悪魔やからな。普通の人にはオレのことは見えん」
「ボクも普通の人なんだけど、どうしてお前が見えるわけ?」
「それはオレにもよう分からん。ただストレスとか不安や不満みたいな負の感情を溜めこんでる奴は見えやすいって言うな」
「ストレス、不安、不満。負の感情か……。納得。で、お前の目的は?どうしたら僕の前から消えてくれるわけ?」
「目的って言うほど大層なもんはないわ。ただしばらくの間ここに住まわせて欲しいってだけや」
「お前をここに住まわせて何かボクにメリットってあるの?それかお前を追い出すことによる起こるデメリットとか。あるなら教えてよ」
「そうやなぁ。メリットは……掃除に炊事、家事全般が得意やから日々の生活が楽になるな。デメリットは……。そやなぁ……。もしオレを追い出したならお前の仕事場に行って、仕事の邪魔するわ」
「分かった。しばらくここにいていいよ」
「ホンマに!?むっちゃ助かるわ、ありがとう。オレのことはペットぐらいに思って飼ってくれたらええわ。よろしく」
「よろしく。えーっと、お前のことなんて呼べばいい?」
「オレは名前なんてない低級悪魔やからな。何でもええよ。好きに呼び」
「ならアーさんって呼ぶ。よろしく、アーさん」
「こっちこそよろしく頼むわ。浅間」
こうしてしばらくの間、ボクは悪魔を飼うことになった。
ボクが悪魔を飼い始めてから早くも半年が経とうとしていた。
想像していたよりも悪魔というのは悪くない存在らしい。約束通り掃除や炊事といった家事全般は行ってくれるし、無駄話だけでなく愚痴まで嫌な顔をせず聞いてくれる。
仕事も悪魔が背中を押してくれたことで辞める決心がついた。次の仕事もすぐに決まり、ブラック企業からホワイト企業への転職した。
悪魔のおかげでボクの人生は好転し始めていた。悪魔を飼うことで、QOLってやつが向上していた。
ただこの悪魔のことで最近気になることが1つある。
「アーさん。最近家にいなかったり、全く見かけない日もあるけど、何かあった?どうしたの?」
「なんや、浅間。最初あんだけ嫌がってたのにオレがいなくて寂しいんか〜」
「そ、そんなわけないだろ......」
「ま。悪魔にも色々あるんや。人間は知る必要ない。余計なこと知ったら......どうなるか。言わんくても分かるやろ」
いつもの陽気な雰囲気とは違った真剣な物言いにボクは思わず無言で頷いた。
そしてその日が悪魔の姿を見た最後の日になった。
悪魔と出会ってからは1年ほど、その悪魔が姿を消してから半年ほど経った。
会社の飲み会を終えて自宅のドアを開けると、見覚えのない手紙が部屋の机に置かれていた。
読もうと手を伸ばすが飲みすぎて足がもつれた。机の角が目の前に迫る。
衝撃とともに視界は暗闇に落ちた。
「昨日は飲みすぎたな……」
身体を起こして部屋を見渡す。
見覚えのない手紙が机にあった。
そういえば、昨日はこれを読もうとして転んだんだっけ。
手紙に手を伸ばす。なぜか悪魔と過ごした思い出が頭を駆け巡る。右手で頭を触る。昨日ぶつけたところは、見事にたんこぶになっていた。触るとチクリと刺されるような痛みがする。
手紙をゆっくりと開ける。
“おはよう。久しぶりになるんかな?世話になってた悪魔や!もう魔界に帰ろうと思ってな。それでもうお前に世話してもらう必要なくなったってわけや。だからさよならや。”
「そんな話を信じたくないよ」
そう呟きながら、ボクは続きを読み進める。
“いつかオレが最近家にいないって寂しがってたことあったやろ?あのときは誤魔化したけど、あの頃も、最近もずっと家にいたし傍におったんやで。”
「え?嘘でしょ?だって全然見てなかったよ......。あっ......。いや、そういうことか......。見てないじゃなくて見えなかったのか。ボクも見えなくなってしまっていたんだ。」
あるとき、悪魔が言っていたことを思い出す。
「ストレスとか不安や不満みたいな負の感情を溜めこんでる奴は見えやすいって言うな」
あの頃はブラック企業に勤め、休日もなく働き詰めていた。ストレスまみれで不安も不満も負の感情ばかりだった。
でも悪魔が飼ってからそんな日々は少しずつ変わっていった。負の感情は少なくなり、楽しいことや嬉しいことが増え、人生が上手くまわり始めたんだ。
だから悪魔のことが見えなくなっていたんだ。それをボクはただ家にいないだけと勘違いをしていたんだ。
姿がだんだんと透けていくとか、薄くなるとかではなく、だんだんと見える回数が減り、存在を認識できる機会が減ってしまっていたのか。
“オレたち悪魔とって人間の負の感情が食料なんや。でも最近はお前から負の感情を食べれんなった。このままやとオレは腹を空かして消えることになってまう。普通の悪魔みたいに人を苦しめて無理やり負の感情を喰うって方法もあるけど......。お前には幸せでいて欲しいからオレには出来んわ。そういわけでオレは魔界に帰るわ”
手紙の読み終わったボクの目から涙を流れた。悲しみの涙。だけど負の悲しみからではなくて、感謝と感動からこぼれ落ちたもの。明るい涙。
そうして、ボクは呟いた。
「ありがとう、ボクの悪魔」
ボクの悪魔 秋丘光 @akinokisetu
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