第2話「身代わりでいいから」
現代造形部はまだサークルが倶楽部と呼ばれていた昭和の時代からの、歴史的ある団体ある。
しかしその実体は、模型、プラモ、美少女フィギュアなどを収集、観賞、制作するディープなオタク系サークルであり。
もっとも、秋仁は親友である津井尾有城(ついび・ありしろ)に誘われて入ったが故にソッチ系の趣味はないのだが。
ともあれ。
(真衣ちゃんだけか……、他のヤツがいれば良かったんだが)
真衣は有城の妹で、高校時代からの可愛い後輩である。
人懐っこく、ころころと変わる表情が魅力的な背が低めの女の子。
海恋という美少女な幼馴染みを見慣れている秋仁は気づいていないが、彼女もまた、かなり整った顔立ちをしており。
「ねぇ、ねぇったら秋仁先輩! 聞いてます? やっほやっほー! 聞いてくださいよぉ、今日はだーれも来ないから私ひとりかと思ったっすよ~~」
「すまんすまん、そういえば有城は一緒じゃないのか?」
「兄さんは秋葉で掘り出し物のフィギュア探しに行ってるっす、他の人も一緒みたいで……って先輩にも連絡行ってませんか? 誰か一人ぐらいは部室で遊んでると思って来たんですけど外れでしたトホホ」
「ああ、そういえばあったなぁ。忙しいからすっかり忘れてた」
夕日が差し込み部室を赤く染め上げる中、長い髪をアップに纏めた小柄な美少女は。
秋仁にお茶を入れようと立ち上がり、甲斐甲斐しく準備する。
彼女の気遣いに、彼はとても感謝しながらパイプの古びた丸椅子に座り。
「はぁ~~~~~~~~~~」
「え、何っすか? ショック!! 私と二人っきりなのがそんなに嫌っすか先輩!?」
「違う、ただちょっとな……」
「むむむ? 口を濁しましたっすね、――ならば私が当てて見せましょう!! ズバリ先輩は新しい家族の事で悩んでいるか、海恋先輩にフられましたっすね!!」
「ふぐぅ!? な、なんで分かるだよテメェ!?」
「…………え? マジっすか? 冗談で言ったんですけど??」
目を丸くして驚きながらも、熱いお茶が入った湯飲みを真衣は秋仁の前に置き。
近くの丸椅子を引き寄せ、密着する勢いで彼女は彼の隣に座った。
「ちょっと詳しく聞かせてくださいっす先輩……いったい何があったんですか?」
「言いたくない、いや……いつかは耳に入るだろうけども、あ゛あ゛~~~~、海恋……うううううう海恋んんんんんんんんん!!」
「よしよし、よしよし、先輩辛かったですよね、ここには私しか居ないから存分に話してください、話したら少しはすっきりするかもですよ?」
「本音は?」
「はっはーっ!! 遂にフられましたか!! いやーいつかそうなるんじゃないかって思ってました!! これで先輩もおひとり様同盟の仲間ですねザマァ!! 家に帰ったら爆笑したいんで詳細プリーズ!!」
「ぶん殴るぞテメェ!?」
大きなため息をもう一つ、お茶をずずっと一口飲んだ後に秋仁は再度ため息を。
「…………有城もそうだけどさ、お前も言いヤツだよな」
「何です急に、えへへっ、照れちゃいますっす!」
「そうやってさ、俺が落ち込んでるから態と明るくふるまってくれてるだろ? うん、前から感謝してるんだ」
「も、もうっ、そういうのは気づいてても言わないのが男気ってもんですよ先輩……」
真衣の顔がうなじまで真っ赤に染まる、その光景は今の秋仁にとって癒しで。
「お前と一緒だと気持ちが休まるよ……、その髪型だって前に俺が誉めた時からずっとだろ?」
「ううっ、だ、だから先輩っ!!」
「…………少しだけ、少しだけ甘えていいか? 今日は本当に辛いんだ、辛いんだよ――」
嗚呼、と秋仁が漏らした声は震え、目尻には涙が浮かんでいた。
弱り切った彼を前に、真衣は口元を少し歪め。
そして恐る恐る両腕を延ばし、彼の頭を己の胸に誘導した。
「誰もいないから、泣いていいんです秋仁先輩。私達二人だけの秘密っす」
「真衣ちゃん……」
優しい言葉が胸に刺さる、きゅうと心臓が締め付けられ思わず涙腺が緩んだ。
