異世界強奪殺人事件

 保世ほせが現場につくと、警察たちはもう撤収の用意を始めていたところだった。


 天良あまら警部は保世を見るなり、

「遅かったですな、名探偵どの」

 といつものニヤついた中年顔で声をかけてきた。

「もう粗方調べは付きましたよ。ホトケは有賀次郎ありがじろう、58才独身、3つの会社を経営していた元実業家で趣味は筋トレと異世界いじり」

 警部は手元の小さなノートを読み上げた。

「殺害後、有賀氏がもっとも気に入っていたレベルAの異世界が持ち去られています」

「それは興味深いですね」

保世は顎をさすりながら言った。

「興味深いどころか自明ですよ、これは強盗殺人だ。犯人は有賀氏の持つ高額な異世界を狙って犯行を起こしたんですよ」



 保世は深いため息をついた。

「警部、貴方は馬鹿ですか?」

「な、なんですと!?」

「犯人はそれを奪ってどうするのですか?鑑賞するにしても売却するにしても、RNAセキュリティキーが必要です。ですがそれは所有者の死と同時に失われました。異世界登録局にはバックアップキーがありますが、それだって正当な遺産相続人でなければ受け取れないでしょ?」

「た、確かに..」


「強盗の線は忘れてください。で、こちらのお二方は?」

 保世はリビングの隅で座っている男女を指差した。

「ああ、この家の使用人ですよ。女の方が三田智子さんたともこ、担当は家事全般。男は五十鈴新風いそすずしんぷ、彼は有賀氏のいわば秘書ですな」


「お二人は事件当時どちらにいらしたのですかな?」

 保世は空いている椅子をもってきて、二人の前に腰掛けた。


「私は午前中は台所にいました。御主人様が突然塩パイを召し上がりたいと仰るものですから、急いで仕込みをしたんです。途中で塩がないことに気づいて、納屋に取り行こうと書斎の前を通りかかったところで中から五十鈴さん叫び声が聞こえたんです」

「僕が最初に有賀様の、その、ご遺体を発見したんです」

 五十鈴が補足した。

「ええ、それで駆けつけたら御主人様が血塗れで倒れていて、慌てて警察を呼びました」



「僕は有賀様のお手伝いをしていました」

 肉づきのよい三田と対象的に五十鈴の方は小柄で貧相な男だった。

「手伝いというと?」

「異世界のお世話ですよ」

 もう警察に何度か同じ話をしたのだろう、男は神経質そうに貧乏ゆすりをしている。


「A7351という異世界がお気に入りなんです。近頃文明が停滞気味だったので転生者を入れたいと仰って、候補者を選ぶように僕に命じました」

「そのA7351が例の消えた異世界ですな」

 警部が口を挟んだ。


「それで、僕は午前中ずっと別のレベルS異世界の方にダイブしていたんです。なんとか転生候補者を3人見つけたので、報告しようと書斎に向かったんです」

「A73..えーと、レベルA異世界の方はその間どこにありましたか?」

「わかりません。有賀様が持っていたんだと思いますが、とにかく私が部屋に入ると有賀様が血塗れで倒れていて、A7351はどこにも見当たりませんでした」



「なるほど」

 保世はメモ帳を頭ポケットにしまった。

「お互いのアリバイを証明できますか?」

「いいえ、私はずっと台所にいたので」

「僕もダイブ中だったので」

 二人は顔を見合わせた。



 遺体はすでに現場から撤去されていたが、絨毯についた血痕が凶行の様子を雄弁に物語っていた。

「被害者はここの窓際で後頭部殴られて殺害されています」

 天良警部は開け放たれた窓の前に立っている。

「凶器はこれですか」

 保世は手袋をはめると、血がべっとりと付いたデスクライトを拾い上げた。

「強盗の可能性はますます薄いですね。計画的犯行なら現場にあるものは使いません。それに警部が強盗なら凶器を現場に残していくヘマをしますか?」

「ではあの二人のどちらかが犯人だと?しかし...」

「これはなんでしょう?」

 保世は絨毯の中央部に薄いシミを見つけた。

「水ですよ。発見時に慌てた五十鈴さんがこぼしたそうです」

 天良警部は興味なさそうに言った。



「我々が犯人!?」

 三田が叫んだ。

「でも警察は強盗だっておっしゃって」

「落ち着いて三田さん、あくまで可能性の話です」

 保世は再び二人の前に腰掛けた。

「この事件ですが、謎は2つあります」


「まず、犯行方法自体は極めて単純です。犯人はデスクライトで被害者を背後から殴って殺害した。お二人のどちらでもそれは可能です」

「ちょっと待ってください」

 天良警部が口を挟んだ。

「被害者は筋トレが趣味の大男です。取っ組み合いになれば女性の三田さんはもちろん、小柄な、失礼、五十鈴さんにも勝ち目はありません」


「でも取っ組み合いの形跡はなかった、そうでしょう? 答えは簡単です、被害者はダイブ中だったのですよ」

「な..!」

「犯人に証拠品を奪われていなければ警察でも気づけたかもしれませんね」

 保世は皮肉を言った。


「ここに1つ目の謎があります。異世界はどこに消えたのか?」

 と保世。

「警部は私に『異世界が持ち去られた』、と言いました。しかし世界を持ち運んだりはできません。ですから厳密に言えば奪われたのはA7351にダイブするための寄生生物です」

