春夏秋冬代行者 微糖
@Talkstand_bungeibu
第1話 夏の章
澱みなく流れん事を。
低クロロフィル植物(葉緑素が限りなく少ない植物。光がなくても成長し、何を元に有機物を合成するかは不明)の出す酸っぱい匂いが薄くなってきたのと、遠くに見える人工太陽(「ここ」の中心に作られたもの。鍛冶職人イカアレが作ったと言われているが、根拠はなく製造年不明。)が輝いたのを見て旅の終わりを感じた。
その人物、キシドニウリはもう一度身震いをし、光性目眩(長い間光に接しなかった人物が光に触れる事で生じる目眩)に備えて毛布を深く羽織った。
愛機、ダグチョグ(高速で動く屋根のついたバイクにキャタピラをつけたような移動装置。「ここ」の文明が栄える前までは人工太陽の届かない場所へ移動する為頻繁に用いられた)ラクダのまつ毛号に揺られ続け、腰をひどく痛めていたキシドニウリは、しばらくは「ここ」(この世界に存在する文明が存在する場所。およそ5000㎢。人工太陽の照らす範囲内の事を意味し、それ以外の場所は「あそこ」としており、範囲外にいたとしても「ここ」と呼ばれる。類義語に熱と陽の当たる場所がある。)で体を伸ばして休めると思った。
ずっと遠くを眺めていたキシドニウリは、落ちてあるそれは枯れたモチヒリ(低クロロフィル植物の一種)やダンマイ(地下を通る溶液が突発的に作り出した生物。ほとんどは奇形の姿であり数時間で死ぬ)の死骸ではなく、アシギ(「ここ」で暮らす生物。人間に近いが無性生殖を行う。生物学的には女性に近い体をしている)である事に気づいた。
ラクダのまつ毛号を止めて近づく。クイ(アシギが身につけるゲル生物。防寒・防熱の他コミニュケーションや排泄、身体の保護や娯楽にも役立つ。主に半透明の赤色)はかろうじて身につけているようだ。
「死に損ない(アシギの宗教上、自殺はタブーであり、村八分にされ「ここ」へ入ることすらできない。自殺に失敗した者は死に損ないという蔑称で呼ばれることとなる)か」
アシギはこちらを生気のない目で睨みつけた。
その目は怒りも悲しみも絶望も飢えも通り越した姿だった。
グニーは地球時間にしてぴったり7時間眠った。
聖母貝(無性生殖であるアシギの生まれた溶液の中から上がる貝殻。アシギは自分の生まれたものを就寝具として使う。)から出る。
班(アシギは8〜10人のグループとなって生活を共にする)の中にはまだ寝ている班員もいれば、既に仕事に出ている班員(人工太陽を中心にする為、一日/時間の概念が存在しない。仕事が片付き、疲労を感じたら眠る事になっている)もいたようだった。
グニーはまだ眠気が覚めない為、クイに傷をつけ(クイは外部からの傷を受け、内部の構造の形を変化する。この変化を触覚で感じる芸術をアシギは楽しんでおり、触楽と呼ぶ)、ハヤマラギ(触楽作家のベネギが作った針で突っつくような触楽)を楽しんだ。
蛹家(繭で作られたアシギの住居)を出て歩く。頭の中では仕事の日程を考えていた。
…昨日の労働でチギリマ(植物の一種。普段は柔らかいが水をかけることで硬質化する)を3列刈り取ったから、後は7列。まだまだ先は長いから、何かうまい方法があればいいのだけれど。
考えをまとめようとして歩いていた為、目の前にあるものに気づかなかった。
ぶつかる、というよりそれを踏んづける。あわてて後ずさる。しっかり見てみるとそれはクイである事が分かった。最初に見た時に分からなかったのはクイにしては乾いており、色もかなり薄くなっていたからだった。
クイの中から顔を出したアシギは、不服そうな目でこちらを睨みつけた。ギニーの見たことのない顔だった。班員どころか、この近くの班にはいないかもしれない。
「ごめんなさいね。考え事をしてたからそこにいた事に気づかなくて」
乾いたクイにいるアシギはこちらを見返してはきたものの、何も話そうとしなかった。
「名前は?ここの班じゃないでしょ?」
ギニーの質問には耳を貸さず、目もそらそうとしなかった。
ギニーは少し考えてから、クイの触手を伸ばし
感受(クイは汗、心拍数を感知して信号を出す。それを読み取る事で一種の読心術を行うことができる)を行った。目を閉じ、傷を塞いでミリシトをやめてアシギの心を読み取る事に集中する。
ギニーの全身を鳥肌が襲う。不安感、恐怖、悲しみ、絶望、その全てを一瞬に感じた。
息が荒くなり戻ってこれなくなるような眩暈を感じた刹那、ギニーのクイは引き抜かれた。
キシドニウリの姿はギニーにとっては異様だった。筋肉質であり体毛は一般のアシギよりも濃く、長く伸びた髪の毛は複雑に結われていた。
「ごめんね、少し目を離していた」
キシドニウリは低い声で呟いた。ギニーは連続して起きた非日常的な出来事から、やっと戻って言った。
「あなたの班の子?」
「いや、それに私は班には属していない。君はケセリア(近くにある学校。班に入りしばらくした後ケセリアに預けられるが、卒業に決まった期間はなく修学したとみなされるまで在籍してよい)の子かい?」