昨晩は涙が出なかったから、前から分かれるつもりだったから未練はあれどダメージは少ないと思っていて。
でも違った、誰かの温もりが欲しくなるほど己は弱ってたのだ。
「俺、俺は……」
「話したくないなら、無理しないでいいんです。話したなら、ゆっくりでもいいんです、私がちゃんと聞くっす、だから先輩、今は……」
「っ!! ぃ、う、ぁああああああああああ――~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
「よしよし、よしよし、今まで泣くのを我慢したんですね、頑張ったっすよ先輩は……」
(好きだった、好きだったんだよ海恋ッ!! 俺は、俺はずっとお前の隣に――――)
秋仁は真衣の胸の中で号泣した、心と体がようやく失恋に追いついたのだろう。
海恋とは家が隣で赤子の頃から一緒に遊び、保育園だって幼稚園だって一緒だった。
小学生が終わる頃、彼女が異性だと意識しはじめて、中学高校とそして二週間前まで告白する勇気が持てなかった。
(アイツの二十歳の誕生日にさ、ようやく告白できて、オッケー貰って、いつかは結婚しようって……)
幼馴染み以上、恋人未満という曖昧な関係から一歩踏み出して。
隣にいるのが当たり前で、きっと海恋だってそうだった。
これからは恋人らしい事を沢山して、でも全部無くなった、無くなってしまった。
「海恋ッ、海恋ッ、海恋~~~~~ッ!!」
「…………」
泣くじゃくる秋仁を、真衣は強く抱きしめる。
顔を見られないように、柔らかく、優しく腕に力をこめる。
怒りがあった、秋仁を悲しませた海恋へ。
(でもっす先輩、私はそれ以上に――――)
嗚呼、と笑い声が出そうになった、閉じこめいた気持ちが、今までも押さえきれてなかった気持ちが。
蓋を開けて、這い出てくる感覚。
でもそれはまだ、だって秋仁は悲しんでいて、だから。
「………………聞いて、くれないか真衣ちゃん」
「っ!? え、ええ勿論っす秋仁先輩……、私に全部聞かせてください」
「実はな――――」
彼は途切れ途切れに口を開いた、嗚咽で止まる時もあって。
でも真衣は急かさずに、静かに耳を傾ける。
最初は悲しみに同調していた、失恋の悲しみは真衣だって知っている。だけど。
(………………は?? え? はぁあああああああああああああああああっ!? ね、寝取られたああああああああああああああああああ!?)
嘘、と言いたくなる気持ちを必死に堪える。
なんで、なんで、なんで、どうしてと言葉がぐるぐる回る。
知っていたら、たとえ不審がられても隣にいたのに。
(あの佐倉葵がレズで、海恋先輩を襲って寝取った?? しかも再婚相手の連れ子!?)
道理でサークル部室棟も閉まるような、こんな時間に来る筈だ。
家に居られる筈がない、許せないのは佐倉葵だ。
何故彼女はのうのうと家に居られるのか、しかしそれよりも。
(あはっ、あははははははははははっ!! ――――――嗚呼、これは海恋先輩が、佐倉葵が悪いんすよ?)
嗤ってしまう、わなわなと唇が震える。
気づかれないように必死に堪える中、いつの間にか秋仁は泣きやんで。
「………………ごめん、みっともない所を見せた」
「いいっす、話してくれて嬉しかったです」
「あ゛ーー、どーしよ、今晩止まる所ないんだよ。ダチの所泊まるって言ったけどさぁ、今日誰も居ないなんて」
「……………………じゃあ、先輩。ウチに泊まりに来ませんか?」
その誘いに、秋仁は強く揺れた。
誰かと一緒にいたかった、それに、この温もりはとても離れがたく。
けれど今は、親友の有城の顔を見ると泣いてしまいそうで。
「ごめん、気持ちは嬉しいけど……海恋を思い出すから」
「んんー、ならこうしましょう! ――今日、一緒にホテルに泊まりませんか?」
「……はい? 真衣ちゃん?」
「先輩が海恋先輩をまだ愛してるのは分かってますっす、けど……今の先輩を一人に、ううん、私以外の誰かに任せるのは嫌なんです」
(………………………………え??)