「同じことでしょ」警部は渋い顔をしている。


「そうでしょうか?三田さん、貴女は台所に塩がなかった、と言っていましたね?」

「ええ、それで納屋に取りに行ったんです」

「貴女はこの家の三食をすべて一人で作っている。そんな貴女が塩入れの中身がすっかりなくなるまで気づかなかったんですか?」

「ええ、いつもは少なくなったらすぐ補充しているんですが、今回はうっかりしてまして」

「貴女のうっかりではない可能性はありませんか?つまり誰かが塩を盗んだという可能性です」

「塩をですか?いったいなんで塩なんかを?」


 探偵それには答えず、今度は五十鈴に向き直った。

「日頃寄生生物の世話をしているのは五十鈴さん、貴方ですか?」

「はい、そうです。有賀様はご自分ではあまりなされないので」

「でしたら貴方は知っていますね?寄生生物にとって塩は天敵だと」

「えぇ、そうなんですか?」と刑事。

「浸透圧ですよ。小学生レベルの理科です」

 保世のやれやれという表情。

「寄生生物に大量の塩をかけると身体中の水分が抜け出てしまい、1/100以下のサイズになってしまう。それならいくらでも隠しようはあります」


「では犯人はダイブ中の被害者を背後からデスクライトで殴って殺害し、その後寄生生物に塩をかけて溶かしたと。あの床のシミはそういうことだったんですか!」

 警部はなるほど、と膝を打ったが、すぐまた考え込んでしまう。

「しかしそれではどっちが犯人かわかりませんな」

「警部、もし貴方が犯人なら探偵にわざわざ塩の話をするでしょうか?」

「なるほど。その点、慌てていて水をこぼしたという五十鈴さんの証言はかなり疑わしいですな」

 警部は五十鈴を睨みつけながら言った。


「ちょっと待ってくださいよ」

 いままで黙ってい聞いていた五十鈴が抗議の声をあげた。

「そんな理由で僕が犯人だと決めつけるんですか?」


「いいえ、それだけで足りません。ここに第2の謎が生まれます」

「動機ですな」

 と警部。

「そうです、動機です。あなた方お二人とも被害者との関係は良好だ、家族同然と言ってもいい。それに使用人にしては破格の賃金をもらっている、有賀氏が亡くなればそれもパーだ」

「そうですよ、五十鈴さんに御主人様を殺す理由なんてありませんから」

 三田は同僚をかばった。

「それにわざわざ寄生生物を溶かした理由もわからないですな」

 警部はまた考え込んだ。

「二度とアクセスできなくなるわけですし」


「この場では答えは出せません」

 探偵は宣言した。

「ここは警察にお任せしましょう」

「分かりました、被害者との関係を洗いざらい調べてみましょう。署まで同行願えますかな、五十鈴さん」



 しかし警察の努力は徒労に終わった。


 五十鈴の動機を立証するような証言や証拠は何一つなかった。それどころか五十鈴は少年時代に行き倒れていたところを有賀に拾われ、息子同然に育てられたことが後になって判明した。


 有賀を殺す理由などどこにもなかったのだ。




 半年後、証拠不十分で不起訴処分となった五十鈴は旧有賀邸の前に立っていた。

 目の前で重機生物がせわしなく動いている。土地は競売にかけられ、家の取り壊しが始まっていた。


「犯人は現場に戻ると言いますが、本当ですね」

 振り向くと、保世が立っていた。

「お久しぶりです、探偵さん。でも僕はもう容疑者じゃないんです」

「そのようですね。貴方の動機は結局立証できなかった」

「でも探偵さんは今でも僕がやったと思っている、そうでしょ?」



「今日までの約半年間、この事件はずっと私の頭の片隅に引っかかっていました。そして私は一つの結論に達したんです」

「なんでそれを僕に言うんです?警察に伝えればいいでしょ」

「法的には何の意味もないからですよ。これから言うことはすべて私の推論、いや、妄想です」

 探偵は五十鈴の横に立った。

 二人の目の前で屋根が大きな音を立てて崩れ落ちる。


「私はね、今回の事件の真相は異世界の強奪ではないと思ってます。むしろ貴方は異世界を守ったんです」

「守った?探偵さんの推理によると僕はあれを溶かしたんでしょ?」

「ダイブ用の寄生生物をね。世界そのものが消えたわけじゃない、アクセス出来なくなっただけです」

 

 探偵は帽子を取った。


「貴方は守ったんですよ、自分の故郷を」

「話が全く読めませんね」

「貴方には有賀氏に拾われる以前の公式記録が一切存在しない。もし貴方がA7351から来た転生者だとすればすべての辻褄があうんです」

 五十鈴はなにも言わなかった。

「有賀氏は異世界に無茶な介入をすることで界隈でも有名でした。貴方は自分の生まれ故郷が有賀氏に滅茶苦茶にされるのにいよいよ我慢がならなくなり、ついに犯行に至った。そしてダイブ用の寄生生物を溶かし、この世界の人々が永遠に介入できないようにした、という訳です」

「凄い想像力ですね、探偵より小説家のほうが向いているんじゃないですか?」

「似たようなものです」

「いいですか探偵さん。転生というのは異世界から別の異世界にさせるものなんです。この世界に転生させるなんてできません。自分で自分の首根っこを掴んで持ち上げるようなものですから」


「異世界とはつまるところ無数に存在する並行世界のことです」

 保世は指で空中にいくつもの円を描いた。

「私達がより文明レベルの低い異世界に介入できるのと同じように、どこかに私達よりも高次元な文明が存在し、私達の世界もまた常に彼らの介入を受けているのではないか、そう考えたことはありませんか?」


 五十鈴はしばらく黙り込んでいたが、やがて口を開いた。

「で、僕をどうするつもりなんです?」


「どうもしませんよ。警察には相手にされないでしょうし」

 探偵は帽子を被り直した。

「それに故郷を守ろうとした人を裁く権利は私にはありませんから」



 ずがんっ、という大きな音がして旧有賀邸の最後の壁が粉々に砕け落ちた。

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