それを聞いて今度はギニーがむすっとした。背が小さく幼い顔をしたギニーはケセリア学生に見られやすく、それを気にしていた。
「違う」短く言い残し、まだ気になっていた事があったがギニーはその場所を後にした。
キシドニウリは去っていくギニーを遠くで見送った。
「…気にしてた事みたいだな」
床に座り込んだアシギは黙ったままだった。
ギニーが戻ってきた蛹家は笑いの渦に巻き込まれていた。
「やっぱりギニーはいつまでたってもケセリアのアシギだな」
ブリチは溶液(有機物を豊富に含む液体。栄養摂取の為にアシギはこれを寝る前に点滴する)
を腕に通してそうからかった。
「うるさいなぁギニーは。もうギニーとは感受しないからね」
「あぁこっちだってケセリア娘を感受したってつまらないさ」
そう言いギニーはヌマクのクイへ触手を差し出した(感受にはお互いの感情を読み取らせて絆を深める効果がある)。
ヌマクは頭に差した透明花(色素を持たない花。)を揺らしてくすくす笑う。
「でもその変わった姿のアシギは交渉人かもしれないね」
「交渉人?」
「代行者(一定の周期で現れ、人工太陽へ悪戯をする事で季節を訪れる生物)と交渉を取り持つ人さ」
「じゃあ近いうちに夏が来るの?」ブリチが言う。
「そうかもしれないね。」
ギニーは点滴を外し、聖母貝へと潜り込んだ。
「あんなのが交渉人だとはね」そう言いつつ貝を閉めた。
「澱みなく流れん事を(「こっち」の世界の挨拶)」
キシドニウリは蛹家の壁から漏れる光を感じていた。
「死にぞこない」のアシギは溶液の点滴を受け、クイの色味も徐々に戻りつつあった。
(感受を用いるとあのケセリア学生のように飲み込まれてしまう。面倒だが言葉を用いるしかない)そう思っていた。
「君は敏感みたいだね」アシギはこちらを向く。
「『こっち』が肌に合わなかった、とか?」
「こっち」の宗教はシンプルだ。陽のあたらない「あっち」にアシギは生まれる前にいて、溶液が聖母貝を通じて「こっち」にアシギを産み落とす。「こっち」でアシギは労働という枷を背負って生き、死ぬことで「あっち」へと戻る。それは眠る中で人工太陽の光が眩しくて目覚め、もう一度眠り直すことによく例えられる。
それが上手くいくのが大抵のアシギだが、上手くいかないやつらもいる。
自分もそうだ、とキシドニウリは思った。
外側から蛹家の壁を、一つの手の平が伸び、左右に裂いた。
「交渉人、仕事だよ」
中年のアシギがそう言った。
数時間前に見たケセリア学生か、とギニーを見てキシドニウリは思った。
ギニーの体はアキアウイエ(夏の代行者。黒い液体をしている。)に覆われ、クイは所々が腐っていた。
「ちぎってもちぎっても、それが体に纏わりつくんです」ヌマクがそう言い、ブリチは心配そうに見守る。二人のクイは結び合い、不安感を軽減しようとしている。
よしきた、とキシドニウリは言い自らのクイを叩くと、そこから小瓶を取り出し、栓を抜いた。
小瓶から出てきたのは蟻だった。そいつらはキシドニウリの指を伝い、クイを伝い、ギニーの体に辿り着くと、アキアウイエを齧り始めた。
「アキアウイエは成熟していないアシギが好きでね。まとわりついた後で神経を麻痺させ、運が悪けりゃ捕食する。その前にこっちが食べてやった」
「こいつらはどうすんの?」ブリチが尋ねる。
「一匹一匹に小さいクイを垂らして操っている。食べ終わったら全部回収するよ。こんだけ鱈腹食べたら満足するだろうよ」
ブリチが目を凝らすと蟻たち一匹一匹に細い糸がついていた。
しかしこれだけの数を同時に操るキシドニウリの神経はいかほどのものなのか。ブリチの驚きと呆れをヌマクは感じた。
しばらくして。
ギニーは綺麗な体に戻っており、ヌマクは彼女の為の新しいクイを用意しに行っていた。
疲れていたのだろう、キシドニウリは聖母貝にも入らずに眠っていた。
ブリチは蛹家に影を感じ、壁から顔を出すと太箱(祭りの時に破壊されるチギリマでできた巨大な建造物。多くのアシギの仕事は太箱の建設である。)にアキアウイエが纏わりついていた。
「夏になるとこいつらがやたらとでて紫外線を集めて熱くなる。気を配ることだ。ま、あんたは大丈夫だろうが」
「うるさいよ」
ほのかに暑くなるをブリチは感じた。
「そんな事があったんだ。全然覚えてない」
ギニーは新しいクイに身を宿して言った。
「それはそうね。ずっとうなされていたもの」
付き添いに一緒に歩いていくヌマクはそう答えた。
「それにしても」
ヌマクはギニーを見上げた。
「キシドニウリが言ってたけど、一気に大きくなったね」
「何が理由かは分からないけど、あいつらに食べられたアシギは成長する事が多いんだってさ」
「よかったよかった、これでケセリア学生に間違えられなくて済むじゃない」
「まぁね」
ギニーは昔の小さい体の頃を思い出し、名残惜しいような誇らしげなような、如何ともし難い感覚を味わっていた。
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