抱きしめられていたままの秋仁は、ゆっくりと顔を上げた。
そこには、耳まで真っ赤にしつつ真剣な顔をした真衣の姿。
もしかして、なんて妙な考えが浮かぶ、間違って欲しいような、そうであって欲しいような不思議な感覚が彼を襲った。
「好き、好きっす先輩、初めてあった時からずっと好きでした…………海恋先輩の身代わりでもいいっす、……だから、私を恋人にしてください、一夜だけでも、先輩の隣に居させてください…………」
「ぁ――――」
「だめ、っすか……?」
ガツンと頭を殴られたような衝撃だった、真衣は親友の妹で、そんな目で一度も見たことがなくて。
只の、親しい女友達だと。
(だから、コイツは……)
真衣が優しい訳を知ってしまった、報われない恋心を抱いて秋仁の隣にいた訳に気づいてしまった。
「お、俺は――」
この告白を受けてしまえば、秋仁は最低の男になる。
違う女性を愛しているままなのに、真衣を異性として好きじゃないのに、愛してないのに恋人になるなんて。
でも嬉しかったのだ、たとえどんな理由であろうとも失恋を聞いてくれた事が今となりに居る事が。
「…………ごめん、気持ちは嬉しいけど。こんな状態で真衣ちゃんの告白には答えられない」
「っ! ぁ――」
秋仁は断腸の思いできっぱりと断った。
不器用と言われてもいい、けれど今受け入れる事はとても不誠実だと感じたから。
寝取られた情けない男だ、幼馴染みという長い関係で彼女の性の悩みに気づけなかった男でもある、だからこそダメなのだ。
(ズルいっすよ秋仁先輩……、ううん私がどうしようもなく駄目なんです、断られて少しホッとしちゃうなんて、断ってくれてそれが格好いいって思っちゃうなんて――――でも。)
引き下がれない、津井尾真衣はその存在を賭けて引き下がれない。
だから。
「先輩が私を愛してないって知ってるっす――だってずっと見て来ましたから、痛いほど知ってます、これが弱みに付け込んだ卑怯な告白だって、でも……報われなくてもいいんです、身代わりでいいんです、今夜だけでも、恋人にならせてくれませんか?」
「真衣、ちゃん……」
「今夜だけでも、先輩の恋人として隣に居させてください……」
ごくりと唾を飲み込んだのは、いったいどちらだたか。
激しく泣いたばかりで、酸素が足りずにくらくらする。
思考が正常に働かない、受け入れてしまえば後悔すると、泥沼にはまってしまうと分かっているのに。
(なんで……なんで引き下がってくれないんだよッ!! これ以上、――拒絶できなじゃないか!)
まだ秋仁は真衣の腕の中にいる、突き飛ばせばいい、寝取られ失恋したばかりで何をと怒ればいい。
冗談だって、ありがとうと笑えばいいのに。
「…………」
「ふふっ、卑怯でごめんっす秋仁先輩、でも沈黙は肯定って受け取ります。――夜ご飯だって喉を通らないっすよね? ウチ、親も兄さんも今日は帰ってこないんです。私の家に行きましょう? 向こうが先に裏切ったんです、そして先輩は別れた後なんです、……少しぐらい、悪いコトをシてもいいって思いませんか? 二人でちょっとお酒を呑んで、ぐっすり寝て全て忘れるだけです」
(…………二人で酒盛りして、それが有城と真衣ちゃんの家なら、何もない、何も起こらない筈だ)
囁かれた言葉に、耳朶を撫でる濡れたような吐息に、体は痺れたように動かず。
彼女のあからさま嘘に、自分でも信じきれない嘘を重ねて。
(こんだけ言ってくれてるなら……、真衣ちゃんを泣かせたくないし、心配してくれてるんだから、少しぐらい譲歩しても……)
ぐらりと秋仁の心が傾く、一度は告白を断ったのだ、今夜の宿が見つかっただけだと。
「ッ!?」
つつー、と彼女の指先が秋仁の太股をなぞった。
「さ、立ってくださいっす先輩……今夜は私を海恋先輩だと思って……幸せに過ごしましょう?」
「――――ぁ」
その瞬間、悲しんでるのに体は高ぶり始める。
己の男としての性の最低さに嫌悪しながら、秋仁はゆっくりと頷いて。
すると真衣は、花ひらくが如く艶やかに笑った。
「あはっ」
「……」
秋仁にはそれが、カラフルな大輪とフェロモンで誘う花食虫植物のソレに見え。
けれど抗うことが出来ず、のろのろと立ち上がって手を引かれるがままに歩き出したのであった。
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